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瀬嶋さんとLINE交換。

2021年年末、
自分が脳炎で入院して1〜2ヶ月?くらい経った時だったかと思うが、

目から涙をボロボロ流しながら、
自分のベッドのそばに近づき
口にされた言葉は

「岸本さん
今日、今朝、急に目が見えなくなってきて、

来月退院だったけど、
もう家族の顔が見れなくなる前に
今日退院する事にしたから。

岸本さんいつも話しかけてくれて、
元気付けてくれてありがとう。」

と、クシャクシャになった顔を見て自分も泣いてしまったのを覚えている。

そのリハビリ病院では連絡先の交換等を固く禁止されていたが、
自分は瀬嶋さんへ、
確かダンボールの端切れに書いた連絡先を渡し、
瀬嶋さんは自分の目の前から下りのエスカレーターから降り、視界から去られる直前に
「瀬嶋貞徳」で名前検索して!
なんか色々出てくるから!

と言いながら、
明らかに丁寧に鉛筆で書かれた、
住所と電話番号、Eメールが書かれた連絡先が書かれた小さな紙を自分に渡してエレベーターを降りていった。
(退院された。)

その瀬嶋さんとの出会いは、
同じく脳の病気で自分より少し早く入院をされていて、
4人部屋の隣のベッドにいた事からだった。

とある日だったか、
その部屋からリハビリの授業のために出る時とかに、(リハビリは1日3〜4コマ、都度部屋から出てリハビリの部屋へ行く時)
リハビリの開始時間前に自分から話しかけたところからだったと記憶している。

「お互いここ、生き延びたからには乗り切って生きていきましょうね〜」的な。

そして日々少しずつお互いの話になり
瀬嶋さんは大学や高校、中学の教授をされており、
専攻は哲学や思想、倫理学と伺い、

へ〜、、、と、
その方面を勉強していない自分だが、
なんとなく、縁の遠くない方だなと勝手に思った。

自分も美術を志しながら実際サラリーマン、
ほぼサラリーマン、だの、2足の草鞋をしながらゲリラで20年程路上で展示をしていて、、

とかの話をしたりしていた。
で、ほんと申し訳ない事に自分は色々その方面の勉強をしてきていなかった為、
全くそういった知識が乏しくわからないが、
そんな自分の身の回りの親しい友人達で、
なぜか哲学が好きな人間が少しの数存在している事もよく話をしていて、
退院したら自分の家の近所に大きくてめちゃくちゃいい公園あるんでその哲学の話、
俺の友達にもその公園で聞かせてくださいよ〜、と話したりしていた。
※その時公園名は言っても伝わらないと思い伏せていたと思う。

で、とある晴れた日、
突如、入院中の大部屋(4人部屋)の中で、
自分のベッドの横が窓際だったのだが、
その窓越しに立ち、太陽を背に、
まるで自分の専任の先生かのように
哲学の話をかなりの長い時間、
してくださった。

その
「授業」
は、
入院生活中の日夜、頭の中で自分は、

もし自分が死んでいたら家族はどういう気持ちだったんだ、
あの仕事の代打は今誰がやっているんだ、
あの人はあんな場所で展示している、
なんだよチキショウ、、
あの展示見たいけど見れない、
テレビ電話だと妻にあの話が上手く伝わらない、、、会って話したい、、

コン畜生、、、バーロー

と、
コロナ禍で病院の外の人とは一切会えないのもあったのか、
自分と数ヶ月離れた世間との隔たりに対する、日常への焦りや不安や忘れから、

「  スッ・・・・・  」

とその講義の瞬間だけ、
解き放ってくれたのを、
今でも鮮明にあの晴れた空が見える窓をバックに、
たくさんの話を瀬嶋さんが聞かせてくれた情景は今も鮮度のある記憶だ。

