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建築家との散文的なダイアログ(2022-03-06)

以前お世話になった設計事務所にお願いをして、建築に対しての向き合い方を相談した。進路相談というありきたりな名目で訪れたつもりが建築の業界としての未来を模索するとても有意義な時間になった。というよりも今、建築の未来を模索しないで何ができるだろうか。

ここで話したことをテキストベースでアーカイブしておきたい。
一部というかそれ以上にだいぶ口調や主張は自分の主観的な意志の元修正している。だいぶ散文的だが、残ればいいか。

①文化はどこから、そして何をしてきた人から生まれるか?

結局のところ構造やシステムから文化は生まれず、空間に対して文化が求められる。
建築家の拡張のベクトルがVUILDのような起業家なのか?というとそこは疑問を持った方が良いのかもしれない。あれは人類の世界観を作れそうか?文化になりそうか?その問いの方が重要である。最後の最後で、人間の文化の設計を任せられる人間はどのようなことをしてきた人なのだろうか?それは人なのだろうか文化はどこから生まれるかとかも自分で問うた方が良い。

おそらく変わらないのは、丁寧に空間の豊かさや世界観に向き合ってきた人である点。

それを多くの人が作家性と呼ぶからスターアーキテクトの文脈でしか語れない。だからスターアーキテクトはダメだという話になるが、スターアーキテクトを否定するなら美術家すらも否定せねばならない。手法が古いだけで変えれば良い。トップダウン的な追い込み方ではない世界観の構築方法がこれからはあるだろう。そこのところが重要なんだ。


②建築家の独立について

独立はポジションメイク。しかし、設計事務所のビジネスモデルは破綻してるから自分で練り直した方がいい。
日本だけで勝負することもない。君は何ができて、君の仲間は何を目指しているのか、何を見たいのか?がポジションだ。市場からポジションを考えるのは建築家のなりそこないである。

次にそれでトップofトップをとれるものか?
そこにコンフィデンスがあるのか?まずは、その点を重点的に考えていればいい。

ただ20、30、40での独立はそれぞれ歩む道が違うことは理解しておいた方がいい。技量として20-30は全然足りない。建築的な面だけではなくて仕事の取り方や金の回し方、人との付き合い方。そこが熟すのはようやく40代に差し掛かった時。というのがセオリー。

ただそれもスキーム自体が変われば多少異なるのかもしれいけれど、建築の技量は限りなく身体的だから時間がかかる。建築の時間軸は長い。だからこそ命を捧げる意味になる。故にショートカットはない。地道にやるしかない。まずは自分が受注した設計案件だと思って課題に取り組んでみよう。

③時間的合意と再開発

現代の再開発がクソばかりなのは正解だ。XLスケールは建築家なしの建築とコールハウスは言ったがその通りになっている。東京の再開発は完全に既得権益のためのものになってしまった。内藤廣が最も建築家としては食い込もうとしたが結果としてはうまくいってない。槇文彦もできなかった。
これが今の現実なのは直視することが重要だ。

デベロッパーは土地の価値を下げたくないというマインドがあってその上でまちづくりが何だとかデザインやアートを語っている。そこが罪深いポイントだ。だから思考の深さや熱意があるかないか?というとどこまでもない。
そこに建築的な姿勢は存在しない。
あれは骨の髄まで経済のための空間であり、そこをコンサルするという役割で建築家が入ることは正しいかもしれないが、それでも何も良くはなってない。そしてそういうものが文化を作るはずがないしこれから続くはずがない。

だからそろそろ、本気で批判して叱らないといけない。それをできるのは飼い慣らされてない20代なのかもしれないね。

④時間軸と建築

建築家は建築だけに取り組んでいてもイノベーションには繋がらないと思う。しかし既存のやシステムの範疇での設計は卓越するので仕事は無くならない。一度その既存のシステムが壊れた時、キャッチアップができてないから立て直せない。

かつ、建築は一番最後にイノベーションが起こる。それはなぜか。今の建築のマテリアルは「コンクリート」「ガラス」であり、いまだにコルビジェ、バウハウスが云々と言っている。何年前のなのか考えた方がいい。建築に向き合い続けるかぎりそこから逃れられない。

今は不安定だから建築だけに向き合うのは学生として間違っている。まずはイノベーションのスパンが短いものに焦点を当てた方がいい。だから君が建築家としてXRやデザインファームに携わっているのは正しいと思う。30以降の建築家は誰もそれを解釈できてないから。それでいい。

⑤パンデミックと建築

パンデミックが起きて、近代建築の原則が生まれた。
なので単純な展開をしたら今の建築の転換は生きてる時に起きるはずで起こせるはずである。それはXRなのかもしれないしそうではないのかもしれない。
現代のような重力や質量の剥奪ではなくて、マテリアルにもっと強く回帰するかもしれない。そもそも建築的な空間を否定する段階にきているのかもしれない。隈研吾とかその世代の話は馬鹿正直に聞かなくていい、技量だけ盗めばいい。自分の存在意義のコンテキストで語ればいい、そう使うべき。

心の中でもう一度アーキグラムを呼び起こした方が良い、多くの建築家はそれを失ってもう立ち上がれない。だから、そういう柔軟で未来的な発想は今価値にならないかもしれないけれど、君たちの世代が考えることはとても意味深いものだ。もっともっとコンフィデンスしていい。

⑥テクノロジーは何に貢献しているのか?

建築においてテクノロジーの定義はとても難しい。祝祭性で動く建築なのに、それを剥奪することもできる。テクノロジーは雇用を奪う道具でもある。そしてテクノロジーを使うことで必ずしもその空間が美しくなるわけでもない。手というのはとても素晴らしいんだ。

フランスではあえてゴミを床に捨てる。掃除屋の雇用を無くさないために。それをどう捉えるか?ごみ収集マーシンをそこに置くか?

職人は減っている。だからテクノロジーでリプレースするのか?墨出しは機械でもできる。でも工数が嵩む。何が正しいのか、スマートシティはそこの観点よりもテクノロジーのプロダクトアウト的思考の中で都市を構築しようとしてるから危うい。まずネーミングもアウトだ。
今までの都市はスマートではないらしいからね。そもそもスマートと言う語句を使うことはとても微妙だとは思わない?

そういうテクノロジーで作られたものはこれから解体に向かうかもしれない。建築として愛されてないからだ。そうだ、高層ビルの解体業者を今から作ったらいいかもね。

⑦マテリアルの話

マテリアルはコストで考えるといい。触覚とかで考えると詰まる。

木造はコンクリートに木プリントを貼ることによって視覚的には代替された。それが意味するのは装飾的代替の観点に加えて、逆にどこにお金を使えるようになったかであると思っている。建築は前提莫大なお金がかかる。だから質量や重力からの解放、そして高層化に向かったのは知的に生まれたベクトルというよりも、一番お金のかかる建築を作るということからコストを下げたいという欲求からの派生とも考えることができる。

プリミティブな建築に愛を感じるのは建築をやっていたらそうなるが社会的にはそこで動いてない。民藝は一般化しなかったのはそういう意味を持っている。そこを操れるといい。

3Dプリントで建築できる時、建築コストは最小限になる。そしたらどこにお金は使われるようになるか?

車は当初は移動手段としてだったが、今は臨時の会議室としての設計も必要になっている。グローバリゼーションがあったから造船技術が進化した。造船技術は建築に転用された。用件が変わればマテリアルの用い方も変わる。そういう展開の仕方の先にマテリアルの議論がある。

終わり。

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