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楽したかったら不自由の方が都合がいい。


会社員をやっていると、誰しもフリーランスや経営者の働き方・メリットに心が突き動かされてそこしか見えなくなることがあるんじゃないかって、そう思う。

同時に自分の今の環境が苦しすぎて
「もういっそ全てを捨てて誰もいない街に行きたいなー」とか、
「あてもなく電車の終着駅まで揺られて、移ろいゆく景色を風景画のように心に閉じ込めていたいなー」
なんて、現状を嘆くことがあるかもしれない。


例えば働き方で言うとどうしてもフリーランスの

  • 時間自由、朝7時くらいから仕事始めて、昼過ぎには全て終わってます!

  • 旅先で軽く仕事したり、ワーケーションしたりするのが好きです!

とか、「自由」であることにばかり、焦点が当たる。


「明日から自由ね」なんて言われたら、何したらいいか分からない


でも、本当に自由を行使しようと思ったら、その自由さがかえって不自由であることに気づくもの。

  • 時間制限なし、トークテーマも無し、とにかく場を繋ぐトークをしてください

なんてことを言われた時、

  • やった!めっちゃ自由じゃん!好きなこと喋れる!

って思う人よりも

  • 無茶振りすぎる。何喋ったらいいか分からないよ

って思う人の方が多い。


ほら、自由はかえって不自由だ。



自由=選択権があること

じゃあ、みんなが自由を求めるのは何故なんだろうか。

  1. 朝決まった時間に集合する

  2. 学校での勉強、会社での仕事を決まった時間に行う

  3. 決まった時間に昼食を摂る

  4. 決まった時間に学校もしくは会社を出る

  5. 決まった時間に寝る

こう見るとすごいな笑
自分であげた5つの項目を読んでるとロボットみたいだ笑

それは置いといて、集団行動を営む以上不文律になっていたものを言語化しないと集団として必要最低限のパフォーマンスが発揮できない。


夜型だからといって、深夜2時に学校で授業を受けたいと言われてもそれに付き合わされる先生は大変だ。

だからと集団では一定のルールが運用されそこに合わない人は自ら集団を去る。


自らに適用されているルールが自分のスタイルに合わない時、人々は自由を行使しようとする

つまり、自由とは

自分の適用されるルールを自分自身で選ぶことが出来ること



自由を生み出す創造性に打ち勝つことが出来るか


この「自分自身でルールを選ぶ」というのが難しいと感じる人が多いだろう。


さっきの例で言うと、決まった時間に集合し、決まった時間まで活動し、決まった時間に次の行動に移る。

ルーティン化してしまえば半自動で一日を過ごすことが出来る。

頭を使わなくていいし、とても楽な作業。


ワタリドリが生活環境を一斉に変えようと移動する中、自分だけその流れに逆走するのは難しい。

流れの隙間をかいくぐって逆走しないといけない。
周りの反発もある。
このワタリドリはきっと今後の生活が心配だ。
一人で餌場を見つけないと行けないし、
一人で冬の環境を生き抜かないといけない。

こんな状態では一向に楽にならない。


追い求めた自由より、これまで通りの不自由の方がいかに楽に生活できたか分かる。


それでも僕はきっと自由を求めるけど

不自由だってそんなに悪いものじゃない。


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