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私はこうやって卒論を書いた/「クリティカル・シンキング」って何?

全くわからない「クリティカル・シンキング」



 私の大学時代の話しである。

 必修科目に「クリティカル・シンキング」があった。
 おそらく、大学側の意図では「卒論」を書く際に、「クリティカル(批判的)」な「シンキング(思考)」が必要だから、わざわざ必修にしたのだろう。
受講生は私を含めて史学科が多かったが、講師は教育学が専門だった。

 授業内容は、メチャクチャだった。
 私がこれまで受講した中で最も酷い内容の授業の一つであった。
 
 何が酷かったのか。

 講師が自分の云っていることを理解していなかったのだ。その結果、実質的に何も教えないまま授業が進んでいった。
 具体的には、講師が出した「お題」を何人かのグループで話し合って、発表していく形式だった。
 最も、その「お題」は講師が一方的に出し、しかも授業の度に変わっていった。「新聞の記事」や「広告のデザイン」について、いきなりグループで話し合えと云われたのだ。
 
 当然、私たち生徒は訳がわからず、「タルい」と云い合うことになり、しょうがないから「何となく講師が気に入りそうなネタ」「何となくつじつまが合いそうなネタ」をグループで提出して乗り切った。
 
 いわゆる「ヤラセ」だ。
 
 学級委員会の焼き直しのような授業であった。
 当時の史学科生の間では「クリシン」と呼ばれ、非常に面倒臭い授業と認識されていた。
当然、出席者は授業が進むごとに、減っていった。

「クリティカル・シンキング」とは「議論」だった

 あまりにも酷かったので、当時の私は「クリティカル・シンキング」とは、本来どんな意味なのか、関連書籍を読むことにした。
 その際、私は福澤一吉『新版 議論のレッスン』を手に取り、授業で行われているのは、要するに「議論」のことだと理解した。

 福澤は、同書の「はじめに」で、「議論」とは一定の手順によって行われると述べている。

それは「議論が語る言葉(すなわち、議論・討論で発表されている内容)を、いったん、議論を語る言葉に置き換える」という作業です…(13頁)

 
 では、具体的にどのように行うのか。

 福澤は、次のような日常会話をモデルとして提示する。

会話1 太郎「①今日のお昼はカレーにしようよ」
   次郎「どうして?」
   太郎「②だって、だって昨日はラーメンだったじゃない」
   次郎「そうだね。そうしよう」(26頁)

 
 そして、「議論の言葉」に置き換えると次のようなる。

話の中で、自分が一番言いたいことを「結論」または「主張」と言います(本書では「結論」と「主張」は同じ意味で使います)。会話1では「①今日のお昼はカレーにしようよ」が太郎の主張です。太郎はこの主張を単独で出したのではありません。次郎の「どうして?」への返事からも分かるとおり、その主張は「②昨日はラーメンだったじゃない」という理由から導いたのです。すなわち、太郎は「②昨日はラーメンだった。だから、①今日はカレーにしよう」と言っているのです。このように主張を導くために使われている理由を「議論を語る」言葉では、「前提」または「根拠」と言います。(略)
 会話の太郎のように、結論/主張を、何らかの根拠によって裏付けようとする行為を「論証」と言います。(27頁)

 

 そして、福澤は「議論」を次のように定義する。

議論とは「論証を基礎単位として話し合うこと」なのです。(27頁)

 
 ここまで読んで、私の受講した授業がハチャメチャなものとなった理由がわかった。教えている側が「議論」の枠組みを理解していなかったからだ。
 
 とは云え、その講師だけの問題ではなかった。
福澤は「日本人は話し合いや議論のための参照枠を何も持たないまま大人になってしまっている」(24頁)と述べ、国民の代表である国会議員ですら、まともな「議論」ができていないと指摘している。

 では、「議論」はどのようにすれば行えるのか?
 
 福澤は「議論」を行なうには、サッカーと同様に、「議論の参加者すべてに同じルールが事前に承認され、議論がそれに則って行われること」(75頁)が必要と述べている。
つまり、「議論」を行うには、一定のルールのルールが必要になる。

 では、そのルールとは何か?

 福澤は、自分の意見である「主張」と「その発言の裏付けとなる「根拠・事実(データ)」」、そして「根拠と主張を結合させる論拠」」を挙げ、特に「論拠」こそが「議論の枠組み」と述べている(97頁)。
 しかし、「議論」では「論拠」が表面に出てくることはない。
 なぜなら、「根拠/事実」から「主張/結論」を導く際に、「論拠」が暗黙の前提として成立しているからだ。

 かなり抽象的な話しとなったので、具体的な事例を挙げたい。

私はこうやって「議論」を用いた


 
 当時の私は、卒論のテーマに「ソ連の諜報活動」を調べていた。
 当然、それに関する著作や論文に目を通した訳だが、その中で、田母神俊雄「日本は侵略国家だったのか」、通称「田母神論文」について「議論」してみたい。

 同論文は、2008年に、当時の航空幕僚長だった田母神俊雄が民間の懸賞に応募し、受賞した作品である。
 論文のタイトルからわかるように、田母神の「主張/結論」は「日本は侵略国家ではなかった」である。

我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。(9頁)

 
 では、田母神が挙げている「根拠/事実」は何か? 

