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学生街の喫茶店(番外編)【エッセイ】一六〇〇字

 1972年から5年間、早稲田・馬場下交差点近くに「SEASON」という店があった。いまで言えば、ハンバーガーのイートイン。マクドナルドが、銀座に1号店をオープンした翌年に、始まった。テーブルが、80席、カウンター8席、店裏のベランダに12席、合計100席(だったと思う)。昼は、ハンバーガーとホットドックと、コーヒーかコーンスープにサラダをつけてA~Cのセットメニューと単品。180円~250円(だったと思う。ハイライトが80円の時代)。夜は、ハンバーグにジャーマンソーセージが加わる。食事にくるだけでなく、大きめの喫茶店という雰囲気だった。
 私は、大学4年間、バイトしていた。授業の合間にローテーションのシフト勤務で、50人以上いた。コンパも年に何回か、店が終わったあと開催してくれ、部活のような集まりだった。私は、「金儲けクラブ」と言っていた。そんな集まりなので、恋愛あり、失恋ありの(複雑な)相関関係図ができたほど。

 店内では、その時代の先端をゆく曲が流れていた。バイトするものたちが、自分が聴きたい曲、お客さんに聞かせたい曲をテープにダビングして持ち寄った。
 ビートルズ、ディープ・パープル、カーペンターズ、エルトン・ジョン、イーグルス、ビリー・ジョエル、クイーン、オリビア・ニュートン=ジョン、サイモン&ガーファンクル、スティーヴィー・ワンダー、ロッド・スチュワート、マービン・ゲイ、ビー・ジーズ、
そして、最大の人気もん、エリック・クラプトン。

 大音量で流すので、当然、お客さんの声も大きくなる。賑やかな店だった。しかし、夜は、こんなアンニュイな曲も流す。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSNY)のニール・ヤングの代表曲のひとつとして数えられる名曲。
『ヘルプレス』(1970)

 当時の学生運動をテーマにした映画『いちご白書』で、大学に籠った学生たちが疲れきって雑魚寝している映像にこの曲が流れる。代表的なシーンだった。

 フォークソングやニューミュージックは、もちろん流す頻度は高い。荒井由美(後の松任谷由美)、井上陽水、遠藤賢司、チューリップ、ガロ、チューリップ、泉谷しげる、五輪真弓、猫、そして、よしだたくろう(吉田拓郎)。
 その拓郎の曲を聴きに来る中学生がいた。
 店に入ると、拓郎の曲がかかっていた。たぶん、あの子が来ているなとわかる。案の定、カウンターにあの中学生が座っている。その子は、週に3日は来る。コーヒーとハンバーガーを注文する。名前は、田中真理。70年代前半に20歳前後だったひとは、聞き覚えがあるだろう。そう、日活ロマンポルノで活躍した女優と、同姓同名だった。
 (田中真理は、ワイセツ裁判で警察権力と真っ向から戦い、'ロマンポルノのジャンヌ・ダルク'と称され、反権力の象徴的存在だった。8年に及ぶ裁判の結果、無罪判決を獲得した)

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東北大学の学園祭での田中真理(右)と白川和子

 店の位置は、早稲田中学・高校の正門の真ん前だったので、早稲田大学の学生以外に、中学生、高校生もきていた。早稲田中学の男子生徒と付き合いのある、近くの中学校に通っている子も来ていた。田中真理もその一人だった。彼女は一人でくることが多く、いつもカウンターに座り、拓郎の曲の歌詞を、写経のようにノートに書き写していた。
 私は、ホールでの接客が担当だった。なので、常連さんとは、話し相手にもなる。彼女もその一人。私のファンだった。ファンは、中学から大学まで、何人かいた。常連のほとんどが、そうだった(たぶん)。ある男がバイトに加わるまでは。その男は、上田という。
 上田は、身長が私よりも5cm高い177cmくらい。顔とスタイルが西城秀樹。むろん、私のファンだった子のほとんどが、ヤツのファンに替わった。その田中真理も例外ではなかった。
 唯一、残ったのが、教育学部の野瀬喜美子。当時付き合い始めたころで、さすがに見捨てられることはなく、救われた。


『今日までそして明日から』


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