ロシア素人が半年読んできたロシア本の中から選ぶ一番お勧めと一番質の悪い本


 皆さま、いかがお過ごしだろうか。
 吉成学人です。

 私はこの記事を書く予定はなかった。本当はとっくにアカウントを削除するつもりであった。理由は、もうnoteには散々嫌気が差したのといよいよ金欠になったので、就活をしようと思っていたからでSNSに手を出すのは控えようと思っていたわけだ。

 ここ半年ぐらい、noteにほとんど記事を上げなかったのは就活やSNS疲れのほかにも理由がある。ロシア屋の本を読んでいたからだ。正確に云うと、昨年の2月24日に勃発したウクライナ戦争に関する書籍を読んでいたからだ。詳細は省くが、知人がロシア擁護の投稿をしたことで、すっかりSNS不審と人間不審に陥ってしまったのだ。正直、ロシアのことはまったく素人であり、ウクライナの地名もさっぱりであった私は、ただ呆然とするほかなかった。

 本来ならば、金欠及び無職状態が長らく続いているので、さっさとSNSから足を洗い、生活を整えるのが妥当であるが、何故か、ロシア本を読み続けていた。はっきり云うと、私はロシアはおろか日本国外に出たことがない。ロシア語もわからないし、英語もグーグルやDeeplにかけて翻訳しないと理解できない。はっきり云って、なんの得にもならない。

 だが、気がついたら半年経っていた。そして、膨大な量の書籍を読んでいた。ここ半年ぐらい何冊ぐらいロシア本を読んでいたのか数えてみたら、38冊だった。しかも、手元には図書館から借りてきた未読の本が3冊ある。自宅から図書館と本屋を往復する日々はある種のモラトリアムのようにも感じられた。いくら本を読んでも状況が改善するわけではないのだが、読まずにはいられなかったのだ。もちろん、失った人間関係も戻ってくるわけではない。だが、まったく未知のロシアについてモヤモヤした状態のまま次の行動に移すことが困難を極めた。

 と云うことで、本稿では私が読んできたロシア屋の本の中で一番お勧めと一番質の悪いものを同時に紹介する。ロシア屋の本を読んで気づいたのは、文章のレベルが断然に違うことだ。極端に上手い人と極端に酷い人の差が凄まじい。なぜこうなってしまうのか。未だにわからない。
 なお、引用する人名は敬称略で表記する。


一番お勧めな本


 まずは、一番お勧めの本はそうこの人、小泉悠の『ウクライナ戦争』だ。テレビで今回のウクライナ情勢を語りまくっている人。ユーチューブの動画を覗くと、いつもバズりまくって万単位で再生数を稼げてしまう男。正直云って、半年前まで著作はおろか名前すら知らなかった。Twitterではときおり名前が上がってくるが、あまり注目してはこなかったし、何を云っているのか興味がなかった。

 しかし、彼の著作をなけなしの金をはたいて買うことにした。理由は、彼の講義をユーチューブで視聴し、今回のウクライナ戦争の概略とロシアが一体どんな国なのかが分かったからである。どの動画?自分でみつけなさい。

 さて、未だに私はこの本を手放さずにはいられない。理由は、この本の水準で今回のウクライナ戦争を解説した本が存在しないからだ。また今まで手に取ったロシア屋の本ではダントツで優れた分析をしているからだ。もし、私のように半年ぐらいロシア本を読み漁ると云う奇特な行動を取らずに、手っ取り早く事情を知りたいと云う人には迷わず勧める。

あらすじ

 本書のあらすじを述べると、こうなる。

 2021年、ウクライナ国境付近でロシア軍は大規模な軍事演習を行っていた。ゼレンシキー政権への圧力である。ゼレンシキーはプーチンの盟友であり、ウクライナ国内の有力政治家な親露政治家・メドヴェチェークへの弾圧の報復として軍事的な恫喝を行っていたのだ。2014年のクリミア併合やドンバス地域の紛争が一向に解決がみえなかったゼレンシキーは政権支持率の浮揚のために行ったわけだが、そのことがかえって裏目に出たわけだ。さらに、プーチンと交渉をしようにもベテランの政治家である彼にまったく歯が立たなかったことがわかる。支持率も一桁台にまで低下したと云う。

