見出し画像

何かを引きずってそれも忘れて −ナイトオンザプラネットに乗せて-


卒業生へ

人生の中での何かの"終わり"というのは
ゴールテープを切るように、
はたまたサウナ室から出るように、
はたまた大根を包丁で切るように、

突然喜びが押し寄せてきたり、
苦しみから解放されたり、
今を境に何かが分断されるものでは、
どうやらないらしい。

クリープハイプの尾崎世界観は
「恋愛も仕事も気持ちよく何かが切り替わらないことの方が多い。」と言っていて
https://youtu.be/yWp_cJn5UQs

そんな想いをナイトオンザプラネットという曲で
こう表現している。


”夜にしがみついて 朝で溶かして
何かを引きずって それも忘れて
だけどまだ苦くて すごく苦くて 
結局そうやって 何か待ってる”
クリープハイプ  ナイトオンザプラネット


https://youtu.be/Y_VyszSZdMc


もちろん卒業というものを境に、
あのタイプの学校の机で
勉強することはなくなるし、
制服を着ることも無くなるし、
給食を食べることも無くなるし、
全員が半強制的に同じ時間に同じ場所へ
集まることも無くなってしまう。


けれど、その事によって”何か”を気持ちよく切り替えられるわけではないんだよね。

今日という節目を機に過去への後悔を捨て、
未来への希望を抱けとか
そんな綺麗なものでは無いんだと思う。


”何かを引きずって それも忘れて”


その"何か"っていうのは多分

どうにかなるさと、
どうしよもないなの"あいだ"のことだし、

こんなはずじゃなかったと、
そんなもんだよなの"あいだ"のことだし、

どうでもいいよで怒らせたあの時のことだし、
どうでもいいよで救われたあの時のことで、

なんでもないけど、
いつでも取り戻せることでは
ないことなんだと思う。


それを引きずりながら僕らは生きていくし、
少しずつ何かに溶けていくようにして忘れて、

でもまたちょっと思い出したりなんかして、
そうやって押し寄せる大小の不規則な波みたいなものと付き合っていく。


でも、そんな”何か”には名前は付いてないし、
そう簡単に言葉で表現できないし、
誰かに話すのは気恥ずかしくなるし、
誰かに話すほどのことじゃないなって飲み込んでしまう。


でも、そうやって また明日から "何か待って" 生きていくんだと思う。


悲観と楽観の両方から、
ほんの少しの後悔と、ほんの少しの希望を込めて。卒業おめでとう。





菅野雅之


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?