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週末レビュー(2022年1月16日)_建築は時代を超えて、囁き続けることができる

今週の出来事と雑感
・設計製図Ⅰ 最終講評
・設計演習C 最終課題 制作と講評
・[イベント]ケン・タダシ・オオシマ (Ken Tadashi Oshima)_日本の近代建築
・GIA 岩谷産業と水素社会の調査
・[イベント]戦後空間06|都心・農地・経済 ー土地にみる戦後空間の果て
・期末テスト勉強


あっという間に一月も中旬にはりそうで毎日あたふたしてる。時間の管理とそれに対しての自分の中で律することができた。睡眠分析を始め、基本的に自分は6.5h-7.0hの睡眠を取らないと体が絶対にスッキリしないこと、そして前日の夜に次の日のタイムスケジュールを立てないと大体怠惰が生まれることがわかった。

テスト勉強やテストは、中学生から一向に上手にできない。延々に下手くそだ。ずっと自分は頭がめちゃくちゃに悪い、または根性や気合いが足りないのが原因だと思っていたけれど、どうやらそういう話ではないないのかもしれないと思うようになった。勉強方法には型があるというけれど、その型自体が苦手で、かつ出力の仕方も苦手なのだと思う。完全にプロセスに対して嫌悪感を持ってしまっている。今年度をちゃんと乗り切りたい。

1.設計製図の講評会
近年柔らかく優しい建築が多くなっている中で、異端的な建築や設計論理を構築することの重要性。つまり、建築に対してアベレージをとる改善行為ではなく、いわゆる「私のための建築」に対してのこだわりを洗練させることは今後重要だと感じとった。

その意味で「音の建築」(周囲のHzを計測して室内構成や建築形態を決定した作品)は秀逸だった。空間の構成プロセスデザインに一般的な要素を引き算や足し算をしていくことで普遍化されない空間が浮かび上がる。
そのような設計プロセスを経た空間は、時間的にも空間的にも耐久性を持てる。与件という条件下を脱走して、いかに制約の中で自由に振る舞うかに建築の表現は集約されてる。

この建築は、場所によってコーランの音が聞こえたり、ミャンマーの言葉が聞こえたり、ここはよく響いているんだろうなというところわかる。一般的な建築には少ない観点での建築になっている。
建築に慣れていくと、どんどん柔らかくなってしまう。全部柔らかく、優しくに最近の建築はなっている。
モダニズムの建築家で異端な人、例えばフレデリック=キースラー(エンドレスシアター)そういう人の作品をたくさん見ること。

2.設計演習
「あなたの思うマネキンを作れ」と言う課題だったので、ブルーノ=ムナーリを参考に、モビールの等身大抽象人間を作ってみた。

ブルーノ=ムナーリ 陰と陽

そもそも抽象主義とは何かを理解するには時間が足りなかったけれど、提出時に具象的なマネキン、またはインスタレーションのようなマネキンが教室に並ぶ中で、そこに抽象のマネキンが立つと、人間による人間への勝手なイメージみたいなものへの反抗的な態度?が朧げながら見えたような気がして、モンドリアンが熱狂した理由が1mmくらいわかったような気がしている。

蓄積程度に、以下の問いから形態を考えた。

・自分の体の部位はどんな形をしてると想像できるか?(できるだけ幾何学で)
・自分の体の部位にはどんな記憶があるか?(昔怪我した、いつもここだけ痛い…など)
・自分の体の部位は何色と感じるか?(できるだけ三原色の選択肢の中で)
・体の部位はどこと重なるイメージを持っているか?
・身体は吊るされてるか、それとも平面表現か?というと吊るされている感覚があること→ゆえに、モビールでの表現

建築を考えることは、空間を考えることで、空間を考えることは、生物を考えることであり、その時代の中での可変性や変換性にここ1年興味を持っている。その中で人間の身体は一番身近な生物であり自己に付随、接続しているものだから必然的に考える時間が多い。今回考えたかったのはその派生だ。

・身体の記憶の中の形状の言語化は可能か
「もし我々にスペックの高い眼がなく、そして鏡がなかったとき、そして他者からの観察と評価がなかった時、自分の身体を自分はどう感じ取り形状を理解するんだろうか?」ということが気になった。

自分はもう生まれてから、眼を開き、自分の身体を観察し、触覚を有して記憶となってしまっている.なので、身体というといわゆる一般化された身体(手足があり、筋肉があり、関節がウニャウニャと動ける)を思い浮かべてしまう。

