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ねずみ捕り

小さい頃、住んでいた家には、ねずみがいた。
ときどき台所で視界の端をかすめることもあったけれど、小さな子供に捕まるようなマヌケなねずみはいなかった。
ねずみたちは夜になると屋根裏で走り回り、眠ろうとするわたしの邪魔をした。
ねずみを捕まえるための『ねずみ捕り』と呼ばれる箱をおばあちゃんはいろんなところに置いていた。金属でできた細長い箱は白く塗られていて、中は見えない。
両側に入り口があってねずみが入ると蓋が閉まり、出られない仕組みになっているらしい。おばあちゃんはそこへ煮干しをひとつ入れて、部屋の隅の壁にぴったりつけて置く。
ねずみを見かけた次の日の朝、長細い箱から音がした。出ようとしてもがいているのか、音は鳴り止まない。わたしは急いでおばあちゃんを呼びに行く。
「おばあちゃん、ねずみがかかってる」
おばあちゃんはゆっくりと近づいて箱を持ち上げ、勝手口のドアを開けた。わたしはおばあちゃんの後を追う。
靴を履いて外へ出るとすぐに小さな浅い川がある。
いつもその川で野菜を洗っている隣のおばちゃんは今日はいなかった。
「おばあちゃん、そのねずみ、どうするん」
おばあちゃんは答えずに、ゆっくりと箱を水の中へ沈めていく。
ガタガタしていた音が聞こえなくなった。小さな丸い泡がいくつか上がってきて、消えた。
白い箱は流れにびくりともせず、黒い川の底に居座った。
「なんでねずみをとるの」
わたしはおばあちゃんに聞いた。
「悪いことするからや」
「悪いことってなに?」
「大事な着物や布団をかじってしまうからや」
おばあちゃんは少し曲がった背中を向けて家に戻っていく。
わたしはしゃがみこんで川に沈んだ箱を眺める。小さな魚が見えて水に手を入れた。
水は思ったよりも冷たくて、わたしはすぐに手を引っ込めてしまった。

週刊キャプロア出版54号【いのち】より
エッセイ【ねずみ捕り】

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