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フィナンシェ・ナチュール

このまち、東彼杵に来て3年になった。
恥ずかしながら、3年前まで、ほぼ来たことがない町だった。

コロナが社会におおきな影響を与えていたころ、故郷長崎のお茶の名産地として観光で訪れたことがあって、その時の投稿した自分のInstagramにはこんなことがかいてあった。

「ここらへんに住めたらな、とか思ったり。ここら辺でお店できたらな、とかおもったり。」

この投稿の一か月後にはこの町に引っ越して、3年経った今で、本当に開業したから不思議なものだ。

引っ越すきっかけになったのは森さんの存在だ。
転職して何をやるのか、とかよりも、この町にきて、森さんやその周りの方と、生きていくのが面白そうだなと思ったからだ。

そんな森さんが、好んで食べてくれるのがフィナンシェだ。

初めて作ったのは専門学校の頃。就職して1年目は、作ってみたいけど、新人だから生地に触ることもできず、作り方をずっと横目で見ていた。その願いが通じたのか、2年目に焼き菓子部門に異動になって、作らせてもらえるようにはなったものの、なかなか上手く調整できなかった。でも焼き菓子部門に異動したことが、とてもうれしかったのを覚えている。

そこから何年か経ち、東彼杵に来た当初は、パティシエっぽい仕事はなかったけど、なんでだったかフィナンシェを焼いたときに森さんがえらくほめてくれた。そのあと、販売用に出してからも、「おい、こいがすきー。」とニコニコしながら買ってくれる。

作るのも食べるのも好きな、このお菓子をほめてもらえるがとてもうれしい。
「お菓子をつくる」こと自体がすくなくなって、自分がパティシエであることを忘れてしまいそうになっていたが、何かとこのお菓子が思い出させてくれた。

今となっては、どの時のレシピが基になっているか定かではないし、きっとこれからも少しづつ変わっていくと思う。
お菓子作りの歩みとともに、すこしずつ。

人生の中で、今が一番お菓子作りが楽しい。
それは自分の厨房でできることとか、自分のすきなものを作れるというのがおおきいのだろうけど、自分が最初から最後まで作っているから、自信をもって自分のお菓子ですと言えるのもあるだろうと思う。

辿らなかった未来を考えても、どうなっていたかもなんて想像もつかないけれど、確実にいえることは、あの時森さんに出会っていなかったら、東彼杵にも来ていないし、お店を作るに至っていないと思う。

フィナンシェというお菓子に感謝している。
ずっとそばにいてくれるような、道しるべになってくれるようなお菓子だ。

森さんにニコニコしながらずっと買ってもらえるように、もっともっとおいしく作れるように頑張りたい。



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