見出し画像

週間レビュー(2024_01_07)_新年と祈り、学業と仕事の始まり


▪️1月1日_新年会

ぐっすり寝てから、千葉に向かう。親戚の新年の顔合わせのために祖父母の住まいまで母と2人で向かう。バスや電車内で母とゆっくり話せて良かった。母は店長になり、新しいことに対してすごく頑張っている、毎朝早いし毎夜遅く帰ってくる。疲れているはずだけど顔に出さない。年齢を気にせず、才覚があるのだからたくさん挑戦して欲しいと思う。その為にも頑張らないといけない。駅で従姉妹の家族と会い、一緒に向かった。新年会はいつもの挨拶に始まり、近況を聞かれたり、説明したりと色々した。祖父も祖母も衰えを見せない元気さだった。持ち寄ったご飯をみんなで食べる。祖父は僕のために朝から大間の刺身を買いに行ったらしい。厳しいことも言われるけど、沢山愛されているのだなと思うし、報いないといけないと思った。
従兄弟とゲームをしていたら、能登で地震が起こった。アナウンサーの声、そして映像が怖かったし色々とフラッシュバックをした。仕事仲間の安否をみんな確認していた、そして従兄弟がとても怖がっていたので近くで一緒に遊び続けるしかできなかった。モヤモヤしながら帰宅してニュースとSNSを見るのをやめて、とにかく寝ることにした。何も元旦から…と思うけれど、大地はいつでも容赦ない、どうしても抗えない。建築をやる身として、大地や自然との向き合い方をもっと考えないといけないなと思う。そして、とにかく政府や自治体による早い復興と支援物資が届くこと、これ以上の被害がないことを祈った。

▪️1月2日_2023年の振り返り

心がずっとざわついてた。色々と情報を見て、そして寄付をした。動こう、考えようとすることは色々できるけど、とりあえず明日、そして今を生きるしかない。書けていなかった1年間の振り返りをスタバと自宅でまず書いた。馬事公園の夕日がとても綺麗だった。入り口のランドスケープはあまり良くないけれど、広場のところは空が広くていい。最近の都市は空が狭いのでみんな気持ち良さそうだった。武蔵野原生林はかなり伐採されていたが、必要な伐採だったのかもしれない。昔の景色は消えたけれど、今でも写真のように断片的に頭に蘇るので相当遊んでいたんだなと思う。でも新しくなった場所をこれからの子供達やみんなで愛せるように色々できたらいいなと思った。文章を書くと、整理されて乗り越えることができた気持ちになる。足と手、頭が軽くなり、そのままぐっすり寝た。

▪️1月3日_2023年の振り返り

災害対応が遅い。酷い政権だなと思う、早くまともな政権になってほしい。アナキズムの実践しかないのかもしれないし、この肥大化し切った国において公助は死んだのかもしれない。どうしたものかと悲しい気持ちになる。父は結局帰ってこなかった、彼も頑張っている。とりあえず、初詣に行こうということになったので松蔭さんへバスで向かう。松陰神社付近の商店街とてもいい雰囲気で住みたいなと思う。松陰神社は毎年お参りしているけれど、年々商売っけが強くなっている(デジタルサイネージすごい)けど松蔭さんがいたりするのでとりあえず詣に行く。商店街に新しくできたコーヒー屋さんでカフェラテを飲んだ。内装費用が100-200万くらいで収まっている(と推察ゲームをしていた)けどいい雰囲気が出せていてすごいなという話を母としていた。そのまま世田谷線に乗って山下まで向かう。世田谷線のようなローカルで短い電車はコンパクトシティのあり方や都市生活のあり方に対してとても良い機能の仕方をしていると思う。色々考えることができそう。車窓から見える世田谷の様子が良かった。山下から豪徳寺まで歩く。豪徳寺は区内で最古の木造建造物らしい。内部構造も文化財としても重要だそう、確かに三重塔や本殿の威厳さがいまだに保たれていていい寺だと思った。招き猫を求めて外国の観光客も沢山いて混んでいた。招き猫を2つ買った。妹は途中でバイトで抜けたので、世田谷城址を見たり、雑談しながら母と歩いて帰宅する。いい時間だったな。

▪️1月4日_これからのこと

1年間の目標や来年のことを考えようと思って筆を取った。25歳になるので、ここ10年を振り返ろうかと思って途中まで書いていたが長ったらしくなったので途中でやめた。(結構書いていたんだけども)その代わり向き合いたいものだけを書こうと思って祈りについて考えた。僕はずっと祈っていたのだ、そう願っていただけだったと2023年の後半から思っていたことを言葉にしておいた。みんな頑張っているし生きている、その上で祈りで外部化している、けどそこから脱したいという気持ちなをつらつらと書いた。近年の多動の原因でもある思想的な部分を晒してみた。他者から見てどう見えるのかわからないけれど、個人的には結構いいものが書けたのではないかな。とりあえず、古い友人には伝わるものがあるのかもしれないと思った。

▪️1月5日_上野へ行く

明日で馬事公園のスタバも閉店になるのかと思いながら、午前中からスタバに行く。閉店に際して思い出を書くメッセージボードがいっぱいに埋まっていたけど、天邪鬼な自分は何故か書かなかった。時折散歩をしつつ、各方面へ連絡対応をする。そして昨夜作ったスライドの出来を確認する、深夜の割にまあまあ良かった。まだ自分はエンジンが半分くらいしかかからない感じだけれど、みんな仕事を始めているなと思って最低限の連絡やミーティングの日程調整をする。災害支援や政治の動向などが気になってしまいSNSを見てしまうので、どうにか避けようとして日向ぼっこしながらカレーを食べて、宇宙兄弟を見る。気持ち良かったのでそのうち寝てしまった。SNSのTLが怒りに溢れてる。自分も血が昇りやすく、穿った目で批判が止まらなくなる、偏り易いタイプだから、フィルターバブルの中にいる事を自覚しないといけない。その為に街に出て、人に会い会話しに行く。仕事をして、普段は読まないような本を読み、落ち着いてから向き合う。そう思って、起きてすぐに上野へ向かう。新年の飲み会のためだけど少し街を歩こうと思った。電車内ではパウルクレーの日記を読んでいた。とても素敵な一節があったので書き抜きしておいた。