しかし、仮説に全力で答えようとしてみると、そのようなリアリティを持てないはずなのではないかなと思う。

現に、子供達の書く身体は、描画力を抜きにしたら、どこか幾何学的であるし、特定の部位だけ細かったり大きかったりする。彼らの記憶に身体の蓄積が極端に少ないからである。つまり、我々の理解する身体は、感覚よりも記憶が優位に立った時に現れてる形状なのだろう。

例えば、右肩は丸っぽい感覚だけど、左型は真っ直ぐな感覚…左足という区分はなくて、下半身から左足はそのまま繋がっているような感覚…のような非論理的な記憶の形があるのではないかと思い、また今までの身体の形を忘れようと努力して、「自分の視覚的な記憶ではなく、感覚の記憶の中の身体」を描いてみたいと思った。

・身体と色、記憶との連動
形状はそれで良いかもしれないが、では部位の色はどう決まるのだろう?
一般的には身体は色を持たないように想像させられる。黄色人種なら大まかに肌色だったりと単色が前提である。

しかし、これも同様に視覚的な身体への記憶が優位になった時の場合に限る。今回の作品はその優位性を逆転させる試みなので、感覚的な身体を想像した時に部位は何色になるのか?を考えてみる。

「四角い形状をした自分の足は何色に感じる?」
「円形をした腹部周辺は何色に感じる?」

この辺りを静かに自分に問うと、身体の部位には記憶があること、それに伴う色があることがわかる。ひび、骨折、捻挫などの怪我。その記憶から黄色っぽさを得た。お腹は赤だと思うなども同様だ。

・自立するよりは、吊るされている
最後にどう身体は立体になるか?僕は足で立ち上がるというより、吊るされる、本能的な感覚を持っているなと思った。
「何かに吊るされるように座りなさい」と座禅するときに言われるが、なるほど、確かに自分で立ちたいなという感情よりは、生きている以上姿勢を正して立たねばならない=つまり何かに吊るされるという感覚の方が強い。座っている時も同様で吊るされてるような気がしているし、身体の状態に関わらず、生きるということは地面から離れようとする本能的な衝動のようにも思う。(これは二足歩行の生物の定めなのだろうか、例えば、四足歩行の生き物は二足歩行になりたい、地面との接点を減らしたい、と思わないのだろうか。)
同時に建築も本来、建てるというより、吊るす方が正しいのではないかと考えたりした。(この辺は言語化不足だが重要な視点だと思う)

ビビットな色を用いた理由は特にない。ごめんなさい(それしか画材も時間も残ってなかった…)

ちなみにブルーノムナーリの役に立たない機械などのスケッチは22歳の時の作品だそう。同い年の作品だということに時代を超えて驚いたりしている。自分の中で当時から確固たるアジェンダを持って創作していたことがわかる。


3.戦後空間06|都心・農地・経済 ー土地にみる戦後空間の果て

農地や農業問題、そして都市開発のあり方への強い危機感を感じるイベントだった。何点か重要だと思ったことを書いておく。
企業系のカンファレンスやイベントの雰囲気と比べたら、全体的に悲壮感あふれ、苦しい感覚だった。建築関係者の独特な我々しか知らない大きな課題に立ち向かう心意気としての力強さと反面社会的な力のなさを感じた。

・建築計画や農地の問題に関してー食料自給、木材自給が30%くらいしかない中で都市と農地の話をしても意味あるのか?国民が住むところだけを都市と考えるのはもはや無理がある。日本の食料自給率が30%。外国の土地を利用または転嫁した上で都市が成立してるのに、その外国の土地のことを誰も考えてない。国土の問題だけではなく、国外のことを考えないといけない。
グローバリズムの結果として国土以外の土地の議論も必要である。(これは強く同意。なぜ国内のことばかりなのか…)

・建築計画や無意味な高層ビルは結果として、人を殺してるとも考えられる。デベロッパーは無意識に生活空間を規定した結果として、人間性や人間のコミュニケーションを剥奪している。自殺率や幸福度と建築空間の関係性は必ずある。孤独死とか日常化した寂しさみたいなものと建築規制や開発のことはちゃんとこの機会に建築界隈は考えるべきもの。

・土地に対して建築自由にすることで経済成長が生まれた。しかし、今はもう土地の力を使うことはできないのは自明。土地があるから成長するわけではないし、交換価値を前提とする建築自由の方向性に対してどう挑むか?

