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おいてきぼり【エッセイ】六〇〇字(本文)

4月9日から始まった早大オープンカレッジ「エッセイ教室」の4回目のお題が、「おいてきぼり」(600字)。さて、あなたなら、何を書きますか?

「おいてきぼり」を辞書で調べると、こうある。
「置いてけぼり」に同じ。
◆(置いてけ堀)江戸本所の堀の名。本所七不思議の一。釣りをして帰ろうとすると、水中から「置いてけ、置いてけ」と呼ぶ声がして、魚を返すまで言いつづけたという。
(なんとも、落語噺みたいですね)
◆他の者を残したまま、その場を去ってしまうこと。置き去りにすること。おいてきぼり。

私が書いたのは、「―を食う」「出世仲間に―にされる」という意味で。どうも自己嫌悪感が満載。自虐ネタのようで・・・。(-_-;)
「おあとがよろしいようで」なんて言わないで、読んでくださいな。

(TOP画像:1969年1月の東大安田講堂攻防戦)

本文の時代の少しあとに封切られた映画『いちご白書』。その主題歌。

バフィー・セントメリー『サークル・ゲーム』
(ジョニ・ミッチェルが作詞・作曲し、CSN&Yが歌った曲のカヴァー)
この『いちご白書』のあとにヒットした歌。

バンバン「『いちご白書』をもう一度」

                 ※
 「おい、帽子、被れよ」と、別の高校に通う2歳違いの弟に言うと、「そんなのナンセンスだよ」の返事。「そう思うなら、まずは、校則を変えるんだな」と、私は返した。55年前。高2の年末、結核に罹患。半年入院し、自宅療養後に留年。3年の時。
 実は、入院前まで、学帽を廃止するため校則を変えようと動いていたのだった。
 2年の10月から、1年からの親友だった寺嵜てらさきが生徒会会長、私が副会長として、執行部の活動をしていた。公約が、「学帽の廃止」だった。
 学園紛争が、盛んな時代。ベトナム戦争・70年安保の反対や、学帽どころか、制服の自由化を訴える高校もあった。が、札幌から1時間の小都市。都会ほど過激ではなかったが、既成の概念を変えたいという、熱はあった。
 毎日、生徒会議室にみんなが集まり、寺嵜を中心に提案書を練っていた。新年度予算を決める年明けの総会に、間に合わせようと。
 2学期の終わり間際、担任から入院を告げられた。その足で生徒会室に行き、寺嵜に謝った。「テラ(寺嵜)、一緒にできなくなってしまったよ・・・」と。
 無菌だったが、法定感染病。療養中は接触を避けていたので、詳細は、のちに寺嵜から訊く。委員会で却下された、と。女子からの「制帽は学生らしいし、廃止は不良化につながる」というのが、理由だったようだ。
 同い年の多くは大学生。私は、浪人生活とあいなった。ちなみに着帽の自由化は、数年かかったようだ。

(エンディングロール)
私は札幌での浪人中に、北大に入った革マルの鷹野と大江の発禁本『政治少年死す』の自費出版に熱中してしまい、東京で2浪。
寺嵜(テラ)は、安田講堂闘争の影響で入試が中止になり東大を諦め、一橋大を受験したが失敗。小樽商大に進学。大学院から一橋大に行き、長崎大で教授の道を歩む。その後、東京理科大に移り、東京に。酒好きな二人、盛んに会うようになったのだが、54で先に逝ってしまった。膵臓癌だった。「オレの事業が成功したら、テラの研究費を支援するよ」なんて言ったのに・・・。

(付録)
1987年に公開されたベトナム戦争を描いた映画『グットモーニング、ベトナム』のワンシーンで『この素晴らしき世界』が流れる。民間人が無差別に殺され、兵士たちも次々に戦死する中、ロビン・ウィリアムス演じるDJが、この曲をかける。

ルイ・アームストロング『この素晴らしき世界』
映画『グットモーニング、ベトナム』のBGMとして

ケニー・Gのソプラノサックスが、いい。

(おしまい)

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