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漱石『草枕』と能

《夏目漱石「草枕」の世界》展*¹と能について書いておきます。
私は能は観始めて5年。お稽古をするわけでなく、観て楽しむだけですのでまだ深くは理解できていません。また漱石は中高校生時代に愛読していたのみで文学は専門エリアではありません。非常に浅い内容になりますが、今回は雑感を備忘録として記します。

9月15日、新宿区牛込の「漱石山房記念館」へ行ってきました。ここは漱石が晩年の9年間(明治40年~大正5年 1907~1916年)を過ごし、多くの作品を執筆した場所にあります。
出掛けたのはこの展示(《夏目漱石「草枕」の世界》展)を観たかったからです。チラシにあるジョン・エヴァレット・ミレーのオフェーリア*²の絵がとても美しくて惹かれたのがその理由でした。

漱石は熊本での新婚時代、妻の鏡子さんが入水自殺未遂するという事件があったそうです。そして東京では第一高等学校の教え子藤村操が華厳の滝に身を投げたという事件もありました。そうした水と死という情景がこのミレーの絵とが漱石の脳裏で重なったのかもしれません。小説『草枕』はどうやらそのような漱石の精神世界の中で書かれた作品であるようです。

*1《夏目漱石「草枕」の世界》展

*2ジョン・エヴァレット・ミレーのオフェーリア

1《夏目漱石「草枕」の世界》展

『草枕』はあの有名な
「山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹さおさせば流される。
 意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
で始まる小説で、1906年(明治39年)に『新小説』に発表されています。
私は漱石の作品は好きなので割と読んでいると思っていましたが『草枕』については定かではなく、今回展示をみてそのストーリーに記憶がないので読んでいないなと分かりました。冒頭の名文を知っていたのみです。

小説の舞台は熊本にある「那古井」という温泉宿です。実際にある熊本県玉名市の小天温泉の前田家別邸*³が主人公である画工の宿のモデルといわれています。漱石は熊本時代に家から歩いて向かい、宿泊した記録があるとのことです。
展示では、宿の娘「那美」のモデルとなった前田家の次女ツナで、その方と歌人白蓮との関係なども説明されていて実に興味深いものでした。

『草枕』は描写が絵画的で後世の画家を触発したようで、小説を基に描かれた草枕絵巻の複製本(1926,奈良国立博物館蔵*³)や絵本(2017,いとう良一*⁵)の展示もありました。絵巻物は葉山に記念館のある山口逢春ら複数の日本画家の手で書かれています。

『草枕』のモチーフとなった洋の東西をまたにかけた様々な作品、ワーズワースの詩「水仙」、孟浩然「春暖」、陶淵明、白楽天、若冲の《鶴》、などなど関連した作品が展示されていました。
明治の文化人の博学ぶり、奥深さを改めて知った想いです。
展示内容は、『草枕』で描かれる世界の醍醐味である漱石の、日本、東洋、西洋文明への芸術観に焦点を当てていました。

その中で目についたのが、私の趣味である「能」です。
これは少し調べてみようと、帰宅してから文献をあさってみました。

*3前田家別邸

*4奈良県立博物館 草枕絵巻

*5いとう良一『絵本 草枕』(2017)


2『草枕』と能

展示にあった『草枕』の中に出てくる能に関する部分は、第1章と第2章です。それについては後で書きます。
熊本の「金春流肥後中村家ホームページ」のなかの《能と草枕考Ⅱ(2011.6.16.)》*⁶にこんなことが書かれていました。

「(漱石は)作中に『しばらく此旅中に起こる出来事と、出遭う人間を 能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだろう。』と、第一節(次第、名乗)に予告していたのである。」

つまり、漱石はこの作品自体を「能」に見立てて描いたと思われるのです。
そして、実際文中出てくる能に関する記載は以下のとおりです。

●一章からの抜粋

(太字は筆者がつけたもの)
「一人の男、一人の女も見よう次第で如何ようとも見立てがつく。
どうせ非人間をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮らした時とは違うだろう。 
よし全く人情を離れる事が出来んでも、責めて御能拝見の時位は淡い心持ちにはなれそうなものだ。
能にも人情はある。「七騎落」でも、「隅田川」でも泣かぬとは保障が出来ん。
しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。
我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである。
しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだろう
まるで人情を棄てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎ付けたいものだ。

