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古事記からみる日本の慣習・伝統の再確認

■次のポール・クローデルの言葉は多くの人が耳にしたことがあるでしょうが、ここにある「日本が太古から積上げてきた文明」って何か?と聞かれて答えられる人は少ないのではないでしょうか。

<ポール・クローデル(1920年~1927年の元駐日フランス大使)>
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にありません。日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではありません。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格があるのです。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。」
そしてこう付け加えた。
「彼らは貧しい。しかし、高貴である」

■山本七平によれば、答えられないのは、その答えを「悪しき過去」として意図的に抹殺したから、最初は明治政府が、二度目はGHQが。

<現人神の創作者たち:山本七平>←以前の投稿で詳述してます。
・それ(ある種の呪縛)に抵抗を感じ、何やら強い矛盾を感じつつもどうすることも出来ず、肯定も否定もできない。
・(原因は)自己の伝統とそれに基づく自己の思想形成への無知である。
・書いた本人は、それが日本の伝統に基づく発想だとは思っていない。
・「何により自分はそういう発想をするのか」という自覚のないことが、私のいう呪縛である。
・(明治政府は自らの手で)消してしまったがゆえに呪縛化し、戦後はまたそれを消したがゆえに二重の呪縛となった。

■そこに外来の思想を持ち込んだのが明治政府、洗脳で外来思想を押し付けたのがGHQ。しかし、そんな外来の付け焼刃的思想は根付かなかった。しかし元々の思想を抹殺したので、日本人の心には混乱が生じている。更なる外来思想に攻め込まれて、うまく抵抗できなく、ドンドン破壊されそうになっている。それが今の状態かも。

<群衆心理:ギュスターヴ・ル・ボン>より←以前の投稿で紹介してます。
・ある時代の思想は、過去の娘で、未来の母で、常に時の奴隷である。
・民族は、その性格に則して統治されるのであって、この性格にぴったり合うように作られていない制度は、すべて仮衣装か一時の変装に過ぎない。政体ではなく、民族の性格が、その民族の運命を決する。
・制度は思想・感情・習慣から生まれた結果であって、法規を改めても、思想・感情・習慣を改められない。

■そこで「抹殺されたもの」の1つと思われる『古事記』がどのように一つの信仰のように私たちを縛っているのかを再確認したいと思っています。古事記については前回までの3つの投稿でご紹介してあります。
「史実ではない」「科学的でない」という批判を受けていますが、そういうことは歴史研究でやって戴ければよく、歴史勉強は「日本人の『精神』はどう生まれて、これまでどう引き継がれてきたのか」なので、史実か否かは関係ありません。新約聖書では造物主(=ゴッド、以下「神」と書きます)が光あれと言うと光が生まれました。このような新約聖書とキリスト教徒(科学者、政治家、哲学者たち)の心の折り合いについても、以前の投稿(「神は妄想である」)で紹介している通りです。

■前置きが長くなりました。キリスト教徒の違いをやや意識して説明します。

①森羅万象、全てに神が宿る
・古事記では「天地が神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)を生んだ。」つまり神を生んだ「天=自然」がある。なので、天の下でいろいろな神(外来の神を含む)の存在も許容される。
・伊邪那岐と伊邪那美があらゆる存在、大地・神・人・モノを「生んだ」(=創ったのではない)。なので森羅万象にその神性が宿り、人は人以外の存在にも兄弟的なつながりを感じている。つまり皆同じ神の子と感じている。その具体例が針供養、包丁供養、印章供養、人形供養、ミヤイリガイ供養。あるいは「もったいない」思想。
・人間の利益のみで自然を開発することへの抵抗感。しかし、やる時は地鎮祭をまず執り行って神々の了解を得ることから始める。
・自然は同胞なので、自然災害を怨むことはない。
・自然との共生意識は、本来は環境破壊などを生まないハズ。

・新約聖書では「神が大地を創り、自分に似せて人を創った。」ここでは神と人は断絶していて魂は共有されておらず、何でも理性で設計すれば創れるのではと考える。でも、何故神が創ったにしては、何故こんなにいろいろな人間がいるのかは不思議。

