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寄り添いサービス「あなたの味方」代表・MIHO(みほ)さんの自分史|インタビュー(聞き手:ライター正木伸城)

6児の母として子育てに奮闘しながら、多くのママの相談にも乗り、メンタルケアも行っている、寄り添いサービス「あなたの味方」代表・MIHO(みほ)さん。心のひだに触れるような彼女の温かなサポートには、波乱万丈の人生に裏打ちされた言葉や姿勢があった。毒親の悩みを乗り越え、モラハラ夫の影響下を脱し、不登校児のわが子を支えてきた――そんなMIHOさんの人生史の一端を追った。

円満とはほど遠い夫婦生活。その末に夫と離れて

――現在、母として6人の子育てをしているMIHOさんですが、差し支えがなければ、夫と離れた理由について教えてください。

理由はモラルハラスメント、いわゆる「モラハラ」です。私の場合、たとえば夫から「10人以上、子どもを産んでほしい」といった圧力と行動をかけられていました。率直にいえば「強制的な夫婦生活が続く」状態にあったのです。喧嘩も頻繁にありましたし、私自身、生活があまりにもつらくて、笑顔になれませんでした。その状態を知った友だちなどが、「それ(=夫の行動)って、おかしいよ!」と言ってくれて、最終的に私は子ども6人を連れて家から逃げました。当初は喧嘩もあまりない夫婦関係だったのですが、後々状況が変わりました。

――結婚生活の始めは、夫との関係は円満だったのでしょうか。

円満というか、お互いに通じる生活の目的があったんです。実は、夫の両親には多額の借金がありました。結婚した後にそのことが判明したのです。借金返済に注力していて、その頃は喧嘩もあまりありませんでした。

ただ、その時はその時でつらかったです。いまお伝えしたように、結婚してすぐの時は借金のことなんて知りませんでした。ただただ、夫の両親への金銭的な援助がエスカレートして、気がつけば当時の給料のほぼ全額を夫の両親に渡すという状況になっていたのです。そうなると、さすがに私も「(夫の両親について)どうも、おかしい」と思うようになって……。それで、訳を聞こうと思い立ち、夫の実家などへ義父母に会いに行きました。

結果的には、借金を全額を返すことができて良かったです。

元国家公務員だったMIHOさん。いま抱く夢とは?

――MIHOさんがその頃されていたお仕事について教えてください。

航空管制技術官という仕事をしていました。国家公務員です。夫も公務員をしていたので、借金がなければ、その時は収入的に足りないということはなかったです。その後、私は起業もしました。ウェブを使ったビジネスで、かなり成功できたと思います。だからでしょう。夫からは「MIHOは、お金も生み出すし子どもも生み出すね」と言われていました。今でも、経営をしていた時に培ったノウハウがあるため、友人などの仕事の相談に乗ることができています。ただし……今は家から逃げたこともあり、多額の収入につながるワークスタイルは取れていません。未来について丁寧に思考をめぐらせながら、これから自身がすべきことを定め、それができる環境を整えていこうと思っています。

――現在、どのような夢を描いていらっしゃいますか?

これは私見ですが、かつてに比べて今の子どもたちは「夢」を抱きにくくなっているのではと感じています。私が幼い頃はバブルが絶頂でした。ある意味で、あの頃は子どもが夢を見られた時代だったと思います。でも、日本の成長が長く停滞し、景気も良くならず、希望も見いだしにくい社会が続いたことで状況が変わってしまった。私は、そんな今だからこそ、子どもたちが思い切り夢を見られる時代をもう一度作りたいと考えています。具体的には、たとえば地域にコミュニティを作り、近隣の大人みなで子どもを育てるといった互助的なつながりを創出するという着想があります。魅力ある大人と子どもが多彩に交流しながら、子どもたちが夢を見られる環境を整えるのです。

