竹内晶貴/五感をフルに使うサイキック整体

元引きこもりのサイキックな整体師。 五感を最大限に活用し「治す」より「整える」施術を行…

竹内晶貴/五感をフルに使うサイキック整体

元引きこもりのサイキックな整体師。 五感を最大限に活用し「治す」より「整える」施術を行います。 身体と心の繋がりを「整体」を通してお伝え。 腰痛や肩こりなどわかりやすい症状を例に記事を書いていきます。

マガジン

  • 感性の扉

    自分の五感を最大限使って文章や詩のようなものをまとめていきます。写真だったりピアノだったり、そう言ったものから得られたインスピレーションを形にする部屋です。

  • 身体と心の繋がり

    「整体」を通して身体と心の繋がりをお伝えします。腰痛や肩こりなどの具体的な症状から、日々のストレスなどの精神的な部分から幅広く、まとめていきます。

  • 過去記事

    新たな気持ちでnoteに取り組む前の日記です。 感情を「発散」のために使うことも多く、少し恥ずかしい感じになってます。

最近の記事

心に虹を描く 〜葬送のフリーレン展にて〜

葬送のフリーレン展に行ってきた。 好きな作品のイベントに出るというのが実は初めてで、どんなもんかとワクワクしながら行ってきた。 今までは良くも悪くも真面目すぎたのか、こういう「遊び」のために休日を使うということを全くやってこなかった。 施術が好きであるのは間違いないが「好き」の矢印があくまでも「施術」というものが軸だったので、どこか仕事チックになってしまっていたのが普通だった。 この作品においても施術のヒントになる部分はたくさんあるが、純粋にただ好きだから行くという目的

    • 光へ 〜サイキック整体について〜

      サイキック整体と名乗ることにようやく慣れてきたかなぁという感じです。 おっかなびっくりで始めたことが今では名刺やHPを作り、全く知り合いじゃない方に、自分の施術を受けてもらうという、1年前では考えられないことが起きています。 そこで「サイキック整体」とはなんぞやということを改めてまとめたいと思います。 XなどのSNSで気になっている方や、どういう施術をするのか気になる方にも届けばいいなと思います。 まずこの施術の「核」となる部分をご紹介します。 ・意識と無意識を「身体

      • 重力的目眩:自身への帰還において彼の内宇宙に生じた摂動

        「今の内から強く自覚しておいて欲しいのは、自分が「先駆者」であるということ。今後この施術が広がっていくことで、変なことを言ってくる人が出てくるかもしれない。そういう時「脳」はここぞとばかりにスイッチを押して「統合」させないようにしてきます。」 「この世界で一番最初に傘を使った人はたくさんの人にバカにされました。だから一番初めの人というのはどうしたってバカにされたり変なこと言われます。」 「「脳」にとっては「魂」に近づかれることが嫌なので、それは心配だったり不安だったり怒り

        • 「0」の位置で「孤高」を味わう

          上京するキッカケになった人に1年ぶりに会いに実家に帰った。 なんというかとても久しぶりで、どんな話しようかまとまらないまま来てしまった。 前の会社を辞めたこと、平日はバイトしながら活動していること。 ちょっとずつ広まってきたこと、開花しつつある能力のこと。 限られた時間の中で全てを語るのはとても難しく、箇条書きでまとめるに留め、あとは己の感性に従う形でぶっつけ本番で楽しんでしまおうと思った。 実際にお会いすることで喜びが爆発してしまい、とにかく楽しくって仕方なくなったの

        心に虹を描く 〜葬送のフリーレン展にて〜

        マガジン

        • 感性の扉
          5本
        • 身体と心の繋がり
          2本
        • 過去記事
          5本

        記事

          春風 

          先日参加してきた勉強会で、自分が行う「シゴト」について改めて考えてみようと思った。 そもそも「シゴト」とは何かっていうことをあんまり分かってなくて、参考になるのは学校の先生とか両親とか、知り合いのお兄さんとか身近な大人を見てなんとなく捉えるくらいだった。 学校がある日よりも休みの日の方が楽しそうというのは大人も自分も変わらないのかなぁとかそれくらいだった。 高校を卒業して実際に社会に出ると、今まで出会ってきた大人たちの言うことがよくわかるようになり「なるほどこれは死にた

          羅針盤の示す方へ

          先日参加したランチ会から「音」という認識が生まれたことで一気に世界が広がったような気がしている。 そこからたった数日で幾つもの気づきが生まれ、なんだどうしたと行った具合に嬉しい悲鳴をあげている。 今回は新たに得られた「音」への認識と、独自の解釈まで落とし込んだ内容をまとめる考察回とする。 先日施術させていただいた方からの感想で「充実している感じ」という言葉をもらった。普通施術といえば「軽くなった」「痛みがない」というような、施術前と比べて「楽になる」という感想が多いはず

          愛を込めて花束を。

          心身の変化を通して人が変わっていく様子を目の当たりにすることが「喜び」であるという自覚が芽生えてきている。 どっちが施術を受けて救われているのかわからないくらい、出会いを通して自分という存在の解像度がどんどん上がっていくのを感じる。 還元しなければと思うことも、守らなければと思うことも、申し訳ないと思うことも少しずつ減り、もらったものを背中を押す力に変えて、らしく歩いていくという気持ちになることが当たり前になってきた。 離れられることの辛さを誰よりも知っていたけれど、自