 田母神は「ヴェノナファイルというアメリカの公式文書」(5頁)をもとに論証している。

ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。(略)これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・デクスター・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人と言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。(6頁)

 
 よって、田母神の論証では、戦争が発生したのはコミンテルンによるスパイ活動のせいであり、だから、「日本は侵略国家ではなかった」と云うことになる。
 
 では、田母神が以上の「根拠/事実」から「主張/結論」を導いた「論拠」を探ると、次のようになる。

 一、田母神が言及している「ヴェノナファイル」は信用できる歴史資料である。
 ニ、1930年代のコミンテルンとソ連は、日本とアメリカを戦争に向かわせるために、事前に計画を立案し、国外にいる300人もの人間に正確に指示をしていた。
 三、日米戦争はスパイのハリー・デクスター・ホワイトが書いたハル・ノートによって引き起こされた。
 四、過去の戦争がスパイによって引き起こされたと判明した場合、責任は生じない。

 では、田母神論文の「議論」の妥当性はどのように判断すればよいのだろうか?

 福澤は、「主張の正当性」に注目せよと述べている。つまり、「「その主張がどの程度厳密な論証を重ねた末に導かれたか」を指標として判断するもの」(104頁)と云う訳だ。
 とすると、注目すべきは田母神が提示した「根拠/事実」となる。彼が提示した「ヴェノナファイル」は、彼の主張を裏付けするほどの資料なのかを判断しなくてはならない。

 田母神が同論文で引用したのは、次の資料となる。

 一、岩間弘『大東亜開放戦争』(岩間書店)
 ニ、黄文雄『黄文雄の大東亜戦争肯定論』(ワック出版)
 三、櫻井よしこ編『日本よ、「歴史力」を磨け』(文藝春秋)
 四、秦郁彦『盧溝橋事件の研究』(東京大学出版会)
 五、福井義高「東京裁判史観を痛打する「ヴェノナ」のインパクト」:『正論』平成18年5月号
 六、ユン・チアン『マオ(誰も知らない毛沢東)』(講談社)
 七、渡部昇一『日本史から見た日本人:昭和編』(祥伝社)
 八、「朝鮮総督府年間」

 上記の資料の内、「ヴェノナファイル」について論じているのは、五の福井義高が『正論』平成18年5月号に発表した論文のみである。
 私は福井論文を入手し、読むことにした。同論文の中で、「ヴェノナファイル」はどのように成立した資料なのかについて述べている。

ヴェノナ文書のもととなった暗号電信の入手そのものは難しくはなかった。ソ連工作員とモスクワの間のやり取りは大胆にも一般の電信サービスで行われていたのである。ソ連はアメリカが電信を入手しても絶対に解読できないという自信を持っており、実際、ソ連の暗号処理は原理的に解読不可能であった。ロシア語のメッセージをコードブック(数字と言葉を対比した一種の辞書)で数字に変換したうえ、一回しか使用しない乱数(one-time pad)で加工してあるため、どれだけメッセージ(というより、でたらめな数字の羅列)を集めてもパターンを見つけることはできない。ところが、戦争の激化もあり大量のメッセージを処理する必要に迫られたソ連情報機関は、乱数を複数回使用するようになり、解読の可能性が生じたのである。(89頁)

 
 では、暗号はどれほど解読されているのか?

ヴェノナで存在が明らかになったソ連のエージェントのうちいまだ二百人近くのコードネームの同定ができず、実際に誰であるかわかっていない。また、研究者の間で見解の相違のある例もある…(89頁)

 
 福井論文では、田母神が名前を挙げたホワイトが出てくる。しかし、田母神論文と比べると、福井論文では、ホワイトが与えた影響については控え目に述べられている。

日米交渉の過程で、ホワイトの関与があったにしても、それがルーズベルトのハル・ノート通告という最終決断に決定的影響を与えたとまではいえないだろう。(94頁)

 福井論文では、「ヴェノナファイル」を研究したアメリカの学者の「主張/結論」をもとに論証している。アメリカの学者の「主張/結論」が正しいと云う前提となっている。
 
 では、アメリカの学者の間で、「ヴェノナファイル」はどこまで信用のおける資料として評価されているのか?

