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自分の花を咲かせよう

桜が満開になりつつある。
近所にある都立公園でも桜が大いに花開き、土曜日ということもあって花見客で賑わっていた。 

そんな中を散歩していてふと思った。 
「桜は桜であり続けているだけなのに、こうして花開いている時にだけ見てもらえるのはどうしてなのだろうか?」 

おそらく答えは、「桜の花が咲いたのだから見に来た。」だと思う。 
しかし注目するというのは、結局人間側の勝手にしていることである。
でも、桜は花を散らした後に見向きもされなくなってもそこに居続け、栄養を蓄え、そして誰に頼まれなくてもまた春が来たら花を咲かせる。 

それが桜のサイクルだから。


では、人はどうなのか。 

人はそもそも、自分であり続けている人が少ないのではないかと思ってしまう。
劣等感や虚栄心で他の誰かと同じような花を咲かせようと自分を誤魔化してみたり、人からよく見られようと歪な花を咲かせていたり、本来の自分がどんな色なのかどんな花を咲かせるのかすら知らない人が多いのではないか。 

そんなことを思った時に、野球の大谷くんが頭に浮かんだ。
彼は、純粋に野球が好きで野球をしたいのだと思う。自分はスポーツには詳しくはないが、日本のプロ野球で成功という花を開き、メジャーリーグでも成功という花を咲かせ、そしてさらに次の目標に向かって挑戦している。
おそらく野球を引退しても、きちんと次の場所で次の花を咲かせるのだと思う。
彼のインタビューをたまに見るが、これは推測だがチヤホヤされずにただ野球に集中していたいのだなと感じる。メディアが彼のことをやたら取り上げていることに自分は正直違和感を覚える。(彼のことはもちろんすごいと思っている。) 
花見客がいようがいまいが桜が花を開かせるように、彼は野球をするのだと思う。


自分のやることを誰に頼まれずとも淡々とやり続けること。
自分も含めそれができている人は未だ少ないように思う。 

それができないのは金銭的な理由や社会的な理由はもちろんあるだろうけれども、大元にあるのは自己愛の欠如や劣等感なのだと思う。

人は輝いている人を見て、どこかで自分もそうなりたいと憧れを持つ。
それ自体は悪いことではないけれど、それはつまり自分たちの中にもそうなれる種があるよと教えてくれている。 
それを育たせるかどうかはもちろんそれぞれの自由である。


自分であり続ける
目標や夢という花を咲かせる
次のサイクルに入り、またエネルギーを蓄えて次の花へ向かう 

それはただの一巡するサイクルではなくて、終わらない螺旋階段に昇るということなのだと思う。
その先々で咲かせる花々が、結果的に人を感動させる。 

そんなことを咲き誇る桜に教えられた。 
 
 
……もっと頑張らないとな。

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