 同年の7月12日に、プーチンはとある論文を発表する。「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」である。同論文では、プーチンはロシア人とウクライナ人は同じ民族であることを延々と書き連ねている。本来同じ国のもとで暮らしていたのに、レーニンが勝手に自治権を与えたせいでソ連崩壊後、ロシアからウクライナが離れてしまったことを嘆いている。
 小泉によれば、プーチンの主張はさほど珍しい話ではないと云う。ロシアでは「ウクライナ人と云う民族は存在しない」とか「ウクライナ語はロシア語の方言に過ぎない」と語るロシア人が一定数存在し、小泉本人もそう云う発言を耳にしたと云う。だが、主張はさほどおかしくなくても、論文が公開されたタイミングそのものが異様であったと云う。同論文はプーチンと云う一国のリーダーがわざわざ大統領府のHPにアップしたものである。云わば、大統領の署名が入った公文書なわけであるが、そこに延々と内輪のナショナリズムの話が記載されていたのである。さらに、つい最近まで軍事的な恫喝までやっていたのである。
 同論文は現代の話に進む。プーチン曰く、2014年のウクライナで勃発したマイダン革命のせいで政府は西側の手先になってウクライナ人を苦しめていると云う。とりわけ、ロシア系住民を弾圧していると云う。アメリカやNATOのような西側はウクライナを搾取している。ウクライナのことを本当に心配しているのはロシアしかいない。だから、ウクライナが「真の主権」を取り戻すにはロシアとの「パートナーシップ」しかない、と結論づけている。
 なお、同論文の翻訳は複数存在しているので気になった人はチェックしてみよう。ちなみに、HPのビジュアルだと齋田章と青山貞一、訳文の読みやすさを求めるのなら山形浩生をお勧めする。


 



 さて、小泉の著作に戻すと、同論文の内容に戸惑ってしまったと云う。プーチンが云いたいことはわからないでもないが、では一体何をしたいのか?ロシアもウクライナも現在は別の主権国家である。いくら同じ民族だからと云う理由で、他国を併合すれば明確な侵略行為になってしまう。ロシアは国際的に孤立してしまう。そこになんのメリットが存在するのか?プーチンとその取り巻きのナショナリズムが満たされるだけに過ぎないのではないか?

 なので、ロシア屋界隈では単なるブラフと云う意見が根強かったと云う。もっとも、軍事屋界隈では戦争が勃発すると云う予測があったと云う。理由は衛星画像やtiktokの投稿、新聞記事などから軍事演習にしてはかなり膨大な量の軍隊がウクライナ国境めがけて進軍していたからである。その数15万。 
 2022年に入ると、プーチンの発言はより過激になっていく。ヨーロッパの首脳に対して「ウクライナ政府はロシア系住民に対して虐殺を行っている!」と主張し、相手をギョッとさせてしまう。さらにロシアが2014年に不法占拠している地域の独立承認を一方的に宣言してしまう。独立承認をすると云うことはロシアへの併合になってしまうので、ウクライナ側との停戦合意を破棄することを意味する。会議では、態度が煮えきらない情報機関トップに対してパワハラまでしていたと云う。
 結局、2022年2月24日にロシアはウクライナに宣戦布告を行ってしまう。そのさいにプーチンの開戦理由は前年の7月に発表した論文での主張の延長線にありつつ、「ゼレンシキー政権はナチスだ!」「ウクライナに大量破壊兵器が存在するので安全確保のために出兵する!」と云う主張も追加される。