 『Cosmica:Area Studies』第43号に発表された佐々木豊「アメリカにおけるヴェノナ文書の公開(1995年)と国内反共主義論争」では、「ヴェノナファイル」に対する評価をめぐってアメリカ国内で論争が生じたと述べている。
 また、「ヴェノナファイル」の評価をめぐって「保守派」と「リベラル派」と云う政治対立まで生じたと云う。

アメリカの政府のトップシークレット扱いであったこの文書の公開を喫機として、1940年代後半から1950年代前半にかけてアメリカ社会で猛威を振るった扇動的な国内反共主義(通称"赤狩り"又は"マッカーシズム")及びアメリカ共産主義研究を中心とする国内共産主義に対する評価をめぐって、保守派とリベラル派の間で激しい論争が巻き起こった。(17頁)

 
 佐々木は「保守派」の研究者の代表としてジョン・E・ヘインズとハーヴェイ・クレアを挙げている。なお、福井の論文は、両者の共著『ヴェノナ』に依拠している。

 では、ヘインズとクレアはどのような「主張/結論」を述べているのか?
 両氏は、冷戦の原因はソ連にあったと述べている。

ソ連は第二次世界大戦中から対アメリカ諜報活動に極めてアグレッシブな形で従事したことが示したようにアメリカを同盟国というよりはむしろ潜在的な敵国としてみなし、そのようなソ連による敵対的な行為がアメリカ政府のソ連に対する不信感を増大させて態度を硬化させ、その結果、大戦後の冷戦が勃発した、と主張した。(25頁)

 
 一方で、リベラル派の研究者はどのような評価を下しているのか?

 戦後のアメリカのソ連スパイ裁判、ローゼンバーグ裁判を研究したシュナイアー夫妻は、スパイが存在していたことは認めながらも、「"確実な証拠"と断定できるのかどうか疑問を投げかけている。」(25頁)と云う。

なぜ、FBIは1950年代のソ連のスパイをめぐる一連の裁判でヴェノナ作戦の成果に基づく証拠を裁判所に提出しなかったのか…(25頁)

 
 夫妻は、「ヴェノナファイル」は歴史資料として不完全なものではないかと述べている。
 また、「ヴェノナファイル」のもとになったソ連の外交光電に使用された暗号名と実際の人物とを照合させるのは困難であると指摘している。

ヴェノナ文書を構成する外交光電はまずKGBのエージェントとアメリカ人のスパイの英語での会話がロシア語に直され、そのロシア語が暗号化されてモスクワに送られ、さらにそれを、再び暗号解読班が一定の解釈を入れつつ英語に直す、という複雑な過程を経たもの(略)KGB課員と情報を提供したとされるアメリカ人との間のやり取りがオリジナルなものではなく曲解されて英語に直されている可能性があること(略)一人の人物にあてがわれる暗号名は頻繁に変更されていることに鑑みて、実在の人物名との照合を容易に許すものとなっていない…(26頁)

 
 つまり、夫妻は「ヴェノナファイル」の資料としての信憑性に疑問を示した訳だ。

 佐々木論文では、他の保守派とリベラル派の研究者の「議論」を紹介しながら、「ヴェノナファイル」が抱えている「資料的価値の限界」を次のように指摘している。

ソ連政府がアメリカ人協力者から渡された機密文書を具体的にどのようにしてその外交政策に利用したのか(その結果、どの程度、アメリカ外交に損益を与えたのか)という点については、原爆スパイケースを除いてほとんど何も語っていないことに存するように思われる。(27頁)

 佐々木は、「ヴェノナファイル」の評価をめぐって「保守派」と「リベラル派」と云う政治対立が生じたのは、アメリカ特有の政治文化によると分析している。

この論争は、アメリカ歴史学会やジャーナリズムの世界における"エスタブリッシュメント"、すなわち東部の名門大学で学位)教鞭を取り、思想的にはリベラル乃至はリベラル左派を取る知的エリート層と、かれらとは距離を置く新興の保守的な歴史家/ジャーナリストの間の感情論すれすれの論争という性格を帯びるに至っていると言えよう。(31頁)

 
 では、今まで取り上げてきた「ヴェノナファイル」をめぐる「議論」を整理してみると、次のようになる。

 (一)、「ヴェノナファイル」の評価をめぐってアメリカでは、政治的な「保守派」「リベラル派」と云う対立もからまり、評価が二分されている。
 (ニ)、「ヴェノナファイル」を信頼できる資料とみなすのは、主に「保守派」の研究者。
 (三)、福井論文では、「保守派」の研究者の著作が参照されている。
 (四)、「ヴェノナファイル」をもとに、アメリカの「保守派」は冷戦の起源の見直しを計っているのに対して、田母神論文では日米戦争の原因を見直しの「根拠/事実」となっている。

