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Everything’s been done before

人生初の手術のため入院しました。首をクパーッといきました。40年生きていると、さすがに体のどこかに不調がでるものですね。幸いそこまで大事ではなかったので、今は退院して回復に励んでいます。声がサッチモ(日本のバンドじゃない方)みたいになってる以外、わりと元気です。会社合併とかもあり昨年頭から日本にいて、たまたま人間ドックを受けたら見つかった病気だったので、新会社作ってよかったなぁとシミジミ思います。ニューヨークにいたら間違いなく見つからなかった&法外な医療費を取られていたはず…。皆さんもお体には充分気をつけて!

そして入院から帰ってきたら、僕の心配を他所に、世の中は今まで通り回っていて、いろんな仕事が普通に進んでいたりして、信頼できる仲間がいるっていいなと思ったりしていたのですが、何やらinboxに似たタイトルのメッセージをたくさん発見しました。

それがこちら記事にあるカレンダーについて。
https://grapee.jp/785825?fbclid=IwAR13uZuMinMqLq5zYj7VyDNT5ckq1pt7jy2_KVdDpFkMq7t93RHHHmQbMy4

毎日が世界のどこかの祝日になっているというカレンダーのアイデア。どうやらソーシャルメディアで結構バズになったようで、それをいろんな人が報告してくれていたのでした。というのも、僕も全く同じコンセプトで2011年にEVERY DAY IS SPECIALという名のカレンダーを制作・販売していたからです。(あ、自分のサイトを載せようと思ったら、また落ちてるww)

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https://www.amazon.co.jp/Every-Day-Special-Calender-%E5%B7%9D%E6%9D%91%E7%9C%9F%E5%8F%B8/dp/4904479351

http://www.cbc-net.com/topic/2010/10/kawamura-masashi-exhibition2010/

この時のアイデアのきっかけは、以前働いていた180というアムステルダムにあるクリエイティブエージェンシーでの同僚との会話にありました。そこはスタッフが当時120人くらいいたのですが、世界各国から優秀なメンバーを集めていて、国籍だけでも50カ国くらいの国の人が集まっていたんです。めちゃくちゃグローバルな環境ですよね。そんな中ある昼休み、あんまり休まないCDがいないことに気がついて「あれ、Adamいないの珍しいね」と話をしていたら、「今日はJewish holidayだから休んでるんだよ」と言われました。180は結構柔軟で、国や宗教ごとのお休みをOKにしていたのです(Jewish holidayは実は結構メジャーですが)。それでフッと、この会社のメンバー全員の50もある国のお休みを集めてカレンダーを作れば、毎日仕事を休む口実ができるんじゃないの!?と思い立ったわけです。その時はいいね!くらいで笑って済ませていたのですが、そのアイデアがずっと色褪せなかったので、結局2011年に数年の歳月を経て実際のプロダクトにしてみたというわけでした。(ユトレヒトの皆様、その節はありがとうございました🙇‍♂️)

Plagiarism?

で、話は現在に戻りますが、メッセージをくれた人によっては悪気はないのでしょうが「川村さんパクられてる!」と心配してくださっているようでした。でもね、このくらいのアイデアはセレンディピティで思いつくから別にパクリじゃないし、2011年にひっそり作った作品だったので知らなくて当然じゃないかなーと思っています。むしろこういうことをポジティブな発見や新しい繋がりにしていくような空気に世の中がなることを切に願います。(←これ、とても重要。)入院中に知った「ラフォーレ・テプラ事件」とか、なんかクリエイティブ業界のplagiarism(パクリ)か否か系の話題は概ねネガティブな空気感ばかりで悲しくなってしまう。きっとネガティブなエンディングじゃない事案もあるんだろうけど、そういうのって結局ソーシャルメディアでは可視化されないんですよね…。なのでこの機会にちょっとだけ僕のplagiarism(とも限らない)事案への考え方を記しておこうかなと思います。

僕個人としては、今回のようなケースは、むしろ同じコンセプトが時を経てちゃんとバズになることで、結構太いアイデアだったんだなぁと実感できて嬉しかったりしますw これを僕がいまだに商品として作り続けていていたらもうちょっと話は別だったかもしれないですが、当時はリサーチがマジ大変で、結局継続を諦めちゃったのでした。もったいなかった気もしますが続ける体力なかった自分が悪い。ネットをうまく使って祝日探しを楽にして、ずっと使えるものにする意味でアプリを作る話も進めていたのですが、それとかはもしかしたらこちらの作者さんと一緒に作れたら素敵かもしれないなぁと思いました。(と書いていたら、なんとご本人から連絡が!嬉しい😆進展があったらまたこちらでご報告します🎊)