 その後、小泉の得意分野である軍事的な分析が続くのであるが、ロシア側の言動がかなり異様だったと云う。まず、今回の戦争をプーチンは「戦争」とは呼ばず、「特別軍事作戦」と云う名称にこだわっていると云う。いきなり他国に宣戦布告して領土に軍隊を送れば、国際法違反になってしまうリスクもあるが、「戦争だ」と云えばロシアは徴兵制を敷いているので大規模な動員を行える。しかし、それは行わずかわりに手持ちの戦力で最大規模の15万の兵力を投入している。初期の軍事作戦をみると、一気に首都キーウを攻め落としてゼレンシキー政権を打倒し、電撃的にウクライナを占領しようとしていたことはわかる。しかし、軍事作戦をみると、かなりお粗末だったと云う。
 まず、ウクライナ国内にいたスパイが逃げ出す。ロシアの情報機関とウクライナの情報機関はお互いにズブズブで、利益供与をしてもらっていたと云う。だが、いざ軍事侵攻が行われるとロシアの内通者は現場から逃亡し、まったく使えなかったと云う。さらに、キーウに特殊部隊を送り込むために空港を占拠するも返り討ちに遭い、ヘリコプターで追加の部隊を輸送しようとするも、ウクライナ側が空港のヘリポートをあらかじめ破壊したせいで部隊を送れなかったと云う。さらに、ウクライナ軍への制空権を奪うために多少の損失を覚悟して戦力を投入すれば良かったにも関わらず、国境付近でミサイルを小出しに発射するだけでウクライナ空軍の戦力を一向に削れなかったと云う。
 小泉は「何があったのかわからない」と前置きをしつつ、ロシア側で上層部が現場の作戦まで口出しをした可能性が高いことを指摘して、「ウクライナ人は弱い」「ウクライナ軍はたいして抵抗しないだろう」と云うような民族主義的な優越感が作戦立案に影響したのではないか、と分析している。

 またゼレンシキーの政治家としての力量を見誤ったことを指摘している。開戦直後、ゼレンシキーに対して「ロシア軍が来ているし、逃げたほうが良いのではないか?」と述べていた国もいて実際に亡命の手はずまで用意されていたと云う。ところが、ゼレンシキーはそのような提案をことごとく突っぱね、あくまでキーウに留まることを選択したと云う。そして、スマホで自撮りした動画を投稿し、自分はキーウに残っていることをことを示し、国民に徹底抗戦を呼びかけたと云う。その結果、前線で戦っている兵士を鼓舞し、不安にかられていた国民に勇気を与えたことで支持率が9割に回復したと云う。プーチンの目的がゼレンシキー政権の打倒であったのであれば、完全に裏目に出たことになる。

 ただ、小泉はゼレンシキーは「完全無欠なリーダー」「ヒーロー」ではないと指摘している。軍事侵攻前の言動をみると、ロシア軍が本当に攻めてくると思っているようにはみえず、言動もとてもおぼつかなかったと云う。だが、戦時下で求められるリーダーを見事に演じることによって国民の支持を集めていると分析している。ゼレンシキーが徹底抗戦のかまえをみせたことで、短期間でウクライナを占領するロシア側の思惑は見事に失敗に終わった。

 小泉はクラウゼヴィッツの「三位一体」を引用しながら、多少の犠牲が生じても戦争を支持する「国民」の存在がウクライナ側の軍事的な抵抗を大きく支えていることを指摘している。侵略者を自国から追い出すと云う極めてシンプルな理屈のおかげで、国民の支持は固まったとも云える。世論調査でも、ロシア側との妥協の姿勢を崩していない。
 かたやロシアはどうか。一向に、「戦争」であることを云えず、「特別軍事作戦」と云う名称にこだわってしまい、大規模な動員を行えずにいる。プーチンの支持率自体は低下していないが、ウクライナと比べて積極的に戦争を支持する理由が見当たらない。秋頃にやっと部分的な動員を行ったが、地域ごとに動員される人数が異なり、裕福な都市部よりも少数民族や貧困層が多い地区からの徴集が目立つと云う。プーチンは「国民」をなかなか熱狂させられないでいる。 

 小泉は昨年の秋頃までの戦況をもとにしながら、今回のウクライナ戦争の性格は「古典的な戦争」であると結論づけている。確かに、ハイテク機械のドローンや衛星、SNSなどが今回の戦争では大規模に動員されている。だが、新しいタイプの戦争かと云うと「違う」と云う。実際に戦況を変化させているのは、戦場の中での戦闘の結果だ、と指摘している。要は、相手の兵力にどれだけ損害を与えるのか、と云う極めて泥臭い手段で戦況が変化しているからだ。21世紀の米露の軍事思想家たちの議論を引用しながら、実際には19世紀のクラウゼヴィッツが議論していたような極めて「古典的な古臭い戦争」であると述べている。
 同時に、小泉は今回のウクライナ戦争で生じた様々な言説の検証を行っている。一番読み応えがあるのは、ロシア屋としてプーチンが開戦に踏み切った理由についての解説だ。結論は「よくわからない」と前置きしつつ、「ウクライナのネオナチの存在」「大量破壊兵器の存在」「NATOの東方拡大」などをそれぞれ検証しながら、消去法で残るのは「ロシア人とウクライナ人は同じ民族だから同じ国家の中にいるべきだ」と云うプーチンの民族主義的野望を想定しないと理解できないのではないか、と結論づけている。