 以上の点を踏まえて、田母神論文の論拠を振り返ると、不自然な点がみられる。

 まず、一の「ヴェノナファイルは信用できる歴史資料」と云う論拠は、アメリカの「保守派」の研究者の見方に依拠したものであるとわかる。
 しかし、田母神論文では明記されていない。
 さらに、「リベラル派」の「主張/結論」も参照すると、そこまで信用できる資料とは云えなくなってしまう。
 つまり、「ヴェノナファイル」に歴史資料としての評価は未だに定まっていないことがわかる。

 次に、ニの「ソ連とコミンテルンはアメリカと日本を戦わせようとした」と云う論拠も怪しくなる。
アメリカの研究者は「米ソ冷戦の起源」を主に論じているのに対して年代がズレている。
 また、一の論拠が怪しくなると、スパイの人数や指示の内容についても疑問符がつく。「ヴェノナファイル」に記載されていたからと云って「事実」とは云い切れないからだ。

 そして、三の「日米戦争はスパイのホワイトが書いたハル・ノートが原因」と云う論拠は、福井論文では否定されている。

 以上の論拠の不自然さをみると、田母神論文ではかなり不十分な論証をもとに「主張/結論」が述べられたことになる。

 福澤は「論拠が明示されない理由」を次のように述べている。

 第一の理由は知識の欠如です。つまり、論証の際に論拠なるものが必要であることを知らないで、それについて考えたこともないというものです。(略)
 第ニの理由は知識があったとしても、論拠について内省的に意識できないというものです。つまり、うっすらと意識下にはあるのですが、明示するのがむずかしいと感じている場合です。(略)
 第三の理由、それは発話者の意図です。発話者は議論における論拠の必要性については重々承知している。気づいている。しかし、議論をする上で、「あえて表面に浮上させないほうがいろいろな意味で都合がいい」と考える場合です。(147~148頁)

 田母神論文で「論拠が明示されていない理由」を考えると、「第三の理由・発話者の意図」だとわかる。

 すると、田母神の「主張/結論」である「日本は侵略国家ではなかった」は、四の論拠「過去の戦争がスパイによって引き起こされたと判明した場合、責任が生じない」によって支えられているのがわかる。

 では、四の論拠は妥当なものだろうか? 
 実は、田母神論文の「議論」を批判的に分析した著作がある。

 秦郁彦『陰謀史観』である。



 同書の中で、秦は、田母神の論拠は「コミンテルン陰謀説」であると述べている。
 

日米戦争の仕掛け人がルーズベルトかコミンテルンだと聞かされれば、惨憺たる敗北を喫した日本人にとって聞き流すわけにはいかないのも人情であろう。なかでも、日本だけが悪者にされているという「東京裁判史観」に不満を抱いている人たちは、発信源の多くがアメリカ人だったこともあり、日本側記録との突き合わせや米国側の背景分析もせず、耳触りのよい情報をウノミにする傾向があった。(174頁)

 つまり、田母神は「陰謀史観」をもとに、「主張/結論」を述べていたことなる。

 秦は同書で、「陰謀史観」が持っている論証の問題点を指摘している。

 私は歴史家の任務は直接的な因果関係の究明にあると考えるが、ある結果をもたらした原因は多岐にわたり軽重の順位をつけにくい。(242頁)

 
 秦は、「陰謀史観」の論証の甘さとして「①因果関係の単純明快すぎる説明」「②飛躍するトリック」「③結果から逆行して原因を引き出す」「④挙証責任の転換」「⑤無節操と無責任」を指摘している。

 つまり、秦の指摘している「陰謀史観」の論証では、「主張/結論」があらかじめ設定された上で、「議論」が行われてと云う訳だ。

 以上の理由から、当時の私は田母神論文とヴェノナファイルを自身の研究から外すことにした。
 不正確な「議論」に基づくと、私の卒論も不正確なものとならざるを得ないからだ。

 さて、私が冒頭で散々批判した講師が教えたかった「クリティカル(批判的)」な「シンキング(思考)」とはこう云うことだったのだろうか?

まとめ

 一、「クリティカル・シンキング」とは「議論」の云い換え。
 ニ、「議論」とは、「事実/根拠」から導き出した「主張/結論」とそれを支えている「論拠」によって成り立っている。
 三、「事実/根拠」から「主張/結論」を導き出すプロセスを「論証」と云う。
 四、「議論」を理解するには、「論拠」と「論証」に注目する。
 五、正確な「議論」では「論証」は丁寧に行われるが、不正確な「議論」では「論証」が雑になる。
 六、不正確な「議論」が行われるのは、「論拠」に問題があるから。
 七、卒論では、正確な「議論」を主に取り入れていく。

最近、熱いですね。