「ワークショップデザイナー育成プログラム」を振り返る
2021年12月19日(日)の集中講義を持って3ヶ月間受講していた「青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム」が終了しました!
ドタバタしてる間にあっという間に4ヶ月が経ってしまって今更感ありますが、振り返り備忘録として、改めて記録を残しておきたいと思います。
1.「青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム」って?
●概要
・ワークショップデザイナー育成プログラム
・青山学院大学社会情報学部が主催
・費用248,000円
●講座の特徴
・「ワークショップはワークショップでしか学べない」がコンセプト
・3ヶ月間でワークショップを2回つくって実践する
・オンデマンド+レポート、オンライン授業
・「基礎理論」「デザイン」「実践」の3つの観点で学習
・僕が受講したブルーコース(完全オンラインコース)36期は44名が参加。
(教員、人事、広告代理店、フリーランス…etc)
2.受講した動機
教育系NPOに新卒で入職し、中高生や若者を対象とした学びの場づくりを行ってきました。
しかし、そこに明確な「型」を持っていたというよりかは「徒手空拳」、我武者羅に現場経験を少しずつ積み上げて実践してきたんですよね。
だからこそ、そろそろきちんとした理論背景を獲得して、自分の持っている感覚知を言語化したいなーと思っていたのがここ数年でした。
実は、奥さんもWSDの修了生ということもあり、その影響もあって「えいや!」と受講をしてみたのでした。
3.「ワークショップデザイナーになる」とは、つまり何だったのか?
この3ヶ月間は、本当に様々なインプットとアウトプットを行いました。
ワークショップデザインを行う実習はもちろん、例えば、実際に講師の方によるワークショップを受けてみたり、WS実施やファシリテーションの振り返り、動画教材を視聴した上でのレポート課題…etc
コンテンツは多様だけれども、ずっと問われているのは「あなたは何を受け取り、何を感じて、どう思いましたか?」という一つの問いなんですよね。
何しろ、最初に出された問いが「あなたはワークショップをどう説明しますか?」でしたから。
だから、ずっと、ずーっと、「ワークショップってそもそも何なのか?」「ワークショップをデザインするってどういうことなのか?」「自分はどんな場を創りたいのか?」みたいなことを考え続けていました。
(こうして、メタ的に考えれば考えるほどモヤモヤするドツボにハマっていったわけですね…笑)
さて、最後の課題レポートのお題は「ワークショップとは何かを説明する」でした。
対象者を自分で設定して、その人を想定して説明するというものです。
そして、最終日のリアルタイムオンライン講義でこのレポートを共有するということをやったのですが、そのときふと腹落ちした瞬間がありました。
「ああ、ワークショップが宗教になってはいけないな」と、そう思いました。
誰かに伝えるということは、共感してほしかったり、理解をしてもらいたいということ。
同期メンバーの多くが、目の前や身の回り、社会の中で、何か変えたい、もっと良くしたいという想いがあって、その実現の手段のためにワークショップを学んでいたと思います。
もちろん僕もその一人でした。
そして、自分の朧気ながら描いていたものとワークショップの重なるところを見つけられて、説明できそうな言葉や理論も知ることができて、「もっとこれが広がればいいのにな」と、そう思いました。
だけど、だからこそ、それが「変化の強要」や「価値観の押しつけ」になってはいけないのだと思ったのです。
いや、もっと言えば、それをしてしまった時点でそれは最早ワークショップ(デザイナー)ではなくなるのではないかと。
変化することは、ときに痛みを伴います。
だからこそ、当事者が変わりたいと思うかどうかが何より重要です。
一方で、じゃあ自分が見えている問題や変えたい現実をそのまま放置できるのかと言えば、圧倒的にそんなわけない。
「変えたい。でも変わることを押しつけたくない。だけど、変えていきたい。」
