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地球は丸いのか平面なのかという話が一時期流行っていたが、確かにこの世界がどうなっているのかを考えるのはとても楽しい。そういう話は大好きだ。無限にできる。誰か付き合ってくれ。

巷では実際の形は半円状でその下半分には別の世界が広がっているとか人間は金を採掘するための労働力として、すごい文明の異星人が遺伝子操作で作ったなどとフィクションよりもフィクションみたいな話がとても多い。

 僕は施術が好きだ。整体が好きだ。言ってしまえば人体、人間という生き物が好きだ。

「この世界の真実を人体を軸にして掴みたい」
そんなことについさっき気づいた。だからかなりテンションが上がっている。
しょうもない冗談をいうこともあると思うが、ハイになってしまっているので許して欲しい。

世界はどんな形なのか、どんな風景なのか、どんな色なのか。
この世界の全容を「人体」を探求することで掴みたいと思っている。

施術の何が好きかというと、この世で最も美しいことをやってる気がするからだ。僕は美しいものが好きだ。
綺麗な景色、綺麗な絵、綺麗な字、綺麗な所作、規則正しい機構、カラクリ。
その人らしい生き方。綺麗だと思う基準は不明だが、とにかく美しいものが大好きだ。

その点施術、整体は最高だ。堪らない。身体に込められている意図や深みを考えるだけで飯をたくさん食べれる。

身体を軸、入り口にしてその構造やシステムを施術を通して体感できるところがたまらなく好きだ。夏場に食べるカレーの後に飲む水より好きだ。

そして身体は物質的要素と非物質要素を併せ持っていて、かつそれが世界の仕組みや構造にもフラクタル的に繋がっているところも大好きだ。

身体という小さな世界を通せば世界の真実が手に入れられるのではないかワクワクする。施術を通して身体に触れることで、自分から世界の奥深くの何かに直接介入しているような気がして興奮する。

この高揚感は何者にも代えられない価値があると確信している。

そして仕組みや構造は「そうなっているもの」であり変わらずそこにあり続ける僕は科学的に説明できないがそうなってしまっているこの身体というものにとてつもない愛情と美しさを感じる。

理由とかそういう小手先の話ではなく「そうなっているのだから仕方ない」というのがとてつもなく好きだ。

運命というのは良くも悪くもその人の人生を大きく左右する。時には納得のいかないものも多いだろう。挫けそうになってしまうこともある。僕もそうだ。そんな時に、理由もわからず「そういうものだ」と言われたら明日の朝起きることはとても困難になるだろう。

だがしかし「身体」というこの小さな宇宙はなぜだか知らないが勝手に心臓が動いている。勝手に血液が流れ、食べたものが栄養になっている。具合が悪ければ熱が出て強制的に休ませようとしてくる。

こっちが頼んだわけでもないのに、休んだ方が良かったり異常があったら症状として事前に知らせてくれるのだ。身体とは「命を繋ぐ」ことに特化した、なんだか不思議な機構を持つ愛情あふれる物質なのだ。

これらを理解するには解剖学や生理学など多種多様な学問がある。医療に従事するものであればこれらを用いて人を治療するために長い間勉学に励むのだろう。

だが医者とは狭き門である。
医学部と聞けば「すごいね」という感想しか出ないくらいにはすごいところだ。

しかし考えても見てほしい。我々は医学を修めるずっと前から、心臓の鼓動を聞き、腹が減ったら食い、疲れたら寝るといったようなことを誰に教わるでもなく完璧にこなしてきたじゃないか。

心臓を動かす練習をしたことがある者がいれば挙手してほしい。

何も知らなくてもすごいなって思うのに知れば知るほどなんでこんな完璧なのかわからないくらいには実は身体というのはとても精巧に創られている。

「なんだかよくわからないが完璧」これ以上頑張りようがない。
僕はこの身体の機構をとても優しく、愛情深いものであると思う。

そして僕が大切にしているのは良くするというより元に戻すということだ。
「身体は完璧である」というのを疑う必要がないのだからこちらが手を加えてなんとかする必要はないのだ。僕はここにとても救われている。

自分なりに社会に馴染もうとしたができず、不貞腐れて引きこもることしかできなかった。自分には足りないことばかりで人より努力しなければいけないと頭ではわかっていたのに、身体がどうしても動かなかった。だから余計に自分はダメだと責めることでしが自分を保つことができなかった。

だが、どうやら身体というのは完璧らしいぞ?と知ってから、こっちが努力する必要はなくてただ元々あった状態に近づけるだけでいいんだ。僕には何かを付け足すよりも前に、そもそも備わっている特技があるのかもしれない、と思うようになったのだ。

「身体」という存在に神様がどんな意図を込めたかは知らないが、僕はここからどんな自分も大切な自分だ、だからそのままでいいんだよというメッセージが「人間」という存在そのものに込められた気がして嬉しくなった。しかもそれを理解するために頑張る必要はなくて「だってそういうものだから」済ませていいということ。

自分がやりたいことのためにやりたくないことをやるとか、向き合う必要のあるものがあるというのは今回は書かないからな?そこはよろしく頼む。

構造や仕組みを把握して動くというのは動きはとても滑らかで美しいらしい。
実際、武術や格闘技など、身体を極めている人たちが見せる動きというのは無駄がなくてとても綺麗だ。機械仕掛けの時計やからくり、ピタゴラスイッチなども、見ていてとても気持ちがいい。

ということはつまり「人間」とはとても滑らかで美しいということだ。
構造通りに使う、構造の通りに生きる、仕組みの通りに生きる。
そういう動きを見るだけで心洗われるのだから、人間という存在が美しいものであるというのは疑う余地がないものであると思っている。

そしてここに「精神」が加わることでより一層の厚みや色味が生まれ情緒豊かで官能的な存在がここに生まれる。

僕は施術を通して「これ」に触れられる瞬間がたまらなく嬉しい
これだけ書いてきたのに「これ」のしっくりくる言葉が見つかっていない。
これは今後のテーマとしておこう。

「これ」にもっと触れるため、より深く探求するための出会いや経験を今年はしたい。

とてもシンプルで、そういうもので何よりも美しいもの。美しいものが大好きだ。滑らかで機構的で規則正しいものが好きだ。
1つ分かれば全てわかる。コツさえ掴めばなんでもできる。
だから基礎が大好きなんだ。基礎は何よりも美しいものなんだ。

この分野における基礎とはなんだ。
一生変わることのない絶対的な基本とはなんだ、どこにあるんだ。
基礎基本をどれだけ追求探求できるのか。

そして、この世界における基礎基本は僕は「身体」だと思っている。
この世界の真実を人体を軸にして掴みたい。そのために自分らしく生きていく。

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