【断酒・2022】極論にすがる危うさについて【ライフハック】

断酒開始から50日以上が経過しました。
同時期に開始した転職活動も一段落し、退職日の協議中です。
今日の主題は、「極論には依存性がある」です。
(断酒日のカウントについては別の記事で再構成しました)

極論にすがる危うさについて

断酒をスタートした方が「アルコール=悪の薬物」といった極論を採用しがちなこと、この功罪について書きます。

アルコールは悪玉、私は被害者という図式(他責マインド)については前回の投稿でも否定的な見解を書きました。

 断酒決意した時点では、「酒=加害者、自分=被害者」というマインドだったのですが、これはアルコール漬けの脳がひねり出した「逃げの論法」だと考えるに至りました。

【ライフハック】お酒やめてみた~他責マインドの自覚~

「私は被害者、悪いのは〇〇」という他責のマインドでは、〇〇に当てはめる言葉を適宜探すことによって根本的な解決から逃げてしまうと憂慮しています。

酒が悪い、パートナーが悪い、職場が悪い、生まれた家が悪い、この社会が悪い・・・などなど。

他責マインドとともに今回警鐘を鳴らしたいのが、悪玉論や二項対立といった「極論」です。

悪玉論の例:アルコール摂取にはデメリットしかない、飲酒をめぐり不祥事があった(フィジカルにはデメリットしかないと私も思います)。

二項対立の例:酒を飲むやつはクズだ。断酒を決意した人間こそ幸福だ。(人に迷惑をかけずに楽しく飲める人もいます)。

たしかに、生活習慣を改める動機形成や生活改善の1歩目としては良いでしょう。自分に説明しやすいですし、他者に理由を伝えられます。「私は足を洗いました」と清々しい気分にもなれるでしょう。

ですが、こういった極論は「過激なダイエット」と同じく。挫折リスクを上げてしまい、リバウンドが起きやすいと考えます。

ダイエットの例を断酒に当てはめると、
①断酒を誓う
②断酒日をカウントし、ストイックに頑張る
③偶発的な理由で断酒記録が途絶える
④自己憐憫に陥り、メンタルが病む
⑤再出発をして、断酒を誓う
⑥同じサイクルを繰り返し、生活は変わらない又は荒れる

特に問題なのは、④です。
自己憐憫と書きましたが、これまで「酒は悪だ」「飲酒は悪だ」「断酒する私はえらい」「酒を飲み続けるあいつはクズだ」と吐いてきた言葉がすべて自分に向かって降ってきます。

強い言葉は、劇薬です。
自分を奮い立たせる力にもなりますが、効果が覚めた瞬間に生き辛さとなって自分に襲い掛かります。「あんなに批難したのに、お前も同類ではないか」と。

極論に「依存」していないか?

強い言葉は劇薬であると書きました。
気分を高揚させてくれますが、効果が薄れたタイミングで自分を傷つけるリスクがあります。

何かに似ていますね?「お酒」です。
もっと踏み込めば、強い言葉(一元論・二項対立・勧善懲悪)には依存性があると私は考えています。

お酒・タバコをやめた代わりに、甘い物が欲しくなるというのはよく聞く話です。私も、食欲が増した経験があります。要は、ドーパミンが分泌される代替品を心身が求めている訳です。

依存症を抜けるには、マシな代替品(メンタル・フィジカルに実害が無い又は少ない何か)を用意する。そういった意味では、強い言葉を使うのは有効な手段です。

そういった意味合いで、スタート時に強い言葉で自分を鼓舞するのはいいと思います。

が、毎日・毎週・毎月と同じぺースで強い言葉を乱発しているとすれば、さらに強い言葉を使いだすなら、依存先が変わっているだけです。



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