饗庭先生の都市をたたむをもう一度読みたいと思った。

読んだ本・観たもの・調査テーマ

1.建築の変出_待機する建築について

建築家は社会を創れるか
このような困難な状況に社会に真正面に対応した数少ない建築家として内藤廣(苗S49・院S51)の名を挙げることに、異論を差し挟む余地はないだろう。
人の手を意識させつつ、風格ある作品を作り続けている内藤は、同時に社会に関与することを保ち続けようとした。その実直さには吉阪隆正賞(2011-19)の選考で直に触れた。この10年間の中でも、東日本大震災被災地でのデザイン委員(国土交通省)、ならびに津波防災技術専門委員(岩手県)、新国立競技場基本構想審査委員、デザインビルドを導入した渋谷駅中心地区デザイン会議座長としての参加など、それぞれ尻込みするような社会課題とその巨大な解決要求に対して、一建築家として参画した意味は大きかったはずだ。
しかし内藤はその経験をもってして、彼が奮闘したバブル終焉から始まる平成の時代を、人々の希望になるようなものが生まれなかったと述懐する(参照日経アーキテクチュア『検証 平成建築史』p.313).
2011年からの10年は、「社会が建築を創る」(林昌二)流れの圧勝であった。大災害、そしてうらはらの特区バブル、オリンピックによる社会的要求は大きく、そして多かったのだ。社会が建築を崩す、と言い換えた方が適切なぐらいではなかったか。
とはいえ、内藤も言うように、個々の建築技術は社会要求に併せて、豊富に生み出されてきた。PFI、CM、ECI、 BIM、ZEH、ZEB,コンピューティショナル・デザイン、CLT、etc.ただそれらを統合して「社会を創る」建築像はいまだ見えていない。

待機する建築
「社会が建築を創る」こと自体は否定しようがない。建築の実現には建築主(注文主)、資本が必要という事実は明白だからだ。それを前提として錯綜する条件を調整し、統合し、納得させ社会空間的に安定させるのが建築界の役割ということになる。つまり筆者の希望を述べれば、条件の矛盾を統合的に解決することから、新しい建築の姿、そして社会を信じて、あらゆる技術性を保持しつつ待機することだったのではないだろうか。立場はそれぞれ違うけれども根っこではそれが共有されて、建築がかたちづくる社会の素地が徐々にでも社会に回復していくこと。そうして底なしの世界に建築という底を作ることが託されていたはずではないか。
そう考えると、建築界に身を置く一人として身の引き締まる思いがする。

早稲田建築学科110周年記念誌 中谷礼仁寄稿文

ずっと気にしていた早稲田建築学科110周年記念誌中谷礼仁寄稿文の中の「待機する建築」に関して、筆者の中谷教授と少しだが会話をすることができた。この寄稿文は日埜さんと共同で執筆したらしく、最後の一文は仮説というよりは意思の部類だという。

なるほど、仮説があるわけではなく意思なのかと理解すると同時に、意思なのであればアンサーする余白が存在すると言うことだから、俄然心が踊った。建築史家の問いほどクリティカルなものはないと思うからだ。

林昌二の言う「社会が建築を作る」というコンテキストは理解できる一方、その在り方は資本に空間を躍らせることを肯定するようで、自分はとても懐疑だ。

反面、「建築が社会を作る」という精神性にも、国家的段階、ポスト国家的段階を無理やり引きずるようでいて押し付けがましさが否めないと思っている。特に、建築家の言うような「1つの住宅が街を変える」ような解釈も同様だと思う。(多くの人にとっては「建築が社会を作る」というと笑われるのも全くもって同様だと思う。サービスで構成された社会だからそれはそうだろう。ここに建築と社会の乖離がある。)

今の都市や建築空間は資本の形であり、それは建築するという意思を反映したものではないものが多い。いずれ、日本おいては廃墟になるしかない超高層や雑多な資本空間は、現実でありながらも質量を持つことを許されず、そして土地を希薄化させている。そのような空間が増殖しても時間的な豊かさにはなりえないのは多く人は心でわかっているし、結果は自明なのだけど、いつのまにか資本論理に強く組み込まれた空間で私たちの生活環境はほとんど構築されきってしまった。私たちはそれに対して無自覚になってしまっている危機的な意識もある。都市はショッピングモールになると誰かが言っていたが、正にその通りだ。