評価理由

 本書を手に取って、2022年の軍事侵攻前からプーチンの言動がおかしかったことがよくわかった。同時に、「ウクライナは善で、ロシアは悪か」と云う珍妙な神学論がいかに実態をみてないのかがよくわかった。小泉はウクライナは問題の多い国家であることは認めているが、同時にロシアも同じような問題を抱えていることを指摘し、もしウクライナが侵攻されても仕方がないと云うのであれば、ロシアも侵略されても構わないと云う理屈になってしまうと指摘している。
 またタイムリーな問題を扱っているだけにわからないことは「わからない」と明言し、仮説を提示するさいもちゃんと根拠を示している。ロシアやウクライナの地名、人名や軍事兵器など普段聞き慣れない単語をふんだんに使用しながら、時系列順に丁寧に解説しており、素人でもわかりやすいと同時に手を抜いているような文章となっていない。だから、一気にさくっと読めると同時に何度も読み返せる稀有な仕上がりとなっている点も高評価に繋がった。


一番質の悪い本


 次に、一番質の悪かった本は高橋沙奈美『迷えるウクライナ』だ。この本を知ったのはTwitterだ。ロシア屋や愛好家たちがやたらに推していた。曰く、「軍事や政治ばかり解説されているが、もっと宗教を取り上げるべきだ!」とか「ウクライナ戦争が勃発した背景には複雑な宗教の問題が存在しているのがわかった!」とか書いてあった。地元の図書館でもずっと貸出中となっていたので、本屋に行ってみた。
 帯をながめると、「「この問題にが言及するな」といわれるほどに危うい情勢下、正教徒にしてウクライナの宗教を専門とする筆者が、正教会という立脚点から複雑な両国の関係を解説する」「今、ウクライナの宗教界で起きていることを描き出した本邦初の書」としるしてあり、期待した。小泉の著作が高い評価だったので、もしかしたら別の意見のほうがはるかに妥当かも知れないと思ったので期待が高まった。
 そして、なけなしの資金で購入した。結果、期待外れだった。と云うか、今まで読んだロシア屋の本の中でダントツの質の悪さだった。

あらすじ

 以下、内容をしるしていく。

 そもそも、今回の戦争では「ウクライナが善で、ロシアが悪か?」とか「ロシアを悪として責めるのは本当に良いのか?」とか「ウクライナにも落ち度があったのではないか?」と云うような謎議論が展開されていた。まぁ、議論をすること自体は問題ないし、ロシアにも言い分があると云う話をするのも悪いことではない。実際、小泉の著作でもロシア側の言い分は取り上げられているし、戦争当事者なのだから主張を聞かないと理解はできない。言論の多様性を担保するためにも、ロシア寄りとかロシア擁護とか両論併記の本が存在することには一定の価値が存在すると思う。

 だが、この本にそれを期待してはいけない。

 まず、章立てから酷い。ロシアを擁護するとか非難する以前の問題で、章と章が対応していない。つまり、1章、1章まったく別の話が展開されているせいで、実質、空中分解している。各章があまりに違う話題を扱っているので、編著を読んでいるような気分に襲われた。

 第1章では、東スラブにおける正教会の歴史の概略で、ここは問題ない。しかし、第2章になると、「ウクライナとロシアの歴史認識の違いを両言語のウィキをもとに検証する」と書いていて「へぇっ?!ウィキ?」とズッコケた。 「ウィキは素人でも改編可能だが、両国の人々の認識の違いを知るためには重要な媒体だ」と述べ、いろいろごちゃこちゃ書いたあと、「両言語では歴史認識が大きく異なる」と結論づけて「でしょうね」と云う感想しかなかった。「と云うか、歴史認識って今回の戦争でめちゃくちゃクローズアップされたんじゃないんすか?なにせ、プーチン本人が侵攻前にけったいな歴史論文を出していたのだから、向こうの学者とか論客が何云っているのかとか、こう云う論争があるとか、教科書の記述はこう違うとか書けなかったんすか?」と云う疑問しか浮かばなかった。だが、次の章になると、20世紀のソ連時代のウクライナ正教会はどうだったのかになって、完全にお流れになる。