          フリージア 〜根源的な「傷」に感謝と慈しみを〜

          自分の施術が良いなって思うのは、内面での葛藤や傷などを身体の症状(腰痛や肩こり)を通して向き合えるということ。 身体の痛みは言えても、心の傷や痛みは言いにくいし、自覚もしにくい。 だから身体は「症状」という形、声に変えて、本人に気づいてもらえるように工夫するわけだ。 ⭐️自覚症状をクッションにして、本丸となった内面的な「情動」にアプローチできるのが基本であり最大の強みであるとも思う。 ここまで言語化できたのはこれまで施術を受けにきてくれた方や、アドバイスをくれたみんなの

          フリージア 〜根源的な「傷」に感謝と慈しみを〜

          落差ジャンキー 〜存在価値と施術〜

          ここ数日で、自分にとって大きな気づきというか「まだ解消されてないんだ」と思うような情動があった。 そこへの自覚と、施術によってまとめたいことがあるので書いていこうと思う。 施術を行う上で、自分は一体何をやっているのだろうと意識した時に、結構ボヤッとしているなと思った。 というのも「整体」という文字に含まれる意味や一般的な意図から外れたことをやっているので、定期的に自分のやっていることを再定義しないとあらぬ方向にいってしまうのではと思うからだ。 自身の活動に適切な器を用

          落差ジャンキー 〜存在価値と施術〜

          理解・分解・再構築

          そういえば、当たり前のように「治る」とか「整える」とか言ってきたけど、そもそもどういう意図と境界線で使い分けているのかが曖昧だったなと思った。 良くも悪くも、発展途上中というか、日々変わり続けているので、自分が一体何をどこまでやれるのかがわかっていない。 なので「今の自分ができること」と「それは流石にまだ・・」と感じることを再度文章にして明確にしていこうと思う。 その前に竹内晶貴にとっての「なおす」「ととのえる」とは何かを再定義する。 辞典上でのそれぞれの「なおす」に触

          雲を創り、運び去る風のように

          目に見えている景色や触れているものがふと「これは虚実なんじゃないか」と感じる瞬間がある。 そういう時は大抵「箱」の外からそれを眺めているような感じで「観察」している。 レイヤーが変わるというか境界線上に立ってるというか。 ここが行きすぎたり変に突き詰めたりするといわゆる「死」というものに繋がっていくのかもしれない。 とても仲良くしている友人が急逝し、その葬儀に参列してきた。 本当に突然のことで、とにかくびっくりした。 小学生の頃に祖父祖母の葬儀に参列することはあったが、

          春分を迎えて 〜自分をもてなすプロになる〜

          3/20は春分の日。 特に思うところもなく、休日だなぁくらいにしか思っていなかったがどうやら「暦」という視点で見ると結構大事なタイミングらしい。 しかも12:06分というタイミングで春分を迎えるらしく、その切り替わりをどう過ごすかで向こう一年の実りが変わるとか変わらないとか。 ちょうどこの日を迎える数日前に春分の日というものの意味を図らずも聞いてしまったことで何か意味があるのかと思い、意識して今日を迎えた。 今日1日の中で得られたこと気づいたことなどかなりあって興奮して

          春分を迎えて 〜自分をもてなすプロになる〜

          魔法は自由であるべきだという話。

          以前友人からサビアンシンボルというものを教えてもらったことがある。 そこに書いてあった自分のシンボルの中に、印象的な言葉がたくさん書いてあった。 そのシンボルにはそれぞれ名前がついていて、僕のシンボルは 「雲をつくり運び去る風」と言うやつだ。とてもカッコよくて好きだ。 その中には、今の自分が目指していたり、まさにやっていることについて解説されいてる。この話を聞いたのが昨年の11月だったから大体3ヶ月くらい経っている。 丁度「自分を肯定するために必死になる」と言う器が満た

          魔法は自由であるべきだという話。

          自分のためからそれ以外の変遷

          先日突然「あ、これが知りたかったのか」という感覚がありました。 というのも「施術」において自分なりの理論というかある意味「理」のようなものを掴めたような気がしたからです。 僕にとってのそれは「症状」とは「希望の橋」であり、現在の状況を反転させる鍵であるということ。 しかもそれを、フラクタルを説明する動画のように、どんどん自分から離していくように視点を遠くにすると「自分たちが生きている世界のルールに則った形で必要なメッセージを不調や違和感という形で身体に表現する」という、

          備えあればなんとやら

          泥中の蓮というのが好きで、自分の理想のイメージとして思い浮かべる時がありますが、実は字面だけ見て好きになったので意味は知りませんでした。 どうやら「煩悩や誘惑が多い世の中にいても自身を清らかに保つこと」という意味らしく、僕のイメージするものと少し違いがありました。 これだと「蓮」そのものは美しくて汚れがないという意味になります。 だから「汚い泥なのになんて綺麗な花が咲くんだ」みたいな感じなのでちょっと齟齬があるなぁと思いました。 僕のイメージは「煩悩や誘惑に魅せられたと

          やり抜いた先に見えるもの

          ある程度のところまでたどり着いたような、そんな気持ちになっている。 なんだか力が抜けたような、これからどうしていこうかとそんな感じだ。 症状とは「希望の橋」のようなもので、一見マイナスにしか見えないこの要素は実は少しの閃きと仕組みを認識することで希望の鍵になるという土台を見つけた。 この次元に合わせた形でのメッセージとして症状を用いて身体が伝えてくるのだという自分の説に納得している。 この認識を持ち、声を聴くという前提で身体に関わるなら、とても良い施術ができるという確信