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日本酒の歴史①

日本酒の歴史は、弥生時代に水稲が渡来してから始まるんだ。その頃から米の酒が造られていたと推測されているよ。魏志の「東夷伝」には倭国の酒の記事が、播磨国風土記には「清酒」(すみさけ)の記述があるんだ。

奈良時代後半には、稲作が安定して国家組織に造酒司(ぞうしゅし/さけのつかさ/みきのつかさ)が設けられ、朝廷のために酒が造られるようになったんだ。

平安時代には、寺院や神社、民間でも酒造りが行われていたよ。
室町時代には本格的な酒屋が登場し、
16世紀後半には、原料米の精米や醪をこして酒粕と日本酒に分ける技術、火入れと呼ばれる殺菌方法も行われていたんだ。この頃から木桶による製造と貯蔵も始まるんだ。

木桶の日本酒と言えば、新政酒造が有名だね。

江戸時代には、日本酒造りが産業として確立し、香味を整えたり酸敗を防ぐためにアルコール添加の技術が使われていたんだ(柱焼酎を添加していたんだ)
明治~大正時代には、酒造業界の醸造技術、特に精米技術はまだまだ発展途上で、微生物の知識も不十分だった。その結果、辛口で酸の多い酒が主流だったんだ。
おそらく、精米歩合が低い為、酵母の増殖が旺盛になり醪の酸が増加。
蒸米の溶解も悪かったため、醪の糖が少ない辛口になっていたと考えられるんだ。

大正時代末期から1940年まで、米の統制が始まり、飲用人口の増大も影響して、相当に甘い、濃い味の日本酒が飲まれていたんだ。
1933年には竪型精米機が登場し、精米歩合に革命が起きたんだ。
1943年戦時中だけど、級別制度も始まったんだ。

第二次世界大戦後は、農業用地の荒廃や人口増加による深刻な米不足があったんだ。密造酒や闇酒が横行し、三倍増醸酒が普及したんだ。日本酒に醸造アルコールを大量に入れて、糖類や酸味料で味わいを調整したべたべたした甘い酒。元の量を3倍にするからそう呼ばれているみたい。
日本酒が甘いイメージの人は三倍醸造酒のせいだと思うよ。でも安心して、2006年に法改正で廃止されたんだ。

経済の復興とともに日本酒の需要も急速に回復し、東海道新幹線の開通や1964年の東京オリンピック開催、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、史上空前の日本酒ブームが起こったんだ。高度経済成長の影響もあったね。

でも、日本酒の課税数量は1973年をピークに減少し始め、日本酒製造免許場数も1980年の2,947場から2017年には1,594場と減少が続いているんだ。こんな風に、日本酒は時代とともに変化し続けてきたんだよ。


用語説明
魏志→中国の歴史書「三国志」一部。中国の古典文学としても重要

東夷伝→魏志の中の一節で、魏王朝の歴史家が記録した東方の異民族、特に朝鮮半島と日本に関する記述が書かれている

倭国→古代中国の文献に見られる日本の古称

播磨国風土記→日本の古代に成立した国風土記の一つ、播磨国(現在の兵庫県の一部)に関する地理、風俗、伝説などを記録した文献

造酒司→古代日本において、国が酒造りを管理するために設置した官職や官署のこと。酒造りは祭祀や贈答、税収などに利用されており、造酒司はそれを統括する重要な役割を担っていた。


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