 第4章になると、現代のロシア正教会とナショナリズムの関係について記述が出てくる。ここでもこちゃこちゃと書いた挙げ句、「ロシアナショナリズムは理想論として人々には受け入れられたが、実際に自分が担え(要はお国のために戦え)と云われると逃げ出す。よって、支配的なエリートの思想だった」と結論づけます。「いやー、そりゃそうでしょ」と云う印象しかなかった。日本だって古事記の仁徳天皇の民のかまどとか聖徳太子の十七条憲法とか楠木正成の湊川の戦いとかを美化して持ち上げる人はいっぱいるけど、実際にご本人がその通りにやるわけないでしょ、と云うツッコミしかなく、ナショナリズムなんてしょせんその程度のものに過ぎないにもかかわらず、なんでそれが政治や教育などに影響を与えているのか、なによりロシアは今回の戦争前から一貫して「俺たちは西側とは違う文明や」と啖呵切っているのだから、一体なぜこんなことを云いたがるのか、もっと深掘りしなさいよ、と云う感想しか出てこなかった。

 そして、第5章になると、やっと現在のウクライナ正教会の話が出てくる。結局、ウクライナ正教会の独立の機運が高まったのは2014年のクリミア併合のあとと云うことだが、とにかくいろいろ端折りまくっている。クリミア併合やドンバス紛争が起きたのは、マイダン革命が暴力的だったので地元の人たちが恐怖を覚え、NATOの影響が強まると思ったのでロシア政府も危機感を覚えたからだ、と述べている。「えっ?偽情報が拡散しまくって、「緑の小さい男たち」とか「礼儀正しい若者」とか妙に規律の取れた武装した人たちが占拠したのが住民の意志ですか?得体の知れない民兵組織が勝手に占拠するのが住民の意志?て云うか、クリミア併合したあと、あれはヤラセでした、とプーチン、ゲロってたじゃん」と思っていたのだが、そのほか一切のことは説明されていない。
 だいたい2010年代のロシア屋や安全保障屋界隈では「本来なら領土の併合は明確な国際法違反なはずなのに戦闘がほとんどなく、住民の意志を尊重して、と云う体裁でなぜロシアのクリミア併合は成功したのか?あるいはドンバス地方で正規軍をなるべく投入してないにも関わらず、ウクライナ軍に軍事的な優位性を保ちながら影響下に置いているのはなぜか?」と云うのが重要なテーマで、それこそ「ハイブリッド戦争」とかいろいろ議論があったはずなのだが、なぜかスルーである。かわりに、ウクライナ政府がむりやりウクライナ正教会を独立させようとしているとか、ウクライナ正教会をスパイ呼ばわりしていじめているとか、「真の正教徒」は2018年に独立した新正教会には行かないとか、私がフィールドワークした範囲でも教会はウクライナ社会に貢献しているとか、書かれている。「あのー、地元の人たちがいろいろ苦労しているのはわかるんですけど、なんでプーチンとかその取り巻きの人たちが正教会を使ってウクライナ社会に影響を与えようとしてのかを触れないんすか?」と云う感想しか出てこなかった。
 なにより、ロシア側が不法占拠しているドネツクでは民兵組織がプロテスタント系の教会を迫害し、正教会しか認めねーぞと云っていたことには一切触れていない。政府が特定の宗教団体やアイデンティティを持った人たちをいじめるのはけしからん!と云うのだったら、なぜロシアにも云わないのか?と云う印象しかない。


 

 そして、終章になると、2022年の軍事侵攻後のウクライナ正教会の苦境を延々と書かれている。プーチンが戦争をはじめて、キリル総主教が支持したせいで、ウクライナ社会では裏切り者扱いされて迫害されている、聖堂や修道院が政府によって無理やり新教会に移管させられている、新教会の人間はろくに教会に行かずにウクライナと云う看板がつけばそれで良いと思っている、ウクライナ政府はロシアとつくものを社会から徹底的に排除しようとしている、西側のBBCとか大手マスコミはウクライナ政府の云いなりになって不都合な事実を伝えない、ウクライナ政府はメディアコントロールをしてけしからん、ウクライナは本来多様性を尊重してきた社会だから、人権と法の下の平等に照らし合わせてウクライナ正教会への迫害を止めなさい、ウクライナ政府は私の提言を聞きなさい!…。