②神と天皇と国民は運命共同体。
・天皇は主権者(共同体の生殺与奪を握る者)ではない。国民と共に天照大神に仕えるリーダーである。君民一体とはリーダー(君)もメンバ(民)もそれぞれが分を尽くせば共同体(=国家)は繁栄するということ。なので、天皇は国民を搾取するどころか、共に働いて日本を繁栄させるミッションを、天照大神から授けられた(天壌無窮の神勅)存在である。

・ここにはキリスト教のような対立構図はない。キリスト教の神と人の関係の例えに使われる話として、「カップ(人)は自分に取っ手がないと言って陶工(神)に文句は言えないし、陶工(神)はカップ(人)が気に入らなければ(カップの意志とは関係なく)投げつけて割ってしまう。」
日本の神様はそんなことはしません。だって自分の子孫であり、精神的に一体なんだから。

③死は穢れである。
・死をもたらす戦争や力による革命も忌避される。
・伊邪那岐・伊邪那美が生み出した大八島を守っていればいいのに、何故戦争になってしまったのか?

④生と死は連続している。
・黄泉の国と地の国を行き来している。
・肉体は消えても、魂は残る。
・生き返った時に禊をすれば清らかな身心に戻る。

⑤話し合いで決める文化
・天岩戸、国譲りなど話し合いで大切なことを決める。国譲りでは高天原側も出雲側も話し合いで決めている。
・対立がベースの多数決による民主主義がいいとは限らない。敗者を作らない、敗者の怨念を残さないことにつながる。

⑥天照大神の神勅((1)以外は日本書紀ですが)
邇邇芸命に対して、
(1)お前がリーダーとなれ
(2)常に自己反省をしなさい
(3)農業振興で国を繁栄させなさい
と命じた
・力でではなく、農業振興(=職務に忠実に励む)で治めなさい。
・搾取をしない。迫害・弾圧はしない(欧州とは違う)。なので、国譲りも話し合いで行った。
・邇邇芸命の子孫たる天皇陛下のミッションは全く変わっておらず、祭祀は今までも続いている。
・神との契約などない。国という意識が出来る前、原始的な共同体ができた時からの慣習。これが今まで続いていることが奇跡。
・天皇と国民の紐帯は普段は見えないが、国民の心に隠された信仰とも思えるその紐帯は非常時に明かになる。例えば大震災。また大震災の時に世界が驚嘆した日本人の礼節と良心。これもどこから来ているのか?気付かぬうちに国民を縛っている

⑦稲作が産業の原点(労働は尊い神事である)
・天皇陛下は未だに自ら米作りを実践されている。(神勅を守り続けられている)
・労働は苦役・罰ではなく神事。労働に倫理を見る。
・産業の原点は稲作り。それが農村共同体精神を育み、家族的な会社(工業・商業)を生んだ。
・日本をみずみずしい稲穂の実る国と定められたのが天照大神であり、斎庭の稲穂を授けられてこの日本に天下って国の開拓を始められたのが邇邇芸命であり、また天照大神の大御心を受け継がれたのが歴代の天皇である。大嘗祭・新嘗祭がないと天照大神との紐帯が切れる。農業の衰退が日本の精神的衰退になるかも知れない。

・「人は生まれながらにして罪を持つ」という贖罪がベースのキリスト教。十字架死を遂げられたイエスを信じ、その福音(Good News)を伝えることで人類は救われる。(なんだか…)
イヤな労働も神からの使命(ベリーフ)と考えて(イヤイヤながらも)受け入れることで神を喜ばせる。

⑧天つ神の邇邇芸命は単身で降臨し、国つ神と婚姻関係を結ぶことで、神勅を果たしていく。争いでの征服ではない。

⑨階級社会ではない。
・役割に基づく「分掌・分担」社会。高天原には様々な能力を持つある神々が存在している。

どの共同体でも同じことだが、トップが狂えば共同体も狂う。トップの暴走を押さえているのは歴史・経験とそれらを今に体現する慣習や価値判断。それを重視することが共同体の安定・発展に重要。共同体は今を生きるメンバーだけのものではなく、これまで建国の思い(=神勅)を支え、今を生きる我々の為に発展させてきた歴代国民の意志を尊重し、末代へ引き継ぐことが必要。これは保守主義思想である。
海外で日本を奇跡とまで賞賛戴けるのは、この積み重ねではないかという気がします。