見出し画像

脳で感じる嗜好の趣① コーヒーその2

味と香りの楽しみ方

あくまで個人的な楽しみ方なので、べき論ではなくこういう楽しみ方もあるんだ程度に読んでほしい。

その1で、コーヒーについて思考を巡らせるといったが、思考の枠組みや知識が無いとなかなか難しい。なのでまず、味の体系について。

味についてはまず、大きな枠組みがある。「苦味」「酸味」「甘味」「刺激」、これらは割と単純で、あまり考えなくても感じることができる。そこから少し考えることができると、「深み」「コク(うまみ)」「雑味」が感じられる。まあ単純言語の範囲ではこのくらいまで考えることができる。今あげただけで7つの枠組みがある。もしコーヒーを飲むとき、このすべてに関して考えると結構な集中が必要になると思う。これだけでも相当、一口のコーヒーの世界に入り込むことができるだろう。

さらに思考を深めると、感じた味は単純言語を超えて、自分の経験と接続する。「酸味」だと感じられたものは「レモンのような、オレンジのような、チェリーのような」というように自分過去の経験と繋がり、より鮮明に脳内でイメージにより知覚される。そうすると味の説明は、「レモンを思わせる酸味の中に、ナッツのような香ばしいコクと、チョコレートような深い甘さが心地よく調和した味」というような表現になってくる。この表現により、そのコーヒーの味は共有の経験と接続され、まだ飲んでない人にも思考を提供することができる。こだわりの強いコーヒー屋さんがこういった説明をしているのはこういう理由なのかなあと思っている。

しかし、豆を焼いて粉砕したモノから抽出した飲み物、人間が美味しいと感じられる味だけが存在しているわけがない。その人間が一生懸命考えても生理的に美味しいと感じることができないものを僕は「雑味」だと思っている。味について考えれば考える程、この「雑味」が顕著に感じられてくる。なので、僕の思う "美味しいコーヒー" の第一条件はこの「雑味」がどれだけ少ないかなのだ。分かりやすいのは、コーヒーを飲んだ後の喉のイガイガは多分「雑味」のせいだろう。

だいたいこれくらい考えていれば、コーヒーを飲むことは相当楽しい(コーヒー自体が本能的に好きであれば)。

もっと考えることができれば、そこに味覚以外の経験や感覚が接続される。例えば僕は、天気・心情・人柄などなど、様々なことをコーヒーの味にトレースさせる。「晴れた日に、自分を鼓舞したい時に飲みたいような、エネルギッシュでパンチのある酸味」みたいな。

まあこれは、ワインとかでは結構メジャーなことで、ソムリエがワインの味を表現する時に、「初恋を思い出すような…」みたいなことを長々と垂れるのと一緒だとおもう。それはプロとしてのワインに対するコミットメントであり、味わうということへのマインドフルネスであるのだ。

人間は言語によって考える生き物である。脳で感じるには言語はエッセンスである。しかし、コーヒーの味には単純な言語での思考をはるかに超えた複雑性があり、その複雑性への探求のためには、他の味の経験や人生全体、人間全体と接続させるなど、言語を超えた思考・想像を巡らせることも大切である。その行為の楽しさ、趣の深さこそ、コーヒーの真なる魅力であるなあと、私は思っている。

その2はここまで。
さあ、コーヒーを飲もう。

では。

すごく助かります!非常に助かります!とても助かります!