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長崎県東彼杵郡東彼杵町にて、お菓子屋さんをしています。 作る物に想いを込めて、想い出を…

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長崎県東彼杵郡東彼杵町にて、お菓子屋さんをしています。 作る物に想いを込めて、想い出を綴ながら、お作りします。 こちらに出てくる商品は、お店やオンラインでお買い求めできるようになっています。 店舗は長崎県東彼杵Sorrisoriso・Tsubame Coffee内。

最近の記事

甘ぇかしバナナパウンド 

バナナブレッド、バナナケーキ、バナナパウンド。 いろんな呼び方がされるということは、いろんな国で作られていて、好きな人が多いのだと思う。 アメリカにはナショナルバナナブレッドデーというものがあるらしい。 僕は火の入ったバナナが好きで、二十歳くらいのころから、たまにバナナパウンドを作っては、少しずつ食べていた。僕にとっては、とても日常的なおやつで、商品として出したことは、このまちに来るまでなかった。 福岡にいる頃、世界的な流行り病で、僕が働いていたカフェも休業していた時期が

    • オストゥアンデル

      僕の祖父は真面目だった。 その上に手先も器用で、丁寧。 仕事を引退しても、勉強し続けていたし、いろんなものを自分で修理したり、機械も好きだった。厳しく言われた記憶も少なくて、穏やかだった。 ある日、兄と僕と祖父とで話をしているとき、祖父が、 「お饅頭ってフランス語でなんていうかわかるか?」 もちろん僕たちは知るわけもないので、ポカンとしていると、 「オストゥアンデル」 と祖父が教えてくれた。 兄と僕は、へぇ!そうなんだ!フランス人もお饅頭食べるんだね!と反応すると、

      • 大阪ダックワーズ

        しっかりもので、みんなの中心のこうたろうさん。 物静かで穏やかだけど、やさしさにあふれていたひろしさん。 いっつもいっしょにいてあそんでいた、親友ぽんちゃん。 専門学生のころ、大阪に住んでいた。 もう10年くらい前のことで、大阪時代のことは、この3人に感謝が尽きない。 パティシエになると決めて大阪に行き、毎日が忙しかった。 もちろん学校も授業や実習でびっしりで、アルバイトも週5~6入っていた。 そのスケジュールを思い返すと、全く遊ぶ余裕などなさそうに思うが、どうやってい

        • フィナンシェ・ナチュール

          このまち、東彼杵に来て3年になった。 恥ずかしながら、3年前まで、ほぼ来たことがない町だった。 コロナが社会におおきな影響を与えていたころ、故郷長崎のお茶の名産地として観光で訪れたことがあって、その時の投稿した自分のInstagramにはこんなことがかいてあった。 「ここらへんに住めたらな、とか思ったり。ここら辺でお店できたらな、とかおもったり。」 この投稿の一か月後にはこの町に引っ越して、3年経った今で、本当に開業したから不思議なものだ。 引っ越すきっかけになったの

        甘ぇかしバナナパウンド 

          おもやいクッキー

          私はおばあちゃん子だった。 おうちでも末っ子だったけど、親戚を合わせても僕が一番下。 祖母は特に僕を可愛がっていて、小さい頃は何をするにも一緒だった。 おやつを食べるとき、口癖のように言っていた言葉がある。 「お兄ちゃんとおもやい食べなさい。」 4つ離れた兄と、よく食べ物をおもやいで食べていた。 もやいというのは、長崎の方言で、「共有する。」とか、「一緒に使う。」とかいう意味であって、食べ物の時は、一緒に分け合うことを意味していた。 小さい頃から食べ物にがめつい私

          おもやいクッキー

          はじまりのおはなし。

          だいすきでしょうがない街、長崎。 嫌いで嫌いでしょうがない街、長崎。 この街で生まれ育って、何不自由なく、育ててもらい、 家族にも、友人にも、先生にも恵まれた。情緒にあふれ、個性的。 すごくいい街だと思う。 出会った人も、いいひとばかり。私の世界には、私を知る人しかいない。 みんなが僕を知っていて、僕もみんなを知っている。 このまちが世界の全てだった。 すごく田舎でもあり、すごく都会でもある。 そんな世界の全てを捨てたくて、高校卒業と同時に、長崎を出た。 みんなのことも

          はじまりのおはなし。