都市に場所性や時間性を消滅させた挙句、都市は均質化し素地のようなOSであり、なんでも体験的なコンテンツを盛り込めるという主張も、そのような社会に建築空間、都市空間が踊らされた結果によるものだと思う。(OSになるなんてたまったもんじゃないと僕は思う。)

「日本近現代建築の歴史-明治維新から現代まで-」を拝読すると、資本主義と建築概念はうまく混じり合ってこなかったことに気がつかされる。そして、デザインというものも元来社会主義的なものだとバウハウスの誰がが言っていた。スタルクがデザインは死んだと言うのもその文脈なのかもしれない。

思えば、過去の建築家は「資本のための建築か、それとも私のための建築か」という問いを持って、その狭間で戦っていた。結果、私のための建築は今現在の結果として、資本に殺され、または資本に従属し、ほそぼそと生きるほかない。結果精神的な建築観は引き継がれたが、社会的な建築の使命や課題の解決を発揮できてはいないのが荒い現実への理解だろう。

結果として、都市の今や日常の空間は悲惨で、みなそれを肌身で感じるがゆえに、仮想空間に桃源郷を求め生活空間を移したいと願ったり、一体性を持った共通する空間に暮らすよりかは、個人に最適化された空間に居心地の良さを感じているのはある種しょうがないのかもしれない。

今後のリアルはバーチャルに従属するという力学は、その是非はおいておくとして(XRと都市の論考にて今後記載したい)、リアルが悲惨になった結果というその根幹がある限り、決して止まりそうにないだろうと思う。

建築の専門領域に対する社会に蔓延した不信感がその背景にあり、そこに現れているなにかがうまくいってない感じの根を、建築家は直視する必要がある。そしておもちゃの箱をひっくり返したような、と言われるデタラメな状況が日本の都市にあることも、建築家は直視する必要がある。つまらない建築が量産されている現実んは多くの建築家が日々うんざりしているはずだ。
(中略)
いい建築ばかり見ていても現実からは乖離する。個々の建築に小さくとも可能性を見出すことはポジティブなことだが、全体像においては必ずしもそうではない。まずこの現実を直視することこそポジティブな一歩であるはずだ。

日本近現代建築の歴史-明治維新から現代まで-
日埜直彦

いずれにせよ、待機をした後、どのように意思としての建築を社会に展開してゆくのかを我々の世代は問われ続ける。社会から現状として期待されない「意思としての建築」をどのように変出させるべきなのかを考え続けなければならない。

そもそもメッセージの弱さを持った建築で社会にどう展開を望んでいくのか。状況は悲惨だが、建築には持続的な力がある。だからこそ俄然やる気が出る。(2022.1.12)

2.XRと都市空間

今週はこの二つの記事が非常に対比的な考え方で面白かった。個人的にはこれからの空間の豊かさの定義の分岐点のようなものが、この二つに現れ、そして差し迫っているように思う。どっちもやってみてから考えてもいいかもと思うが、議論と倫理的な余地は相当ありそう。

・「メタバース」は(中略)感覚を遮断し、知覚をデジタルコンテンツに置き換える装置を身に着けることで得られる、いっそう強烈な没入感を伴う体験だ。
VR(ヴァーチャルリアリティ)のように人々に現実世界を完全に放棄することを促すのではなく、現実世界そのものをよりよくするものだと信じている。
・リアリティチャンネルでは、アトムではなくビットを使うだけで世界をいくつかの方法でより面白いものにしてくれます。ペンキや絵の具の代わりにデジタルな絵の具を使う。特定の場所に限ったものにしてもいいし、全世界に展開できるものもあるかもしれません。
・わたしは、デジタルテクノロジーを使って公共の広場という概念に新しい息を吹き込む、つまり人々がソファを離れ、楽しめるような環境に連れ出すいう考えにすごく興味をもっているんです。公園や森の中を散歩する、ただただ歩くという行為がもたらす精神面でのプラス効果は、多くの研究で示唆されています。しかし、われわれがいま住んでいる世界は不安に満ちていて、コロナがそれをさらに悪化させています。不幸が蔓延しているのです。怒りも多い。その一部は、われわれの身体が求めていること、つまり、活動的に動き回ることが足りていないことから来ています。
・メタヴァースはわれわれを、人間として根源的な幸福を感じるものから引き離してしまいます。人間は身体をもち、それを通じて世界を体験するように生物学的に進化を遂げてきました。われわれがこのところ多くの時間を過ごし、コロナのためにいっそうその弊害を受けているテクノロジーの世界は、健康に悪いものです。

