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「敗北の文化史を文化の運河に」

選挙に落選、事業に失敗、受験に不合格、就職氷河期、人生絶望地獄。マジ凹む。

しかし、この凹み、何かに使えんやろか?本当に、使い道は、なーんにも、無いのか?その凹んだ、その溝、負けた挫折感で、動かなくなって、そっぽ向いて、お互いに知らんぷりやけど、凹んだところには、水が溜まる。凹んでるから。これをたくさんたくさーん繋いでみたらどうなる?ただの溝が、水路になる。これは劇的な変化だ。

凹んでる奴がたくさんいたら、そこから爆発的なエネルギーが噴出してくる。まさかだが、そのまさかを起こす計画だ。マッサーカー元帥だ。

凹んだ溝が、水路となり、運河になり、船が通り、農地へ水を流し、作物を育て、鰻が回遊し、子どもらが遊びまくり、魚を釣り、水質検査をし、もちろん河童もそこに棲む。飲み水も、生活排水も、そこを通る。そんな文化の運河が、凹み同士が繋がる事で、生まれるとしたら、負けの意味も、敗北の価値も、全然違ってこないか?甲子園 一校以外 全部負け。この負けた全員が、凹んだまま、繋がって、水がそこを流れたら、人生の時間全部がゆっくりと音楽になる。負けの蓄音器にずっと溜まっていた時間が音楽になって溢れ出す。

負けが水路になる。負けに価値がある。集めて並べる。そこから未来がデザイン出来る。負けはサステナブル。

負けると呆然と立ち止まってしまう。だけど、その間しばらく、ゆっくりできる。勝ってしまうとそうはいかない。振り返ってる暇はない。負けると、後悔したり、振り返ったりする余裕ができる。ある意味贅沢。気休めでも、どうせなら気休めを胸いっぱいに満喫する。膨らんでくる勇気が必ずあると信じる。絶望を吸い込まない。絶望は無価値。負けた。途中まで掘って力尽きた。続きを誰も掘らなかった。そんな誰かの大事な溝、或いは凹み、その「可能性」を引き継ぐ。そこに水を流すために「敗北の文化史」のリサーチをする。

敗戦から創造された戦後の教育実践記録を読み直す。

なにしろ、この溝たちは、サイズも形状も材質も、向きもバラバラで、ジグソーパズルみたいには、完成する確約も完成図もない。漠然と目の前にいつもの世界があるだけ。その漠然とある世界に血脈を起こす様に、この敗北の溝を組み合わせて、敗北の歴史を作って、世界に埋め込む。

今回はリサーチを京都芸術センターと行うので、明倫小学校出身の小児科医、松田道雄を中心にリサーチする。

他にもいろんな事を調べてみたい。

大きな大きな、文化の運河の、河童曼陀羅を作る。

乞うご期待。

https://www.kac.or.jp/events/34437/

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