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『自分の意見を言えない人』の心の仕組み

なぜ自分の意見が言えないのか。私はそんな自分が嫌でした。自分と違う意見を言われた時になんだかモヤモヤするから本心を飲み込む癖がいつの間にか出来上がっていた。

その心の奥底では

・人に嫌われたくない
・自分の意見を否定されたくない
・自分が正解でいたい

って思ってない??

これは私がメンタルブロックとしてもっていたもので、自分と違う意見を言われたときになんだか自分を否定されたような気分になって心に傷を負うサイクルが出来上がってた。だから自分の意見をいうのは怖くて『違う』と思っても言葉を飲み込んだり、うまく伝えられない自分がいたんだよね。HSPさんには特にこの現象、多いんじゃないかな?

ここをノートに書き出して深掘りしてみた。

別の意見が存在しない世界だとしたら

NOが言えない世界

同調圧力で支配された世界

この構図をつくってることに気づいたんだよね。

そんな世界で私は生きたいのか?自分の意見が言える"自由な世界"であってほしいのではないか? そもそも『別の意見をいうこと=攻撃』でなはいことにも気づいた。自分が『私はこう思う』と伝えるときは相手を傷つけたいわけではなく、『自分はこう思う』をただフラットに知ってほしいだけなんだよね。

『赤が好き』『黄色が好き』と意見を主張しても赤と黄色に優劣はなく、意見そのものに善悪もなければ正解もない。『意見は人の数だけあっていい』これが腑に落ちると自分の意見をまっすぐに伝えられるようになるのではないかな。

もし、反対意見を持つことができるなら、それは"主体性のある人"であって、そんな人の方がカッコよくて私は好きだなぁって思う。誰かに反対意見を言われた時は、その人は自分が好きな『主体性のある人』なんだよね。そう思うと怖くないし、むしろ反対意見を言う人は愛すべき存在になる。

他者から意見をもらうことは、自分では見えていなかった視点に気づけるチャンスで、視野を広げて新しい世界をみる成長のチャンスでもあるんだよね。自分を成長させてくれる言葉は、賛成ではなく反対なのでは。

人は鏡で自分のことを映し出してくれるから、

私にNOを言ってくる人が現れた

私もNOが言える自分になった

の構図にもなる。これはもしかして成長したサインなのではないでしょうか。誰かのNOに出会った時は傷を負うのではなく、喜ぶタイミングかも。

この仕組みを理解できれば『何を言っても大丈夫な自分』になれる。

現実の解釈さえ変えれば、一瞬で生きやすい世界にワープできます。


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