・この世界がどれだけ広大か。10年じゃ無理ですが、20年内には、リアルのGDPをバーチャルが超えてくると確信しています。
・すでに若い子の多くにとって、リアルよりもバーチャルでのアイデンティティ、友達関係、コミュニティのほうがより重要で濃密という状況がもうできています。
・リアルとメタバースが競合するというより、リアルが不自由に感じるかもしれない。
・今の社会的常識の善悪の感覚はほぼ関係なくて、自分が信じているテクノロジーの未来に対してプラスかマイナスかだけで突き進んでいく。

ジョン=ハンケは、身体と現実の放棄を強く懸念していて、空間としての豊かさに重きをおいているように思う。(街歩きが好きというのはとても好感を持てるし、パルテノン神殿の話はとても興味深い。)

パルテノン神殿はカラフルだった。

反面、後者はビジネス優位のメタバースである。経済的な価値や現実空間のリプレースと再構築に重きをおいてる。つまり、目指すところは資本が集まる主戦場を変えることであり、それは豊かさに直結すると言うよりは既存の経済主義の延長線上での空間構成変えようと言う話であると思う。
(余談だが、個人的には起業家と張り合うまたはそれ以上の社会的存在に建築家はならなければならないと思っている。これも後日論考する。)

都市や建築的なコンテキストから考えるとかなり錯綜し、まだ自分自身もまとまりきってないので考えたいが、議論の焦点を当てるとしたら、「どちらの空間が持続的にそして人類に良い影響を与え続け、繁栄を支えていくのか」なのかもしれない。つまりメタバースはこれからパルテノン神殿のようになるのか、そして歴史になるのかと言う話である。

現状の空間制約や論理からの解放を目指すのは瞬間的にはとても面白い。モダニズムと似てるものを感じるし、「自分が信じているテクノロジーの未来に対してプラスかマイナスかだけで突き進んでいく。」といういかにも…な考え方である。しかしそこには重さが到底足りない。

イギリスの評論家のウィリアム=カーチスが夕暮れどきにスピーチをした時の言葉が強く記憶に残っています。彼は「音楽とか絵画、彫刻、そう言う他の芸術に比べて建築が伝えるメッセージは弱んだ」と言いました。囁くように言ったかな。だけどその弱い力は持続的でその空間はあるかぎりずっと囁きつづける。だからこそその総量はとても大きい、といったんです。

建築の難問--新しい凡庸さのために 内藤廣

内藤廣の言うように建築とは意思であり、同時にメッセージを持つものであり、囁き続けることが重要なのだとしたら、質量が放棄された仮想的な空間は建築たりえるのか。
つまり時代や時間を超えてその空間は人類に囁き続けることができるのであろうか?質量保存されない空間に、持続的な価値はあるのだろうか?
そこのところがとても興味深いなと思う。

・ここに実存への問いかけがある.今後,物質的なプリントとデジタルデータのNFTどちらが永く残るだろうか.このデジタルデータと物質的な存在の間にある違いこそが,質量への憧憬ではないだろうか.形あるものは壊れる,形ないものは忘れる.これらの作品を通じてイメージと物質の間にある憧憬を,質量のないデータと質量ある物質の間に存在する新しい自然とともに探求していく.
・NFTを作品にしました,いいえ,物理的な作品にしたことでNFTになったのです? いや,どっちが先に死ぬかの問題になったのかもしれません.それは質量と非質量の融和か戦いか.
・振り返ってみればデータの形で保存する方が忘却への憧憬に近づいているような気がする.失われやすい永続性の箱,資本主義に握られた記憶,その儚さもまた実に味わい深いものだと思いながら昔の写真を眺めている.


個人としては質量からの空間解放は人類が常に望んできたことであり、生活空間としての仮想空間は現実空間と紐ずくのは必然であると思うが、結果それはいづれ価値をなくしそして忘却される儚い人類の生活の場であり、歴史を紡ぐような意思としての建築にはなり得ないような気もする。

この辺りのクエスチョンにまともに返答していくのはとても勇気が必要だけれど、空間を創造する建築家は、今までテクノロジーと乖離したことを認めた上で、そのような分岐点としての議論に介入しなければならないと思うし、自分も答えることに挑戦したい。(2022.1.16)

表紙はキースラーのエンドレスハウス

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