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脳で感じる嗜好の趣① コーヒーその1

僕はコーヒーが好きだ。

コーヒーを飲むのも好きだし、淹れるのも好きだ。

コーヒーは焙煎したコーヒー生豆を挽き、コーヒーの成分をお湯などを使って抽出することでできる。そうしてできたコーヒーは非常に複雑な味と香りを有している。その複雑な味と香りを楽しむ行為のすべてがコーヒーという嗜好品であると思う。

考えないと感じられない

コーヒーというのは、世界中で広く飲まれている。日本でも、毎日コーヒーを飲んでいると言っても、そんなに珍しがられることはないだろう。そんなに普及しているコーヒーはほとんどの場合嗜好品として消費されていない。

コーヒー1杯の値段は安く、今ではコンビニに行けば100円で十分な量のコーヒーを買うことができる。コンビニでコーヒーを買って飲んでいる人に、コーヒーの味や香りを楽しんでいるかはほとんどどうでもよいことで、「コーヒーのようなもの」であれば何でもよいのだ。

ただただ消費されるコーヒーには、楽しみが無い、趣が無い。
そうやって飲んでいる人にとっては、1杯2000円のコーヒーもコンビニコーヒーも同じ「コーヒーのようなもの」なのだ。

僕は別にそれがダメだとか、コンビニコーヒーはまずいだとか言うつもりは毛頭なく、むしろ毎日のルーティンとしてコーヒーを飲むと仕事が捗るなら素晴らしいと思うし、コンビニコーヒーは正直相当レベルが高い。

ただ、もっと考えて、1杯のコーヒーと向き合って、複雑な味と香りに思考を巡らせると、「コーヒーのようなもの」は一気に、最高に趣のある嗜好品へと姿を変える。そこに、楽しさが生まれる、好奇心が生まれる、世界が開けるのだ。

僕は楽しむことや、趣味、嗜好というのはひたすら考えて向き合うことだと思っている。コーヒーは単純に味覚・嗅覚で感じるのではなく、脳で考えてその複雑さを楽しむものだと思っている。

このコーヒーの楽しみ方は、一種のマインドフルネスだと思う。1杯のコーヒーに対して、全神経で感じる、集中するという行為をもってして、コーヒーの複雑性の世界と自分の世界が繋がり、「苦い」「酸っぱい」という単純言語での知覚から、言語と時間を超えた全体での知覚ができる感じがする。

一度コーヒーの味や香りの説明が長いようなカフェで、1杯のコーヒーに集中して、新しい世界を感じてみてほしい。

その1はここまで。

では。


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