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<サスペンス>としての「関羽、五関を過ぎ、六将を斬る」話

映画監督フランソワ・トリュフォーはこう尋ねた。
「映画に<サスペンス>が生まれる状況とは何ですか?」
これに対し、映画監督アルフレッド・ヒッチコックはこう答えている。

カメラが私たち二人を撮っていて、その向こうに観客がいるとする。
それから私たちが話し合っているテーブルの下に時限爆弾が仕掛けられたことを観客は予め知っているとする。
更に観客はこの爆弾が13時ちょうどに爆発することを知っている。
そして今は12時45分。爆発まであと15分だ。
しかし私たち二人はこのまま話し合っている。
この時点で観客には<サスペンス>が生まれる。
「何やってるんだ、逃げろ!」という焦りで、観客をこのシーンに参加させるのが<サスペンス>だ。

ヒッチコックがいう<サスペンス>は、観客が参加したくなる状況を用意することである。
空間的に追い詰められれば「危ない、見つかるぞ!」という焦りを生む。
時間的に追い詰められれば「間に合わないぞ!」という焦りを生む。
この秘訣はあらゆる物語において有効なので、創作をする人であれば絶対に覚えておいて損はない。

観客や読者にとっても、この秘訣は知っていて構わないものだ。
何故なら、優れた<サスペンス>を備えた作品は、この秘訣を知っていようといまいと否応なしに物語に引きずり込む力を持っているからだ。
まずは物語に身を委ねてみよう。
優れた<サスペンス>が現れる時を待ち、現れなかった時は「何故だろう?」と考えれば良い。

さて、ヒッチコックがいう<サスペンス>は映画以前の作品にも存在する。
例えば『三国志演義』における「関羽、五関を過ぎ、六将を斬る」の話だ。

劉備の義弟・関羽は徐州で曹操に捕らわれたが、曹操は関羽を手厚く保護し、関羽は「曹操に恩義を返した後、劉備のもとに帰る」と決めた。
この時劉備は黄河の北に、関羽は黄河の南にいる。
関羽は曹操軍の客将として活躍し、曹操に恩義を返した上で別れを告げた。
しかし曹操と個人的に通じていても今の関羽は曹操軍にとっての「裏切り者」であり、関所を守る武将達は皆関羽の命を狙う。
彼ら守将達は卑怯な手段を用いてまで関羽を追い詰めるが、逆に関羽は武略・知略・人の和を以てことごとく返り討ちにする。
最後に曹操の腹心・夏侯惇が立ち塞がるが、彼と一騎打ちして引き分けた後、ついに河北の劉備と再会するのだった。

ここには<サスペンス>における秘訣が詰まっている。
五つの関所を通らなければならないというミッションであり、曹操領内では裏切り者とみなされ、関羽は空間的に追い詰められている。
時間としての追い詰められ方では「関羽一行が寝ている間、宿所の周りに柴を積み上げられ焼き討ちされそうになる」という状況がある。
五つの関所を通過するにあたって五つのエピソードのバリエーションがあり、それぞれが「関羽、危うし!」という効果を生む。
それから最後に追いかけてくるのが夏侯惇というのも最高の人選である。
彼は「劉備における関羽」「曹操における夏侯惇」という腹心同士の宿敵、対比になっている。
宿敵との対決を最後に用意し、しかもその結果を「関羽の親友である張遼による仲裁が入ったので引き分け」とする辺り、『三国志演義』の作者・羅漢中やそれ以前の三国志説話の作者達は本当に優れた「作家」と言える。

さて、この「関羽、五関を過ぎ、六将を斬る」話は歴史書である『三国志』(いわゆる「正史三国志」)には載っていない。

蜀書・先主伝においては

・曹操は(徐州で)関羽を捕えた。
・関羽は(河北にいた)劉備のもとへ逃げ帰った。

という簡素な記述しか無いが、蜀書・関張馬黄趙伝においては

・関羽は白馬の戦いにおいて戦功を立て、曹操に恩返しをした。
・曹操は関羽の忠義、義心に感心しつつも彼を手放さないため方策を尽くしていたが、関羽の心を引き留められなかった。

という、少し詳しい記述になっている。
「五つの関を過ぎ、六将を斬る」話は後世の創作であり、それは『三国志』が紀元三世紀末の西晋期に成立した後、南北朝隋唐五代十国を経て、北宋南宋期での山西商人による関羽信仰・伝説化まで至り、『三国志演義』に取り入れられた説話と考えられている。

ここで重要なのは、この説話が成立した経緯ではない。
関羽の活躍は歴史書が伝えている以上に誇張されている。
それは彼の存在と事績が伝説・説話化するにあたって「作家」が存在していることによって、「楽しめる物語」となった。
その作家は現代の凡百な作家よりも優れた<サスペンス>の描き方・もたらし方を知っており、数百年後の私たちでさえ「関羽、危うし!」を(当時の人ほどではないにしろ)痛快に楽しめるようになっているということだ。

即ち、<サスペンス>の秘訣とは、物語を永遠に楽しめる秘訣ともなっている。
物語に時代を超えた普遍性を求めるならば、<サスペンス>の有無を問うのが必須だろう。
孟嘗君が秦の国から脱出できるかどうか、ハラハラする。
エジプトを出たユダヤ人達の前に海があり、背後にファラオの追手が迫った時、モーセが海を割るまでにドキドキする。
古代や中世の物語だからといって無視せず、<サスペンス>がある物語こそ探して読む楽しみもあるのだということを強調しておきたい。

<参考文献リスト>
・フランソワ・トリュフォー著、山田宏一・蓮實重彦訳『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』晶文社、1990年
・ 小川環樹・金田純一郎訳『完訳 三国志』岩波書店、1988年(全8冊)
・陳寿著、今鷹真・井波律子・小南一郎訳『正史 三国志』筑摩書房、1993年(全8冊)
・金文京『中国の歴史04 三国志の世界 後漢 三国時代』講談社、2005年

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