――地域活性化が抜き差しならぬ課題になっている現代にあっては、特に大切な構想ですね。そう思われたきっかけはあるのでしょうか。

おそらく、父の仕事が関係していると思います。父は、ハウステンボスの前進であるオランダ村や、現・ハウステンボスといったテーマパークで働いていました。私はしばしばそこに遊びに行き、世界中の人たちが行うパレードや著名人が出演するイベントを見てきました。まさにそれらは「夢の世界」です。そのうちに「私も夢のあるイベントを主催する側になりたい」と思うようになりました。コミュニティの創成という発想はこれと違ったきっかけで思い立ちましたが(詳しくは後に触れます)、イベントを作りたいと思ったこの原点は、現在も私の原動力になっています。特にわが家は極貧だったので、その現実と夢のギャップがあまりにも大きくて、だからこそ、子どもが夢を見られることの大切さを痛感しました。

「おしん」のような状態だったわが家と私

――お父さまがハウステンボスで働いていたとはいえ、生活は苦しかったのですね。

特にオランダ村の開園当時、わが家は貧乏そのものでした。あまりにも貧し過ぎて、洋服も満足に着られなかったくらいです。地域で一番安い洋服屋から下着を買って、その下着に母親がキャラクターの絵を描いて、それを洋服として着ていたこともあります。

一方で、私の家系は、わが家以外はとても裕福でした。多くの親戚が医者でしたし、社会的な要所で働いている人もいました。なので、盆や正月に一堂に会すると、ちょっとした社交場みたいになっていましたね。そんな中、うちの家族だけがドラマの「おしん」みたいな役回りをして、私もおしぼりを出したり、お茶くみなどをしていました。母は親族からなかなか受け入れられず、周囲に溶け込めず、苦しんでいたと思います。

――滅私奉公とは言わないまでも、親戚一同に尽くさなければいけないような立場にあった……。

おもてなしに駆け回る感じでした。ただ、裕福な親族を持てたことには利点もあります。お金まわりのさまざまな知識を得られましたし、社会の裏側というか、「世界はこうなっているんだ」という、普通では知ることができないこともたくさん教わることができた。わたし的には、それらの知見が自身の起業にも、現在のビジネス相談にも活きているので、良かったなと思っています。

――とはいえ、お母さまもつらかったでしょう。

つらかったと思います。それゆえか、母は多くの宗教にハマっていきました。私も3つくらいの宗教の「幼い子どもの部」みたいなところで説法を聞いたり、宗教的な言葉を暗唱したりしました。

悲惨な出来事も幸せの糧に変えていく

――壮絶な過去があるにもかかわらず、MIHOさんはとても朗らかです。その明るさは、どこから来るのでしょうか。

やはり、苦労が心の奥行きを広げてくれたのだと思います。おしんのような生活があったことも、極貧生活も、また私の弟が重い精神疾患を抱えていて家の中が大変だったことも、結果的に私の生を豊かにしてくれました。もちろんモラハラ夫とのトラブルも、です。夫の家を離れた時は、それこそ「出家をしようか」と考えたくらいでしたが、私の場合、「貧すれば鈍する」とは逆になって、むしろお米一粒にも心から感謝がわくようになりました。お米があるだけで幸せをかみしめられるというか、その気持ちに心の豊かさを見いだせたんですね。

それに、形はどうあれ、母の影響で宗教に触れられたことも大きかったと思います。個人的なリサーチも重ね、さまざまな宗教が教える幸福観、幸せの概念に触れました。その経験が心を耕してくれた部分が確実にあります。

――MIHOさんの幸福観についてぜひお伺いしたいです。

たとえば「お金があることが幸せ」「モノを多く持つことが幸せ」といった価値観がまだまだ社会的に根強いですが、そういったものに左右されない、人格的な温かさだったり、人間関係の豊かさといったものに価値を見ることが幸せだと私は思っています。当然ながら「夢を持てる」ということも幸福にとって大事です。もっと言えば、いま言及したように、貧乏などの苦労は幸福の糧になり得ます。私は、本気で「今が幸せ過ぎる」と思っています。なぜなら、悲惨な過去に比べたら、どんなことでも「大丈夫だ」と思えるからです。これは「強がり」ではなく「確信」です。

誰も置き去りにしないコミュニティを作りたい

――しかし、6児の母としての奮闘は凄まじいものだろうと想像します。

確かに子育ては大変でした。ですが、現在は上の子たちが大きくなり、家のこともたくさん手伝ってくれます。実は、今の今はそれほど大変でもないんです。

――素敵です。子育てではどんなことを心がけて来られたのですか?

