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精神病棟への入院。そして東日本大震災|連載『「ちょうどいい加減」で生きる。』うつ病体験記

本文中に、うつの症状に関する記述があります。そうした内容により、精神的なストレスを感じられる方がいらっしゃる可能性もありますので、ご無理のない範囲でお読みいただくよう宜しくお願い致します。

「正木のぶしろ(=筆者)さん。正木さん、いいですか。正木さんには即刻入院していただきます。このままではとても危ない。正木さんの状況は、たとえるなら『自殺する中年男性の典型的な精神状態』です」――忘れもしません。2011年3月初旬、私は担当医からこう告げられました。

精神病棟への入院を告知された後の"揺れ"

いえ、正確には、上記のように告げられたのは病院に集められた家族で、私自身には「入院が必要です」としか伝えられませんでした。「精神病棟への入院」の勧めを聞いて、気が遠くなる感覚に陥りました。私は、この旨を職場に伝えるため、勤め先の新聞社へ。当時の編集長に応接室で状況を報告したと記憶しています。「思いきり静養してくるんだよ」と声をかけられました。私は職場をあとにし、とぼとぼと帰宅。実家のソファに腰をかけ、うなだれました。そのときです。

グラッ……。

「あ、地震だ……。大きい……?」

突然、揺れに襲われました。近くの食器類が音を立てはじめます。地鳴りが強くなり、本棚からは本が崩れだしました。家中から、何かが割れるような音も響きます。建物全体の揺れるさまは、まるでおもちゃのようです。「これは尋常じゃないぞ……」。私は、リビングボードから落下しかけるテレビをようやく支えながら、地震がおさまるのを待ちました。長い揺れは、何分つづいたでしょうか。ミシミシミシ……。静かになってきてテレビを定位置に戻すと、画面には地震速報が出ていました。この日は3月11日。そう、大きな揺れは、東日本大震災だったのです。まだこのときは事情がまったくわからなかったわけですが……。

かくして私は、巨大地震直後に精神病棟に入ることになりました。病院は明らかな非常態勢。余震も頻繁です。患者も医師も看護師も、右往左往しています。そんななか、一般病棟と精神病棟を隔てる? 巨大な鉄の扉が開かれ、私の体は扉の向こう側に吸い込まれていきました。

ここから、精神病棟の情景について少し描写します。ただし、以下に書くことがすべての精神病棟の事情に共通するものでないことはご理解ください。また、東日本大震災という未曽有の惨事のなかでの入院です。医師らも通常体制でない対応をしていた可能性があります。その点もご勘案いただけたら幸いです。

"精神病院"での入院生活の事情・特徴

通された病室は、個室でした。5、6畳ほどの広さでしょうか。部屋に置かれていたのは、ベッドとロッカー、チェスト、テレビ。きわめてシンプルです。窓はありますが、驚いたことに「鉄格子」がついていました。見える景色は、はす向かいの病棟、そして病院の中庭だけ。一本の枯れ木が立っていました。「これ以上ない、殺風景さだな……」。しかも、病室の入り口のドアには「のぞき穴」。いつでも外から部屋の中が見えるようになっているのです。自殺防止のための穴であることは明らかでしょう(もちろん鉄格子も飛び降り自殺防止のためのものです)。私は、元外交官で作家の佐藤優氏が、何かの著作で「監獄と精神病棟の病室は構造が同じ」という趣旨の内容を書いていたのを思い出しました。

持参した荷物ですが、こちらは基本、最低限のものにと抑えられました。ハサミや爪切り、ひも類など、自傷自殺に使えそうなものは持ち込み厳禁です。携帯電話は、かろうじて(おそらく地震があったための特別対応で)持つことを許されました。看護師の巡回・見回りは1時間に数回。予告もノックもなく、突然ドアを開けて「私に異常がないか」を確認しに来ます。ちなみに、先の「のぞき穴」は、他の用途の個室やトイレにまでついていました。まるで一日中監視されているかのようです。病棟には小さな図書館やレクリエーションルームもありましたが、私は利用する気になれません。長く長く感じられる一日を病室でじっと過ごしました。

そこに、食事や服薬のための時間などがはさまります。「夕食の準備が整いました」――定刻になると館内放送が流れ、同じ病棟にいるほかの患者とみなで病院食を食べました。その間、何かをしゃべる人はほとんどいません。食べ物を咀嚼(そしゃく)する音だけが食堂に静かに響きます。一人、ご高齢の方が私のとなりで、「戦後の配給食みたいだろ」と笑っていたのを覚えています。ただし、このときは東日本大震災の余震がありました。揺れがあったときだけは、患者のなかにパニックになる人が出て、場が騒然。とくに、私が入った病棟は築年数が相当に古く、今にも壊れそうです。私は、亀裂の入った天井や壁を見ながら心のなかでつぶやきました。「まあ、建物が崩壊して死んだら、そのときはそのときだなあ」

「俺の人生、詰んだな……」

ちなみに、爪切りなどの刃がついたものを使う作業と、薬を飲む行為は、看護師の前でしか行えません。毎晩、就寝前になると、患者一人一人が水の入ったコップを持って列をなし、ナースステーションの前で薬をわたされ、飲むように促されました。そのあとは消灯のアナウンス。一糸乱れぬ行動規制が敷かれているかのようです。電気が消えてしばらくすると、館内は水を打ったように静かになりました。真っ暗で、無音。耳栓は、要りません。ときどき奇声じみた音が廊下に響くことはありますが、それ以外に、まれにヒタヒタと鳴るのは、巡回している看護師? の足音だけです。

入院初日の夜中、私は、鉄格子越しに窓の外を眺めました。何とも味気のない景色が、細々と広がっています。昼間はわからなかったのですが、はす向かいの病棟の向こうに、ビルの赤色灯が点滅しているのがわずかに見えました。それ以外に光のさすものは何も見えないので、私にとってはその明滅がとても明るく感じられました。生活の端々まで時間管理・拘束された一日を思い出し、大きなため息を吐く私。と、そのときです。

「俺の人生、詰んだな……」

私の頬を涙が伝いました。個人的には、散々闘病してきたつもりの、その果てに至った入院です。自身の「これから」については一切希望が持てません。私は大人になって初めて号泣しました。ですが、結果的には、この入院を機に少しずつ体調が上向いていったと思います。私の入院は3カ月間でした。それ以降、ふたたび入院することはなく、自傷行為も一度もなく、薄紙をはぐようにしてではありますが、ふたたび復調していきました。

さて、このような病棟の様子ですが、私の入っていたところはたぶん、かなり統制力のある方の病院ではなかったかと思います。たとえば、精神科病棟を舞台とした天野作市氏の小説『みんなの旅行』(講談社文庫、2012年)で描かれている病棟は、もっと"ゆるい"ものです。精神科医・香山リカ氏は、同作の解説で「舞台となっているのは新築の国立病院の一角らしく、よく古い映画に出てくるようなおどろおどろしい鉄格子つきの病院ではない。食事があまりおいしくないことを除けば、きわめて機能的で清潔、許可が下りれば散歩や喫茶店への外出なども自由で、まさに入院患者さんにやさしい空間になっている」と述べて、かつての監獄のような病棟とあえて一線を画すようにして、現代の精神医療を評しています。徹底的に患者を管理したひところの"精神病院"の医療を描いたケン・キージー著『カッコーの巣の上で』(岩元巌訳、パンローリング株式会社)のような"入院"は、現代においては少なくなっているか、あるいはなくなっているのではと推測します。どうでしょうか。

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