見出し画像

無拠点女子(訳:行きあたりばったり女)~肩書きではなく、行き当たりばったりの「きっかけ」で人生を前に進めていく~

「私はフリーランスでライターしています!」
「意を決して会社を辞めて、北海道に移住しました!」

そうやって、自分をブランディングできる人ってかっこよく見えませんか?


そして、

りこぴんこと三川璃子さんも「無拠点女子」というブランドをもって活動する1人です。

ブランディングをしている人ってそのブランドイメージのために軸をもって頑張っているイメージ。


でも、りこぴんさんは自分のことを「『無拠点女子』訳:行き当たりばったり女」と訳しました。


今の『無拠点女子』がつくられた背景には何があるのかを探りながら、「自分だけのブランドをほしい」「自分の軸を見つけたい」進みたいけどもがいている人にきっかけをプレゼントしたいと思います


まずはりこぴんさんってどんな性格なんだろう?幼少期から掘り起こしてみることにしました。


Ⅰ.りこぴんさんの学生時代



人見知りしない性格が、周りの顔色を伺う性格へと変わった中学生時代。



ーー幼少期のことを教えてください!

一言でいうと負けず嫌いでした。男の子にも負けたくない意識が常にありました。

騎馬戦では男の子の騎馬を次々と倒す、伝説の騎馬戦女子として巷で有名になりました。(笑)
はっきりものごとを言える方だったし、学級代表もやって、目立つことに抵抗はなかったです。

先頭に立って動くことが好きだったたりこぴんさん。そんな太陽のようなりこぴんさんに、雨を降らす出来事が起こります。

あれは中学3年生になった頃でした。
私は先輩が卒業してソフトボール部の部長になりました。ポジションは「3番・ピッチャー、キャプテン」。
9人しかいない中で、正直監督に気に入られてました。
多分それが気にくわなかったのか、8人にボイコットされたんです。
「りこが部長なら練習に行かない」
って。
ひたすら無視される毎日。
私は耐えられなくなってストレス性の胃腸炎になりました。学校にも行けなくなりました。


このボイコット事件をきっかけにりこぴんさんは「リーダー」として前に立つことがなくなり、周りの顔色を伺うようになりました。


カナダ留学で捨てられたプライドと、得た自分らしく生きる考え方



ボイコット事件をきっかけに挙手を全くしなくなったりこぴんさん。高校に入るころには自分らしく生きる道を閉ざされていました。

りこぴんさんは高校時代をこう振り返ります。

本当に何もしてなさすぎてあまりに記憶にないんです。
受験も自分の行きたい関東の英文学科に落ちて、滑り止めも落ちて。
地元の短大の英文学科に入りました。

あまりに恥ずかしくて海外逃亡を計画して、
カナダのバンクーバーに初海外・初留学をしました。


ーー留学で何か変わりましたか?

180度変わりましたね。大きく変わったことは2つで、
①プライドがなくなったこと
②自分らしく生きる価値観を知れたこと

です。




①プライドがなくなったこと
カナダは多国籍で、アジアの人も南米の人も誰振り構わずみんなと仲良くしてパーティーしてました。
ふるいにかけずにみんなウェルカムする雰囲気を感じて、「自称進学校なのに大学落ちた」というプライドがちっぽけなことに思えました(笑)




②自分らしく生きる価値観を知れたこと
カナダは時間の流れが全然違って。スタバがコロナとか関係なく18時に閉まるんです。
私は「学校終わりに勉強しに行けないじゃん」と思ったんですけど、海外で働く人たちってみんな「休むこと」「遊ぶこと」を第一に考えてるんです。だから従業員も夜遊べるようにきっちり18時にお店も閉まるし、残業もしない思考の人が多いんです。



カナダの人は「家帰ったら家族と遊ぶんだ!」って決めて生きてます。日本はちょっと遊ぶ思考で働く人少ないですよね?いても休日のこと考えるくらい。私も毎日仕事ではなくて、遊びに注力できるような人たちになりたいと思いました。
だから海外で働ければ同じようになれると思い、外資の飲食企業に就職しました。


カナダで得た「自分らしく生きる」価値観。を胸に社会人になったりこぴんさん。
待っていたのは理想とはほど遠い社会人生活でした。


Ⅱ会社員~フリーランスになるまで



体の異変と占いをきっかけに会社を辞めた。


朝6時~夜12時まで働いてました。店頭に立つし、商品の企画の会議にも出る。なので朝福岡から会議しに飛行機で東京に行って帰ってきて。次の日また朝6時から店舗に立っていました。


ーーカナダ留学とはかけ離れた生活ですね。

はい。それでも充実していたと思います。
福岡に配属になったんですけど、休みは外に出て福岡の知らないところや美味しいごはんを食べに行けてました。仕事に不満もなかったですね。

留学時代に思い描いていた「自分らしさ」とはかけ離れるも、充実した社会人生活を送っていたりこぴんさん。そんなりこぴんさんに体がSOSを出します。

10㎏痩せました。
ふと思い返してみたら1日1食しか食べてないし、そういう働き方はしてたと思います。あと、福岡はよかったけどもっと転勤できてもいいと思っていました。
だから
①自分の意思で移動できる仕事
②自分で時間を管理できる仕事

がいいなと思い始めました。

でも、自分で決める勇気がなくて、大分にある占い屋さんに行きました
占い師さんに「表情筋が死んでるから早く辞めた方がいいよ」って言われて、辞めました。


ーー意外です!「私の意思でやめるんだ」という強い気持ちで辞めたんだと思ってました。

決めるの苦手で(笑)。後一押しが欲しかったんですよね。実は最近までお休みしてたんですけど、休むのも人に相談して決めました。
今も思うんですけど、全部自分で決めようとしなくてもいいと思います。
自分で決めなきゃと思うとしんどくなる時もあるので。


こうして、自分の体と占いにしたがって会社を辞めたりこぴんさん。ここから「無拠点女子」としての道を歩んでいきます。



Ⅲフリーランス~



成りゆきでなった「無拠点女子」



ーー「無拠点女子」はなりたいと思ってなったんですか?

