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野球で"流れ"とかゆうてますけども

"流れ"というのは野球解説用語であって、
野球用語じゃない。

解説者や実況者が使う言葉であって、
選手や指導者が使う言葉ではないと思う。

言葉は、境界を決めてその内と外を分ける役割があ言葉は、境界を決めてその内と外を分ける役割がある。言葉を使うから差異にも気づいてしまって孤独を感じる。

佐渡島康平「言葉のズレと共感幻想」

"流れ"が来るという事を定義するという事は、
"流れ"が行くという事も同時に定義してしまう。

野球というスポーツにおいて"流れ"が行く事は、
阻止できない。

"流れ"を呼び込む事も自己完結では不可能だ。

故に"流れ"だ。

それは何故なら野球という間接的闘争競技においては直接的な影響を与える事はできない。ボールコントロールができないからだ。

流れの正体という書籍がある。

この本の筆者を否定するつもりは無いが、正直なところ指導者としては内容にはあまり納得できない。

この本の中で流れを止めるプレーとして横浜隼人高校監督の水谷哲也氏が例に挙げたプレー以下のものだ。

野球の流れを止めるのは、フォアボール、バント失敗、ボーンヘッド、そしてタッチアウトの4つだ。

手束仁「流れの正体」

わかかる。言いたい事はわかるのだが、いずれもアンコントローラブルだ。

そしてこれは"流れ"云々ではなく、単純に野球という競技において得点を取るのに有利な状況が訪れたか、それを潰してしまっただけである。

フォアボールはヒット以外の手段で出塁できるため当然有利に働く。

バント失敗はアウト1つと引き換えにランナーを1つ進塁させるという戦術を選択したが、アウト1つだけを献上してしまうのだから、有利な状況を潰してしまっている。

ボーンヘッドの定義は曖昧ではあるが、攻撃であれば後述するタッチアウトを積極的走塁死とするならば、ボーンヘッドは消極的走塁とできる。つまり、進塁可能な局面で進塁しなかったとできる。

守備であれば、攻撃側に進塁意思が無いにも関わらず進塁許可させてしまう事であると定義する。

タッチアウトは先述したように積極的走塁死である。更に、起こりうるシュチュエーションは一塁での牽制死を除けば二塁以上の塁でしか起こらない。つまりスコアリンクポジションからの得点シュチュエーションでしか起こらない。

要するに"流れ“云々ではなく有利な状況が訪れたのか、それを潰してしまったかという事であり、説明可能で実体がある。

決してスピリチュアルなモノでは無い。

"流れ"と"メディア"

解説者や実況者にとっては使い勝手が良い。
「この回流れが来ますよ」なんてそれっぽい事だけ言っておいて、実際に得点が入ればこれ見よがしに「ほらね?」と言えるノーリスクハイリターンな魔法の言葉。

視聴者に対して期待を抱かせ、点数が入る予感を作り出し、あたかもそこにストーリーがあるかのように演出する。

視聴者がテレビ中継から離れないようにするための言葉として"流れ"は必要不可欠である。

"流れ"と"ワタシ"

"流れ"というモノの存在を否定できないような経験は勿論しているし、そういったモノは恐らくあるのかもしれない。

しかし、指導者や選手がそんなアンコトローラブルで実体のない言葉を用いて野球をするべきではない。

ワタシはそう思うし、だからワタシは"流れ"という言葉は使わないし、そんな指導者をワタシは信用しない。

「先頭打者をフォアボールで出したから流れが行く」とか「得点した裏の回に失点したから流れが来ない」「バントは一発で決める」という名セリフは後出しジャンケン過ぎて好きでは無い。


菅野雅之

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