子どもたちには、幸せになるための心作りの仕方を自分なりに伝えてきました。たとえば、お店などに行った時に、店員さんに悪態をついている人がいたとします。そういう場面に出あったら、どのような心理でその人が悪態をつくのかを想像し、具体的に語るんです。私は「お金持ち」から「超・貧乏人」までさまざまな人を見てきたので、人間観察力には自信があるというか(笑)、多くの人を観察して得た知見があって、それを子どもたちに伝えています。

――確かに、幼い頃から社交場のような親戚の集まりでおしんのように振る舞ってきたら、人間観察が得意になるかもしれません。

その上で、個人的には子育てで一番大事なのは「ママ(あるいは「親」)が笑顔でいること」だと思っています。これは結論的にあえて申し上げますが、ママは決して子どもの犠牲になるべき存在ではありません。誰の犠牲にも、なってはならない(ともすると、ママは子どもや家族に尽くし過ぎてしまうのです!)。子どもを幸せにしたいのなら、まずはママ自身が幸せになるべきです。

私はそこに関して遠慮しません。これは後づけの理屈かもしれませんが、子どもが不登校になった時は、私がちょうど結婚生活に疲弊し、笑顔がない時代でした。恐らく、私=ママの不安が子どもに影響したのでしょう。もちろん、不登校の原因は各家庭それぞれで違うでしょうけれど、私自身は「自分が笑顔でいなかったこと」が原因だと感じたのです。そこから私は「子どもを不安にさせないためにも、笑顔でいよう」と決めて、態度を改めました。すると、不思議にも状況が好転してきた。この経験を通して、ママ自身がまず幸せになることの大切さを知りました。

とはいえ、ママ一人では笑顔になれないこともあります。つらい時に「つらい」と言える仲間がいた方がいいのは当然です。それを痛感したからこそ、現在展開している寄り添いサービスの必要性を感じました。

――また、互助的なつながり・コミュニティを作りたい理由もそこにあるのでしょうね。MIHOさんが目指していることは、多くの人、多くのママの希望になります。最後に、子育ての観点からメッセージをいただけますでしょうか。

未熟な私が大それたことは言えないのですけれど、ただ、「一つの価値観にとらわれ過ぎないで」というメッセージは世に広めていきたいです。

たとえば、不登校は社会的に「良くない」というイメージを持たれがちですが、それ一色の価値観で不登校の子どもを見る必要はないと思うのです。不登校は「絶対悪」ではありません。もちろん、子どもが不登校になったために多くの親が悩んでいる事実は看過できません。焦るでしょう。心配になるでしょう。でも、不登校になることで返って伸び伸びする子どももたくさんいます。必ずしも「不登校=ダメ」ということにはなりません。少なくとも、不登校になった子を「懸念すべき存在」という単一の価値観だけでジャッジしないで、温かく見守ってほしい。その方が、子どもも親も楽です。

これが、「一つの価値観にとらわれ過ぎない」という発想です。

部活動や習いごともそうですよね。仮に貧乏がひどくて、そういったことを子どもに経験させられなくても、野性的に野原を駆け回る時間がたくさんあった方が子どもが育つことだってあります。まさにうちがそうですから(笑)、「子育ては○○であらねばならない」といった観念にとらわれ過ぎないでほしい。

――大切な視点です。

その上で、繰り返しになりますが、子どもを幸せにしたいのなら、まずはママ自身が幸せになってください。親が幸せになってください。それが、つたないながらも私が伝えたいことになります。

――本日は貴重なお話ありがとうございました。


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