実は違うんです!成りゆきですね。
大きなきっかけはただ1つ、家族環境なんです。私の家族は転勤が多く、離れ離れでした。
父:埼玉
母:仙台
弟:札幌
でした。だから、私が家をなくした方がみんなに会いやすいと思って無拠点女子始めたんです(笑)


ーー「無拠点女子」としてどのような活動を?



実は最初は旅がほとんどでした(笑)移動するのが楽しくて、旅8割仕事2割って感じで仕事してましたね。
長崎、タイ、などなど呼ばれたらどこにでも行ってました。
でもそのおかげで自分のブランディングができたんです。
「ちゃんと無拠点女子やってまーす!」って。

ーー意外とサボりですね!



やらないんです。そこまでストイックじゃないんで(笑)
フリーランス養成講座の時に、誰にも負けたくなくて初心者でも十分な金額稼いだら安心しちゃったんです。スキルにあぐらをかいてました。


自分のキャパ以上のイベントを開き、イベントをやらなくなった。



2019年11月、フリーランスになって3か月目のことでした。


参加者が30人、1人3,000円の参加費を払ってもらって、飲食もつける初イベントを1人でやったんです。
それで参加者やお世話になった人に迷惑をかけてしまいました。


もうとにかく1人なんで、ファシリテーターやりながら、受付やったり、配膳したり、段取りはひどかったと思います。そんな私が手が回っていないときに、周りの人に迷惑をかけてしまいました。


・結局ゲストがファシリテーター役にまわってしまったり、
・友人の参加者が受付担当をしてくれたり
・飲食の配膳をしてくれたり
と助けながらイベントを終えられたんですけど、参加者とゲストの皆さんに対してすごく申し訳なく思いました。




自分の力量を知らずやってしまったことに、とても悔しい思いをしました。



それがトラウマで11月からイベントをやらなくなりました。フリーランス最初の大挫折でしたね。




講師の話が来て、メディアに出演し、ブランドを確立していく。


失敗はありましたが、ありがたいことにも2020年になって、講師をやってほしいと依頼されました。
「このままじゃ講師なんてできないぞ」と思ってがっつり仕事したんですよね。
旅8割での生活→仕事に少しずつシフトしてひと月で20万ほど追加で案件を受注しました。


そこから順調に講師の仕事が来て、取材を受けたり、テレビにも出たりして、少しずつ目立つようになってきました。


そんな「無拠点女子」としてのブランドが出来上がってきた矢先、りこぴんさんの身体に2度目のSOSが出ました。


移動生活とパンパンスケジュールで出た、2度目の身体SOS。

フリーランス2年目、講師業や取材、イベント業が順調に進んできていました。
その分スケジュールもパンパンで、毎日仕事で移動して、毎日寝る場所が違うような生活だったんです。
あとは講師やイベントで人前に立って話す機会が多くなって、しんどくなっていたのも正直あります。
自分自身、前に立って自分の経験をシェアするのは好きなので、あまり気づかなかったんですけど、身体に異常反応が出て気付きました


「フリーランスって休むとどうなるんだろう、ブランドをそのまま保てるんだろうか」って不安もあったけど、徐々に心も廃れていったので休むことにしました。


参考


ーー辛いですね。なんだか僕まで心が痛くなってきました。

挫折はこれまでもたくさんしてきました。
一旦無拠点女子活動、フリーランス活動を休んだら、人に会うの怖くなったんですけど、最近地元の北海道に戻って、素敵な人に出会って回復しているところです。また少しずつ新しい人に会って、色んな土地に行って開拓していきたいと思います!

*****🍵🍵🍵************************

今回インタビューをして、無拠点女子と名乗りながらも、中身は日々プラスにもマイナスにも変化しながら、「行き当たりばったり女」で生きる、三川璃子さんなんだということがわかりました。

・練習をボイコットされ、人前に出れなくなったこと
・「No」と言える海外で得た、自分らしく生きる価値観
・体が悲鳴を上げたことで気付いた自分の異変
・占いに行くことで退職を決意できたこと
・家族環境がきっかけで名乗り始めた無拠点女子
・講師業を依頼されたことにより上がったモチベーション
・仕事が増え、移動生活で身体に2度目のSOSが出る


それらはすべて自分が起こしたわけではなく、「起こった」イベントなんです。


生き方を自分で決めて前に進むのはかっこいいけど、
何かきっかけがあって、その反動で前にも後ろにも進みながらもがいていく。
そんな人生も僕は立派だと思います。


人は環境によって変わっていく生き物。暗い性格だって、1つ環境が変われば明るくなるのです。


「肩書きがなくても軸がなくても、やりたいことがなくて、足踏みしていても、あなたは今素敵なんだよ。」


りこぴんさんのエピソードをきっかけに、

今もがいている皆さんが「きっかけ」をつかむことを願って、今日はペンを置きたいと思います。


まーきち


*****🍵🍵🍵************************

りこぴんさんのSNSはこちら

Twitter(https://twitter.com/2Rikoko


ブログ


*****🍵🍵🍵************************

最後まで読んでくださりありがとうございました!共感したらスキ&コメントしてくれるとすごく喜びます😊


また、僕と話してみたいと思った方は

Twitter(https://twitter.com/ma_kichi6


Facebook(https://www.facebook.com/masato.sasaki.31508

まで、メッセージお待ちしています☺️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?