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怒られる大切さ


こんにちは、MASAです。
最近は、コーヒーに黒糖を入れて飲むことにハマっています。

突然ですが、皆さんは今も誰かに怒られる機会ってありますか?
パワハラっていう言葉が浸透し始めて、「怒る」ことへの見方が
めっちゃ変わったと思います。
形勢逆転じゃないけど怒る側が悪者にされがちやなって。

怒られるって誰もが経験するし、親、友達、先生、先輩、上司やったり
僕自身めっちゃ怒られてきました。シンプルに自分が悪いことしたからってのもあるし、逆に理不尽に怒られたこともあります。
もちろん、怒られるってええ気持ちにはならへんし、むかつくこともあると思うけど年を重ねてるにつれて怒られる機会ってめっちゃ減るんやなって
感じるのと、怒ってくれるってありがたいことで軌道修正をしてくれてるんやなって思うようになりました。

怒ってる場面を見ると怒られとる方に注目されて大変そうに見えるけど、
実は怒ってる方がめちゃくちゃしんどいんかなって思います。実際、怒るってめっちゃエネルギー使うし、ええ気分にもならへんから怒る側にもメリットはあんまないのに怒るってことはその人にめちゃくちゃ思いやりがあるんやなって今となって感じてます。やから「怒られる」って実は自分を見つめ直す、いいきっかけなんかなって思います。自分の進んでる方向が
どうなっているか、横道にそれてへんか確認ができるものだと。

個を尊重していくのはいいけど、めっちゃ紙一重なこともあるというか、
モラル、コンプラ、ルールが存在するから何しても、何を言ってもええわけではないし。
もちろんそんなんみんな知ってはいるけど、その一言で傷つく人がおるのを理解してるんかなって。自分が言われたときどう感じるんか考えてるんかなって。
それをちゃんと理解するには誰かに「間違ってる」って怒られないと
次につながらんというか、その行動が間違ってるって気づくことができへんからまた同じことをしてしまう。その繰り返しになってくると思います。
そういうのっていつか自分に返ってくるし、損してしまうんかなって。
反対・批判するにしても言葉も選んでいこうよって感じますね。

他の言い方やと、
物事にしても失敗してわかることがあるのと一緒やとおもう。

こんな記事を書いてるけど、僕自身もたまに言葉選びを間違えますが、
めちゃくちゃ気を付けてます。
気を付けるようになったのも怒られたのがきっかけでした。


個人的に綺麗な言葉があふれる世の中になってほしいなと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。





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