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恋愛備忘録|恐らくそれはやきもち

事実は小説よりも奇なり。
信じてもらえないようなことがいくつも重なり、
時間を共有するようになった彼とわたしの備忘録。
信じてもらえなくても、すべてノンフィクション。
ちなみに彼とわたしは付き合っていない。


 真面目で誠実で優しくて穏やかで、とびきり頑固。それが彼の基本的な特徴であるが、やきもち焼きでもあるな、と。最近思う。

 彼は聞き上手だ。
 言語化が難しいけれど話しておきたい心の内や、過去の出来事に関する自分の考えを、時間をかけて話している間、「うん、うん」と丁寧に相槌を打ち、「それで?」と優しく声をかけ、頭の中で単語を探している間はそっと頬や髪を撫でて待っていてくれる。穏やかな眼差しをわたしに注いでくれる。

 けれど話題が異性のことになると、途端に顔を背けたり、わたしの頬や髪や手や太ももを撫でていた手を離したりする。
 自分から聞いてきたのに、だ。

 そして異性の話が終わったあとのハグは決まって、仰向けになったわたしに覆い被さるもので、それは息ができないほど強くて苦しい。全体重をわたしに乗せ、後頭部と背中に手を回してくるから、身動きすら難しい。
 わたしが「ぐええ、く、くるしい……」と情けない声を出しても、「うん」と答えるだけで、なかなか解放してくれないのだ。

 その押しつぶすハグが終わってわたしの上から退くと、今度は身体を目一杯引き寄せ、足を絡ませてくる。
 そうしながら頭皮のにおいを嗅いだりするから、わたしは「ぎゃああ」と悲鳴をあげて、「頭皮やめて!」と叫びながら身体を捩る。

 けれど首の後ろには彼の腕があるし、足も絡んでいる。細身のわりに力が強い彼の拘束から、非力なわたしが逃げ出せるわけもなく。身体を捩ってほんの少しだけできた空間は、あっという間に埋められてしまうのだ。

 満面の笑みで顔を覗き込んでくる彼は、わたしが抵抗をやめると、頬や額に何度も自分の唇を押しつけ、そのうち唇も奪っていく。
 わたしの額に手を置いて、顔すらも反らせなくしながら。

「いつもこれだ。絶対逃がさないムーブ。絶対逃がさないマン」

 わたしが苦笑しながら言うと、彼は「うん、そうだよ」と楽しそうに答えるのだった。

 それが例えば元恋人とのことを話したのなら、嫌な気分になるのは分かる。わたしたちは付き合っていないけれど、わたしは彼を大事に想っているし、彼の恋愛履歴はあまり聞きたくない。
 お互いいい年で、過去に様々な経験はあれど、今一番近くにいる相手が、自分以外の相手とどう過ごしていたのかなんて。なかなか気分の良い話にはならないのだから。

 でも、ただの男友だちや、職場の後輩の十歳以上年下の男の子との、他愛のないエピソードでまでそうなってしまうのだから、どうしようもない。

 こんなことなら最近あった「学生バイトの男の子が、わたしが描いたらくがきを自分のロッカーの中に集めて展示している、意味不明」という話や、「最近入った学生の男の子が突然、ポケモンスリープで録音した寝惚けた声を聞かせてきた、距離感バグってる」という話は、気軽にできそうにない。
 どちらもただの笑い話で、恋愛感情も下心もない、ただのわたしの日常なのに。

 そういえばわたしたちはハグ会の間、ホテルのビデオオンデマンドで洋画を流す。
 ハグ会中は時計も見ないし、スマートフォンも近くに置いていないから、二、三時間ほどで終わる映画は、時間の確認にとても便利なのである。

 そこで選んだのが「ハリーポッター」シリーズなのだが、どうやら「ハリーポッター」シリーズの配信は昨年で終了してしまったらしい。
 配信中の作品リストを見ながら「ハリーポッターがない!」と驚愕するわたしに、彼は「ハリーポッターに拘ってたの優さんだけだよ」と冷静に返した。

「ハリーポッターに思い入れでもあるの?」と聞かれたので「シリーズものならハグ会の回数も分かりやすいと思って」と答えたけれど、実は思い入れはある。

 子どもの頃、初めて付き合った男の子との初デートで観た映画が、「ハリーポッター」だったのだ。当時はまだ告白される前で、でも両片想いの状態だったから、絶妙な距離感の甘酸っぱい思い出だ。
 が。これは彼には絶対に話せないエピソードだろう。

 アメリカ人とインド人に同時にナンパされた話や、一度だけ食事に行った男性の爪が驚くほど汚くてジンジャーエールを噴き出しそうになった話、ひと回りも年下の男の子と一瞬だけ良い感じになったエピソードも、ちょっとした笑い話なのに、どうやら話せそうにない。


 恐らくこれは、やきもちなのだろうな、と思う。
 優しい声色と穏やかな眼差しで上手に隠してはいるけれど、異性の話をしたとき限定で起きる「押しつぶすハグ」と「絶対逃がさないムーブ」というイベントは、そう判断せざるを得ない。

 真面目で誠実で優しくて穏やかではあるけれど、とびきり頑固な彼は、なかなか本心を話してはくれない。だからこの行動の意味も話してはくれないだろうし、もしかしたら無意識の行動かもしれないけれど。

 わたしはこの「押しつぶすハグ」と「絶対逃がさないムーブ」を、彼のやきもちによる甘い独占欲と結論付けて、それを有難く受け入れようと思う。

 ただし、これからも極力、異性の話はしないほうがいい。どうしようもなく強くハグしてもらいたくなったとき以外は。



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