評価理由

 この本と同時並行で、山形浩生が作成した『プーチン重要論説集』を読んでいた。プーチンが大統領に就任した2000年からウクライナ侵攻を行った2022年の約20年間に行った重要な論説を翻訳し、収録したものだ。なるほど、三段論法から著しく離脱した章立てであるが、彼女が云いたいことは5章と終章にあることはわかった。

 だが、はっきり云って、「おまいう」案件にしかならないと思った。山形の論説集は単にプーチンの論説をまとめるだけではなく、プーチンの思想変遷も分析されている。その中で山形は「プーチン侵略必勝パターン」と云う議論が提示されている。プーチンが今まで軍事侵攻をする口実として主張していたのが「ロシア系住民が現地でいじめられている。人道の観点から助けに行きます!」だった。その過程で散々、偽情報をばらまいてきた。同論説集を読むと、プーチンがいかに嘘をついてきたのかがわかる。政治家が嘘をつくのはさほど異様ではないが、プーチンの場合は軍事侵攻をしたり、領土を掠め取っていた。そんなことをやっていたら、「ロシアってつくもんがあったらヤバくね?」と思う人が出てくるのが普通だと思う。


 

 終章ではなぜか英文記事がなく、かわりに地元の教会がFBに投稿したものやウクライナ語とかロシア語の記事しか引用されていないが、たぶん大手メディアの人間なら「現地ではこう云う情報があるけど、マジな情報かしら?」と思ってしまうのではないか。要は、仮に彼女が書いている内容が100%事実だとして、「それって、オオカミ少年やっていたら現場の人が割を食わせれているだけの話で、結局、巡り巡ってプーチン悪くねぇ?」と云う感想しか出てこなかった。もっとも、なぜかロシアがオオカミ少年をやりまくっていた話は一切書いていないが。

 あと、なぜロシアが15万の兵力を投入して核兵器で脅していることに触れないのかなと思った。そのかわりに、正教会の伝統が、使徒継承が、信仰が、と書いているのだが、軍隊を投入して核兵器で脅さないと維持できない伝統とか使徒継承、信仰ってなんすか、と云う感想しか出てこなかった。私は逆に、今まで正教会が伝統とか使徒継承とか信仰と云ってたのって実は「暴力」がないと維持できなかった極めて脆い代物に過ぎなかったのではないか?と云う疑問が浮かんでしまった。
 ついでに、本書が刊行される前に、プーチンと一緒にICCから逮捕状が出たマリア・リボワ・ベロワは夫が正教会の司祭で、戦争犯罪に正教会が加担して疑惑があるのだが、その点もまったく触れていない。まぁ、脱稿した時期がズレただけで、もう少し逮捕状が出るのが早ければ書いていたかも知れない。



 最終的な結論として彼女は民主主義を目指すためには公平で客観的な情報が必要不可欠である、そのためにもロシアは悪とかウクライナは善だと云うような二元論を脱却しなければならない、ウクライナ社会が自由な民主主義を目指すのであれば私の提言に耳を傾けよ、と述べている。山形の論説集を同時並行で読んでいた私は、「そりゃあ、かりにこの本の内容が100%事実だとしても、無理じゃねぇ。と云うか、ウクライナ政府が強権を使いたがるのって、プーチンが成功したから、じゃあ俺たちもやっても良いよねって思ったからじゃねぇ?それって、結局巡り巡ってプーチンが悪うございましたになるんじゃねぇ」と云う感想しか出てこなかった。 
 どうもそう思わない人が一定数いるみたいだ。「勉強になりました!」「今回の問題を考える上で必読書だ!」「複雑な問題を取り上げている!」と云う感想をツイッター上で専門家やロシア愛好家は投稿していた。しょせんツイッターか。

 一応、正教会について扱った本は、元ウクライナ大使の角茂樹『ウクライナ侵攻とロシア正教会』しかなかったので、別の視点を提供できると期待していたわけだが、無理があったようだ。角は元ウクライナ大使でカトリックの信徒であるため、最初からウクライナ寄りで正教会に批判的で本人もそれを隠す気はないのだが、章立てと内容はしっかりしていた。少なくとも、各章が空中分解するような構成となっていない。結論として、キリル総主教に対して「もしモスクワを正教会の中心地にしたいなら、ロシアの国益だけではなく、ローマ教皇庁みたいに世界中の正教徒の幸せを考えたほうがいいんじゃないすか?」と真に正論ながら、いやらしい文言が並べられている。