※実際無知な自分にはとても高貴な内容で、
どんな話だったかの説明は出来ないが、
本当に楽しい、充実した時間だったのは本当。

その爽やかに晴れた院内の窓越しで教鞭を取ってくれた先生、
瀬嶋さんが哲学書の翻訳をされており
何冊も本を出版されていた方と知ったのは、
彼が退院したそのあとだった。
(彼が病院の下りのエスカレーターを降りた、その直後、名前を検索した時だった。)

で、渡された紙に書いてあった連絡先の中の住所を見た時に愕然とした。
その僕ら2人が入院していた病院は自分の住んでいた場所からは少し遠い街で(タクシーで高速とか使って40分程かかる)
完全にその遠い街の、
病院の近くの辺の人達ばかりが入院していたので、
勝手に瀬嶋さんも自分家からは遠い方だと思っていたら、

ほぼ自分の街(自転車で10分の所)に住んでいた事がわかった。
おそらく、家の近くの大きなたまに散歩に行く公園って
多分同じ公園じゃねーか、、?

と気付いて、
何この偶然、、と
また泣いたのは目の前からいなくなってから。

その瀬嶋さんとこの2023年年末、
これを書き始めたのはそのLINE交換をしようとメールでやり取りをし始めた、12/27だが、
この12/29に、
遂に2年越しに念願叶い「LINE交換」出来、
「LINEメッセージが届いた」記念にここに記した。

その瀬嶋さんは2022年2月に退院後すぐの3月、
路上でToraryで、

ツーバックス(岸本、小灘による路上アートコンビユニット)

のトラック路上個展をした時に、
また別の方で、
前から懇意にしていた方が見に来てくれた直後、
友情の証としてこちらに作るとも何も言わず、突如作成してくれた(嬉)
僕らツーバックスのYoutube記録動画を
Eメールでこんなのありますよと自分が勝手に瀬嶋さんへ送ったところ、

またその後何日か経ち、
ある日突然郵送で届いたA4の封書が届いたのだが、
封を開けたところ
中には、印刷された文字びっしりのA4の紙数枚が。
そこには「瀬嶋貞徳」と、
寄稿者が印字された、
瀬嶋さんから僕らへの考察の文章だった。

突如届いた、瀬嶋さんによるツーバックス考察

その僕らツーバックスに対する考察は
別にあるトラリーのnoteを読んで欲しいが、
その中での

「ツーバックス」の活動の「無意味性」

についての考察。
その中で、

 ツーバックスは「哲学」的だと書いてくれていた。

『彼らの活動が「固定的」なものではなく、「動的」な「哲学」的である からだ。彼らの活動は常に変化し続ける「動的」なものであるのだから、既存の「固定的」概念に収 まることがあり得ないのである。』

とある。

そこに至るまでの説明、経緯をどうか、
読んで欲しい、
瀬嶋さんの崇高な、
自分、
ツーバックスへの初の評論を。


12/29に、
そのEメールのみでのやり取りだった瀬嶋さんと、お互いに試行錯誤し、
ようやくLINE交換出来た達成感。
年を越せる。

12月、身内で色々辛いこともあったが
楽しい1年だった。
実際瀬嶋さんにも今年、
ほんの数分少しだけ会えた。

年上の先輩で失礼ながらも、
その存在「同志」のおかげで、
色々な後遺症にもめげず、
勇気を頂いている。
本当にありがとうございます、瀬嶋さん。

また来年もいい一年にする。
身内の喪中の為、
新年の挨拶は控えさせていただきます。

皆さんも、
自分と同様に良いお年をお迎えください。
ではまた来年もよろしくどうぞ。

2023年12月31日早朝、岡山の実家にて。
岸本雅樹

※【参考】
主な瀬嶋さんが翻訳されている書達

⚫︎色彩について
ルードウィヒ・ウィトゲンシュタイン

⚫︎時局論〈下〉芸術・文学論/手紙 (マルクス・コレクション)
カール・マルクス

⚫︎ヘーゲルからハイデガーへ―レーヴィット 現象学的存在論
カール・レーヴィット

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