このコミュニケーションの葛藤の中で、繋がり合う場を創っていくのがワークショップデザイナーなのかもしれないと思いました。
そしてそのための叡智が、コミュニケーションの場づくりに詰め込まれているのかもしれないと。
最後の授業で、「あなたがワークショップデザイナーとして大切にしたいことは?」を言語化するワークをやりました。
最後の最後でふと、「無血革命」という言葉が湧き上がってきました。
ああ、僕の目の前には、変えたいと思える景色がたしかにある。
やわらかに、しなやかに、変えていきたい身近な社会がやっぱりあるんだと、そう再確認しました。
受講していた3ヶ月間で、背景理論や実戦経験、出会いを得ることができました。
だけど、僕が一番最後に得たものは、「ワークショップ」という「世界観」だったように思います。
4.無意識にある「自明性」と向き合ってみて
そういえば、ワークショップ実習1での最初の企画打ち合わせの際、「ああ、やってしまった…!」と思う出来事がありました。
それは「いつもと同じような役割を担ってしまった」ことでした。
普段仕事でやっているような、論点を整理したり、議事録を取ったり、資料を作ってみたり、次の日程調整を促してみたり。
で、思ったんですよね。
「なんでお金払ってまで、俺はいつもと同じことやってるんだ?」と。笑
この違和感は何なのか?
そもそも、どうして無意識に自分がそういう振る舞いをしてしまったのか?
実習1が終わる頃、自分の中にある仮説ができました。
それは、「うまくいかなかったときが、不安だったのではないか」というものでした。
ストレングスファインダーの1位は「達成欲」。
こいつ邪魔だなあ、と思いました。笑
だからこそ、「達成できなくても別によくない?」という自分にも出会ってみたくて、実習2ではあえて前には出ないことを意識してサポート側に徹することにしました。
(※実習直前が出張で講義や打ち合わせに出れないこともあり、物理的に難しかったのもあります。)
もぞもぞしたり、ザワザワしたりする瞬間もあるかもしれないけど、それも含めて味わってみようと。
実習のたびにチームメンバーからお互いの印象や貢献されていたと思うことを贈り合うワークがあるのですが、その結果…。
なんと、1回目も2回目も、大体同じコメントをもらいました。笑
もう思わず笑っちゃって、これもう認めるしかないな、と。
でも後者の方がもらいたかったコメントをもらえたかもしれないな、とも思いました。
変に気を張らず、自分としても楽だった気もします。
一方で、どれだけ距離を取ろうと思った自分がいても、そういう自分が楽なところもあるよなあ、とも気づきました。
それも含めて、自分らしさなのかもなと、腹落ちしました。
5.WSD修了から4ヶ月が経ってみて
以下のようにこの3〜4ヶ月でも、本業の中でもワークショップ(的なイベント・研修も含む)をチラホラと。
ここまで割と抽象的な話が多かったのですが、学んだ理論や観点をフル稼働させながら実践に取り組んでいます。
特に「参加保証・参加増幅の仕掛け」「組み立ての際のフィット感」「ズラシのデザイン」「即興性・身体性」、この辺りは観点が増えた実感もあるし意識してるな〜と思いながらやっています。
また、改めて実践を通してみて、講義を受けた際はイマイチ理解しきれなかった言葉が深く理解できたりすることも起きています。(「協働性」「ワークショップの目的はコミュニティ形成」なんかは正にそう。)
あと、僕は完全オンラインコース(ブルーコース)を受講したのですが、このコロナ禍での状況を考えるとこちらのコースで良かったなと今になって思います。
「オンライン=対面の代替」ということではなく、「オンラインだからこそ」という観点でワークショップを捉えられたことも良かったです。
最後に。
オンデマンド教材で見た中で一番印象に残っている言葉を書いて、この記録を終わりたいと思います。
これは、ワークショップのレジェンド・中野民夫先生が若かりし頃、湾岸戦争が始まったとき、社会変革運動を研究していたジョアンナ・メイシー先生に居ても立ってもいられず発した問いへのやり取りだそうです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?