海の眺めは輝いて美しかった。異様な美しさではなかった。すべてが威厳に満ちている。

夕刻は筆舌に尽くしがたい。すべてのものの頭上に満月が昇った。絵に描いてみてはどうかとルイは私をしきりに促したが、「せいぜいが描く練習程度でしかないだろう」と私は答えた。当然、私はこの種の自然に精通しているわけではない。だが以前よりは知っただろう。非力な私と自然とのあいだには距離がありすぎる。これから数年間、私が専念すべき真の課題がここにある。

なにも心配することはない。それほどまで望むなら焦らないことだ。

この夕刻は私のなかの奥深く永久に留まる。北国のブロンドの月の出が、まるでこの月の幽かな反射となって私を律してやまないだろう、何度も何度も。この夕刻は私の花嫁、もう一人の私だ。私を見出そうとする衝動。私自身は南国の月の出なのだ。

クレーの旅/新藤信
クレーの文章も絵も好きだ。彼は生きているうちはあまり報われなかったけれど僕に影響を与えている。そういう生き方も良いなと思える。僕と彼は似ていると思う。(偉そうでごめんなさい)

飲み会は早めに切り上げて(切り上げれたらだけど)資料作成と卒業設計のことをしないといけない。あ、あと助成金が満額降りた連絡が来た。初めて自分たちだけでの設計施工が始まる!!にしても個人にはお金がないのでどうにかしないといけないが、1月は仕事する時間が全然ない、そうだまだ学生だし、テストあある。時間配分を間違えないように過ごしたい。

▪️1月6日_可能性を解かなければいけない場所

遅くまでよく飲んだ。毎年恒例な感じだった。建築やデザインの言語や感性、美学が通じにくいコミュニティに長くいたことによって、彼らに建築の可能性を説き、興味を持ってもらうためには、経済や金融、不動産、政治、事業開発、VC等の領域から会話を組み立てて、言語化して説明せざるを得なかった事が、自分の原体験なのだ気づいた新年会だった。建築に興味を持ってもらい、強い可能性を感じてもらう事と会話のデッキの一つで終わる事は明確に違いがあり、前者を目指さないとそこにいる意味がなかった。かつ、趣味でやってるんです、好きだからなんです、私は私でやっているんです〜的な伝えることを諦めた逃げ方もしたくなかった。同質的環境ではなく客観的視点に囲まれ、意味を問われていた。無理やりにでも建築を俯瞰して見ないといけなかった。そのために隣接領域を学び、挑戦し、建築にフィードバックしてきた。彼らに可能性を感じてもらえるかは、一定の意味や価値を理解している人々の集う場所では得られない感覚なのだと思うし、僕自身の発想のフレームワークや課題意識の持ち方はそういう体験からできているのかもしれないと考えた。純粋な興味や好奇心や夢を超えた何かがなければいけない。素敵な大人に沢山触れ、そして期待もされる年になった。身が引き締まる想いでいる。

▪️1月7日_ハイパーオブジェクトを扱う

大体6時くらいに起きてから、カフェに作業をしに向かい、2月末のEU視察のリサーチを進めた。オランダやイギリス、ベルギーの3カ国を中心に地政学的にどう居住環境が生まれたのかを読みとこうと試みている。ハイパーオブジェクトへの対抗や生存環境構築は、解釈論だったこれまでの建築のあり方に大きな変化を加えそうである。特にオランダの水害との向かい方についての歴史が楽しすぎて設計への気持ちが持てず、卒業設計の会議を休んでしまった。午後も作業を続け、今週末に開催する赤羽のWSの計画の話をする、赤羽の現状のマスタープランへの再提案までを射程に入れることにし、民意や意思データの回収を試みることにした。その後企画系のmtgを2本程度行い、合間で散歩と卒論の公開の準備を進める。夜は旧友とこれからについてを公園を散歩しながら議論した。近くにいる人からよく褒められること、評価してもらえることは信じても良いなと再確認した。人生は短い、仕掛けるときに仕掛けないと機を逃してしまうが、しかし大きな考えやアイデアとしての思想を深めていくというフェーズも同時に大事である。自分の上り方がある、考え続けることが重要だと思った。

▪️1月8日_フォームを持つこと

朝起きてから、スタバへ向かう。今日で閉店になるので写真を撮って思い出にした。かなり長い間お世話になった場所なので悲しい。そして次のテナントに期待したいと思った。そのまま梅ヶ丘の現場まで向かい、色々と設計についての話をする。意匠的なものではないの、であとは施工のオペレーションを自分たちでやってみるフェーズである。法人登記もしないといけない…そのあとはASIBAの戦略会議へ、ようやく組織的に動けそうになり戦略的な流れでとても楽しい。これまでの経営的な場所を触らせてもらった経験を存分に活かしたいと思う。現役の時よりもプランニングの頭は鈍っているなと思った、けれど考え始めればスパスパと進んだ。やはり頭は使わないと瞬発力だけが落ちるが、続けていて型となっているフォームは変わらないのである。まだリフティングを延々にできるのと同じだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?