 曲「七騎落」は観たことがないのですが、鎌倉幕府を立ち上げる前の源頼朝のエピソードで、「頼朝は石橋山の合戦に敗れ、主従八騎となって船で逃亡を計るが、源家に於ては八騎を不吉な数とするので、土肥実平の子遠平を陸に残し七騎で落ちる。しかし遠平は、かねてから頼朝方に意を通じていた和田義盛によって救われる。」というものです*⁷。
漱石は土肥実平の、子との別れ場面を言いたかったのではないでしょうか。

もう一つの「隅田川」*⁸は私の好きな曲で、さらわれた子どもを探す母親を描いたものです*⁵。これは泣けます。

*6 熊本の「金春流肥後中村家ホームページ」《能と草枕考Ⅱ(2011.6.16.)》

*7 能サポ 七騎落 

 *8 能演目事典 隅田川


●二章からの抜粋

「二、三年前宝生の舞台で「高砂」を見たことがある。 
その時これはうつくしい活人画だと思った。
箒を担いだ爺さんが橋掛りを五、六歩来て、そろりと後ろ向きになって、婆さんと向合う。
その向い会うた姿勢が今でも眼につく。
余の席からは婆さんの顔が殆ど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。」

『高砂』*⁹は世阿弥の祝言曲です。杉箒を担いだ姥(ツレ)と、熊手を持った老人(前シテ)の姿は確かに清々しい美しさがあります。
草枕の主人公の画工は旅先の峠の茶店で爺さんと婆さんが向かい合う姿勢を見て婆さんの顔をうつくしいと思い、婆さんの顔から能「高砂」の老夫婦を連想するのでした。

●他にも・・・

また『草枕』には他にも能を思わせる記述がいくつかあるようです。
前述の「金春流肥後中村家ホームページ」《能と草枕考Ⅱ(2011.6.16.)》*⁶に、『草枕』には「鞍馬天狗」、「嵐山」、「紅葉狩」、「求塚」、「羽衣」といくつかの曲を暗示があるとされています。また、このHPの”中の人”が書いたと思われるまことに興味深い「能『草枕』?の編者なりの役席と構成」もあって、能楽師にとっても創作意欲を書きたてる作品であることがわかります。

また別のページには、《閑話休題 草枕と道成寺(2008.12.1)》*¹¹として、漱石と草枕と熊本、そして能に絡む話が、書かれています。後述する法政大学での新作能《草枕》に関する記述も見られます。

*9 能演目辞典 高砂 


3漱石と能

漱石は能を学んでいたらしいです。
二章には「宝生の別能会を観るにおよんで…」というくだりがあり、漱石は宝生流を学んでいたのではと思わせます。

奇しくも私はこの日、漱石山房記念館から水道橋の宝生能楽堂へ行く予定で、漱石もここから能楽堂に出かけたのかと思いを馳せたのでした。
明治時代も宝生能楽堂が現在と同じところにあったのか知りませんが、もし同じであれば歩ける距離ですから漱石はきっと牛込から神楽坂を下って水道橋まで歩いて行ったのではないでしょうか。

調べてみると、漱石は熊本の第五高等学校で英語教師をしていた時期(明治29~32年 1896~1899年)に、教頭の櫻井房記に習い、加賀宝生流の謡の稽古を始めたようです(馬場、日置、西野、2005)*¹⁰。「金春流肥後中村家ホームページ」《閑話休題 草枕と道成寺(2008.12.1)》*¹¹によると、この辺りのことは、田代慶一郎「漱石と謡」pp.161-201、『第5巻 漱石の知的空間』、三好行雄・平岡敏夫・平川裕弘・江藤淳編『講座 夏目漱石』全5巻(有斐閣)、(1982.4.25)に書かれているようです。

野上弥栄子は漱石の謡を「『メエ~』と山羊の鳴く声のよう」と語り、寺田虎彦は「べらんめいの巻き舌で、英語の影響を受けているらしくまともに発声できない」と語っていたようです。また師匠の寶生新さんからは「自分で節をこしらえてしまう」ともいわれたとか(馬場、日置、西野、2005)*¹⁰。つまりあまりお上手ではなかったみたいですが、お稽古には熱心で能の世界の美観に憧憬があったようです(《閑話休題 草枕と道成寺(2008.12.1)*¹¹》にはもう少し詳しく書かれている)。