僕らのようなモノづくりをする人間にとって、パクリかパクリじゃないかみたいな問題はとても深く暗いダークサイドのモヤみたいな存在だったりします。なのでどこかで綺麗な仕組みとかルールとかを制定して、キチンと判別したり弾劾できたらいいなぁという幻想を抱くのですが、多分それはユートピアと同じで、追い求めても存在しようがないんだろうなと思います。毎回いろんな語られない事情や、事象の積み重ね、細かい環境の差異によって、白も黒もあればすげー曖昧なグレーも存在していたりするものなのだろうと予感しています。

日々の音色

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個人的な経験でいうと、昔「日々の音色」を作った時にこの問題について一生分悩みつくしたので、多分そういう境地に達したのかなと。最早ご存知ない方も多いかと思うのですが、この映像はSOURというバンドの「日々の音色」という曲のためにほぼノー予算で作ったミュージックビデオで、文化庁メディア芸術祭の大賞やらOne Showやらアヌシーやら、いろんな世界的な賞もいただいて話題になった作品でした。

で、公開後、本当にたくさんの似たような作品が世界中で生まれたんですね。マルチスクリーンという技法自体はもうずっと前から存在していたし、スプリットスクリーンを跨いでつながる演出とかも存在する。だからそのくらい遡って要素還元して、別のコンセプトで作り直してくれれば何の異論もないのですが、中にはほぼまんまな演出のものもあったりする。結婚式ビデオとか、アイスランドの小学校のワークショップとか、そういうケースはむしろ演技指導してあげたりと応援したのですが、ビッグなブランドのきっと何千万もかけたようなCMで全く同じ演出をされたときはさすがに「うおー!パクられたー!」と怒るわけです。で、いろいろ法律とか調べてみたのですが、アイデアって法律で保護するのがほぼ無理なんですね。特許でもないし、意匠でもないし、仮にそれに当てはまりそうだとしても取得自体も難しいし時間もかかる。だから対策できたとしても、お金をかけて弁護士にcease and disist letter(日本語だと「排除措置」?)を書いてもらって、送って、良くても取り下げてもらう程度のことくらいしかできない。そんなことにいちいちお金と時間をかけるなんて、なんかすごい不毛だなと。なので、そこから僕の基本姿勢は「権利とか守るのに時間とお金をかけるくらいなら、パクれないくらい高いクオリティで、パクったらすぐバレるくらい話題になるように作って公開する」というシンプルなスタンスになりました。サービスとかだとさすがにこうはいかないですがw それが一番モノを作る人としては無駄が少ない。その上でそれでも似た作品が出てくるとしたら、最初話題になってるからちゃんと意識の高い人は元となった僕らの作品まで辿ってくれるし、ちゃんと元ネタこっちだよ!とフィーチャーしてくれる人が必ずいるから、結果僕らの作品も広まるしいいんじゃね!?というネットの善を信じるような形に収まりました。

(と言いながら、一時期までは、パクられたと思わしき作品を集めていつか「日々の音色と日々の音色っぽい作品展」というのをやったら面白いだろうなぁと思っていました。日々の音色のオリジナル版と、ずらっと100作品くらいそれに似た作品が集まっていたらplagiarismという現象について何かが見えてくる展示にできるような気がしたのです。でも50作品くらい集めたところで飽きてしまったww)

人によっては、Everything’s been done beforeというくらい、実にいろんな表現が人の手によってこれまでに試されてきていて、その中にはアーカイブも残ってもいないような試みもあるはずで、それこそ全てを追いかけてチェックをすることは不可能だとも思います。それでも企画を出すサイドの人間は、せめて提案前に類似のアイデアがないかどうか、そしてあった場合は提案を変えたり、その作者を巻き込むといった倫理観をちゃんと持つことが重要かなと思います。また、例えばタイプフェイスのように、なかなかそのオリジナリティを多くの人に理解してもらいにくい表現でのplagiarismの線引き問題というものもあります(うちの家族は少なくともHelveticaとUniversの違いとかは判らない)。さらにいうと、オリジナリティというものが最早既存のものの組み合わせの中にしかないと考える人もいるくらいなので、そのとき果たして何が元ネタとなるのか、アイデアの真贋を探るのは本当に難しい世界ではあります…。

図らずとも、ずいぶん長い文章になってしまいました。病み上がりで体力もないし、まだ全然語り尽くせないくらいこのplagiarism問題は根が深いと思っています。なのでここに記載されている考えが全て正しいわけでもないし、複雑な事情のほんの一端しか照らしていない予感もプンプンします。だから願わくばみんなが、ポジティブな議論を継続してくれて、なるべくフェアで健やかな判断を世界ができるようになっていってくれるといいなぁと願います。

お別れのテーマとして、サッチモの”Everything’s been done before”を貼って、筆を置くことと致します👋




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