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128 共感が糞だった日

前書き

息子の納骨が終わり、少し冷静に振り返りながら、いわゆるNVCの共感の糞さ加減について書いていきます。
いわゆる・・・というところがポイントで、NVC学徒は最後まで読んでみることをお勧めします。

いわゆるNVCの共感の経験について

NVC(非暴力コミュニケーション・共感/共感的コミュニケーション)を長く学んできた私にとって、これまで、NVCの共感(empathy)とは、絶対の公式でした。

共感をすることで、多くのトラブルが解消したり、深い対話が導かれたりするのを目の当たりにすることがありました。

相手の人の感情を聴き、ニーズを聴き、大切なもの(ニーズ)に繋がるお手伝いをすること。いわゆるOFNRという共感の手順の強力さを感じるのです。

やがて、私はいわゆるNVCの共感(OFNR)の力を深く信じ、確信するようになったのです。

しかし、息子を亡くしたその日、私は共感(empathy)の残酷さを思い知ることになったのでした。

ここは、本当に微細な違いがあって、その違いを知る器・センスが必要なのだというのを先に断ります。

共感と同情の違い

いわゆるNVCの共感(empathy)とは、同情(sympathy)とは異なると良く言われます。

具体的に書いてみます。のび太がジャイアンにいじめられて泣きながら帰ってきたときを例にしてみましょう。

いわゆるNVCの共感では

NVCのempathyならきっとこう尋ねるでしょう。
相手の人がニーズに繋がれるように投げかけをしていきます。
(OFNRの手順)
「のび太君は悲しいのかな?それは自分の尊厳が大切(ニーズ)だったりするからかな?」

同情では

同情(sympathy)ならこう言うでしょう。
「ああ、泣いているのび太君を見たら、悲しい。涙が出てくる、本当に悲しいね。」

いわゆるNVCの共感の残酷さ

この微細さが伝わるでしょうか?

いわゆるNVCの共感(OFNR)は、「私とあなたは別の人です」という前提があり、次に「あなたの大切なもの(ニーズ)は何ですか?」と尋ねることから始まります。

私が、息子を亡くした時、この共感(OFNR)や「この空や風や緑と同じ世界の人になったんだね」という言葉を投げかけてくださった人がいます。その残酷さが伝わるでしょうか?

自分とあなたは切り離され、あなたは安全地帯に居るのです、そして私に言葉を投げかける。

一つは、ただ単に私がニーズに繋がることを誘導する言葉の残酷さ。
もう一つは、あなた解釈の中の世界に私を閉じ込める無残さ。

いわゆる、ニーズに誘導するNVCの共感なんて糞なんです。
学ばない方が100000倍ぐらいマシなんです、学ぶな、そして共感するな!と言いたい。

本来の共感は同情と似ている

マーシャルBローゼンバーグはそもそも、共感を何と言っているでしょうか?
「なにもしなくていい、ただそこにいること」
「共感とは、心を空にして全身で聞くこと」
「共感とは、自分以外の人の経験を敬意をもって聞くことだ」
(NVC 人と人との関係に命を吹き込む法 新版P166)なのです。

ある意味、日本語の同情と似ています。
「悲しいと涙する、あなたの悲しみを、私はここに居て、ただただ聞いています」
ということです。

私にとって大切なあなたが泣いているとき、私も悲しくなり、涙が出るのは当たり前なんです。

私の命に役立ったこと

ここまで読んでくださった方なら、概ね理解してくださったのではないかと思います。
私が極限の状態にあったとき、最も役に立ったのは
「ただ、なにもしなくていい、ただそこにいること、相手の経験を敬意をもって聞くこと」なのです。
ともに居て、ご飯を食べてくれることと言ってもいいでしょう。

ですから、人の命に役立つのは「聞き手が、話し手をニーズにつなげる意図や誘導」を指すのではないのです。

NVCの共感をどう実践するか

では、NVCの共感(OFNR)はどう実践するのでしょうか?
同じ本の中でマーシャルはこう述べます。

「共感するために必要な、ただそこにいるということ維持するのは簡単ではない。『苦しんでいる者に気持ちを寄せるというのは、極めて稀有で得難い能力である。ほとんど奇跡に近い。それは奇跡なのだ。』」と。

OFNRは、ある意味で、学びの初歩。
最初は愚直にやってみるしかない。
その時の第一歩
「私とあなたは違う」から「あなたの出来事と私は関係ない」と切り離すこともできます。きっと残酷な共感になるでしょう。

「私とあなたは違う」から「あなたの経験を敬意をもって聞く」ことを始めることができます。それは、慈愛(Compassion)とも言えるでしょう。私とあなたの命は繋がろうとするのです。

終わりに

私たちは、いや、今の現世は思考で考えることを優先する傾向があります。
しかし、思考を超えた世界に、正しい/間違いを越えた世界に、高原がある。
その高原で、あなたと出会いたい。
そこではもはや、同情も共感も慈悲も違いはないのだから。

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