*10 馬場、日置、西野「鼎談 漱石と能――新作能『草枕』をめぐって」(2005)、法政大学リポジトリ

*11 「金春流肥後中村家ホームページ」閑話休題 草枕と道成寺(2008.12.1)


4『草枕』と新作能

前出の資料、「鼎談 漱石と能――新作能『草枕』をめぐって」馬場、日置、西野(2005)*¹⁰は、なんと本学(法政大学)のリポジトリにありました。
これによると、2002年に法政大学で能楽研究所創設50周年記念として新作能《草枕》が創作、演じられ、2005年には国立能楽堂で再演されたとのことです。前述したものも含めて漱石と能についての記載もありとても興味深いです。

千駄ヶ谷の国立能楽堂にある資料室は小さな博物館のようで、能楽に関する資料が展示されています。そこでよく「法政大学収蔵」という出品を見かけますので、私は本学には能楽研究所があることはうっすらと知っていましたが、まさに灯台下暗し、不勉強でした。
この研究所は、正式名称を「野上記念法政大学能楽研究所*¹²」といいます。前出の野上弥栄子氏の夫で、東京帝国大学英文学科で夏目漱石に師事した野上豊一郎氏が文学部内に設置した能楽研究室を母体として1952年に設置されたとのこと。野上豊一郎氏は能楽研究者でもあり、1946-1950年法政大学総長を務めています。
野上夫妻は漱石が謡を「唸る」のを聞いていたんですね。

話が逸れましたが、新作能「草枕」はそうした背景もあって作られたのでしょう。この新作能は、法政大学能楽研究所所長西野春雄教授(当時。現法政大学名誉教授)によって書かれています(西野2004*¹³、馬場、日置、西野2005)。

まず、この新作能「草枕」の主要モチーフは、漱石の新体詩「鬼哭寺の一夜」*¹⁴であるということです。確かにこの詩は能に仕立てられそうな内容になっています。旅人が古い伽藍の中で夜を明かそうとすると枕元に女性の霊が立つというもの。
 「塚も動けと泣く聲に
 塚も動きて秋の風
 夜すがら吹いて曉の
 茫々として明にけり
 宵見し夢の迹見れば
 草茫々と明にけり」
目が覚めるとそこは草茫々の世界であった。

この詩をベースにして小説『草枕』の物語の世界を入れ込み作られたとのことです。他にも漱石の新体詩「水底の感」や小説「薤露行(かいろこう)」や「幻影の盾」が影響しているとのことですが、私はいずれも読んでいないのでよくは分からないです。そして『草枕』主人公の画工を詩人に替えて、峠の茶屋でお婆さんが語った「長良の乙女」の霊の物語を補助線として、「鬼哭寺の一夜」と重ねストーリーにして夢幻能として構成されているようです。

新作能『草枕』2002年の試演は、法政大学ボアソナードタワー26階のスカイホール特設能舞台で演じられています。
作詞:西野春雄
作曲・演出:浅見真州(観世流シテ方)
制作:能楽研究所・銕仙会
シテ:浅見真州(長良の乙女の霊)
ワキ:観世銕之丞(詩人)
囃子:笛:松田弘之、小鼓:幸正昭、大鼓:柿原崇志
地謡:浅井文義他銕仙会

また、2005年に国立能楽堂で再演されています。
ワキは野村萬斎さんが演じたようです*¹⁵。

また再演されないですかね。私はぜひ見てみたいです。


*12 野上記念法政大学能楽研究所

*13 西野春雄「新作能『草枕』の試演」(2004),法政大学リポジトリ

*14 夏目漱石 新体詩「鬼哭寺の一夜」(明治37年(1904)頃)

*15 野村萬斎ファンサイトより「新作能草枕再演」


5終わりに


今回は、漱石山房記念館での「夏目漱石『草枕』の世界展」を発端に、漱石~草枕~能について、調べてみて分かったことを備忘録として記述しました。
漱石ファンは研究者から市井の人々までたくさんいて、調べるほどにいろんな資料が見つかってきりがないです。
浅学の私には何もかもが目新しく、あちこちつついてみたという感じです。こうして探究していくと漱石の『草枕』という作品はほんとに奥が深いですね。これから一つひとつ読み解いていくのも楽しい時間になりそうです。
今回はひとまずここで筆を止めることにします。


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