 あるいはロシア寄りの本でも、高橋のような空中分解は起きていない。
 去年から、ロシア寄りとか親露派、スパイとか散々云われてきた佐藤優も内容の是非はともかく構成はしっかりしている。
 例えば去年、佐藤が出した書籍の中で一番売れたと思われる『プーチンの野望』では戦争は酷いがロシアを悪魔化してはいけない、プーチンの内在理論を理解せねばならない、と云うことで今まで佐藤が雑誌に投稿してきたプーチン絡みの記事を時系列順に再編集されている。そして、ウクライナ戦争を扱った第6章目では戦争を起こしたプーチンは悪いが、ウクライナも悪い、どっかの教授はこんなことを云っていた、ロシアを非難している国は少くないと述べ、最後に、平和を構築するためには対話が大事だ、そのためにはロシアと交流がある創価大学の若者が活躍すべきだ、池田大作名誉会長万歳!と創価学会員向けのアジ演説で締められている。同書は、小泉本と比べれば、はるかに内容は劣るが、

戦争は酷いけど、相手を悪魔化してはいけない、平和構築のためにも相手の内在理論を理解をすべき!
⇒「プーチンにも言い分がある!」「ウクライナにも問題があった!
⇒「平和構築をするためにも相手を非難したり、争うのではなく、対話が大切だ!

と云う具合に、一応、構成は繋がっている。学会向けのアジ演説は同書が潮出版から出ているからで、ちゃんとファンサービスをしているので、なお良し。

 また去年、ネットで一部内容が公開され、「ウクライナにネオナチがいるせいでロシアが危機感を持ったのではないか?」と主張していた人もドン引きした副島隆彦との対談本『欧米の謀略を打ち破り よみがえるロシア帝国』でも構成はしっかりしている。

 同書では「プーチンはディープステートと戦っている!」とか「ロシアがウクライナ侵攻をして感動している!」など、岸田文雄の言葉を借りれば「国際社会の平和と安定と秩序」に対する明白な挑戦としか読めない内容だが、倫理や人権を放棄するとそれなりに読める仕上がりになっている。

 その観点で云うと、佐藤よりも副島のほうが筋が通っている内容となっている。同書では、安倍晋三襲撃事件の真犯人は山上徹也ではなくてアメリカだと云う説やブチャで発生した民間人虐殺はロシアではなくてネオナチなどのユニークな説が聞ける。最終的に、副島も佐藤もプーチンの裸体を賛美し、副島は「バチカンとウエストミンスター大聖堂と国際刑事裁判所があるオランダのハーグに核兵器を落とせ!」と主張し、佐藤は「情報分析ではロシアが勝つと確信している」と述べつつ、「プーチンは正しいことをやっているが、ウクライナのようなマイノリティの心情を理解しきれていないので正しいことをしているが間違っている」と行った見解の相違がみられている。

 つまり、同書の構成は

ディープステートが世界を支配している!」「各国は情報戦を仕掛けている!
⇒「プーチンはディープステートと戦っている!」「ロシアははめられた!」「欧米の連中は嘘つきで卑怯だ!
⇒「プーチン最高!」「核兵器を使え!」「ロシアが勝つ!

となっている。えっ?!論理的に破綻している?いえいえ、「ディープステートが悪い」とか「ブチャでの虐殺はやらせ」とか「プーチンの裸体は最高!」「安倍晋三を殺したのはアメリカ」とかウルトラCをかませるとちゃんと論理的な一貫性を担保できるぞ。困ったときはディープステートだ。逆に云うと、副島が「核兵器を使え!」と叫んでいることはそこまで云わないと、ロシアの行動を正当化することができないことを意味している。

 一方で、高橋本は、

正教会は特殊だ!複雑な問題を抱えている!」と「人権と法の下の平等を守れ!
 
と云うまったく正反対の主張をしているため、章と章が上手く噛み合っていないと云える。もっとも、文章を読むと時折、高橋の人の良さがにじみ出ていたりする。本人も戦争がはじまる前までは、ロシア側の視点でウクライナをみていたと告白している。

 もっとも、人柄の良さと書籍の出来は比例しないことがよくわかる上では大変稀有な教材として読めるかもしれない。




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