10年を振り返る 15,16歳篇

とうとう、高校生になりますね☺️

やっと明確な記憶があります笑

さぁ、やっていきます😇

15歳 教育問題に興味を持つ(母きっかけ)📓

みなさん「世界一大きな授業」って知ってますか?
教育関連に興味がある方は知ってるかも🤔
途上国での教育問題について、小学生から大人まで、様々な形で学ぶことの出来る教材です!
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母に誘われ

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Thank you!( ˙꒳​˙ )
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こわがり屋の愛

確認魔だ。
持ち物、戸締り、エアコン消したかな?恋人の写真にキスを。いってきます。ううん、こわいの。いっしょに行こう。ドアを閉めかけ、でももう一度すべて確認を。もう一度。
三回は確認する。こわいから。
失っていないかしら。私自身を。あのひとを。

ずっとそうだった。愛したら、こわがる。
愛を失いたくないから。
大事に愛して、てのひらにしっかりおさめて、抱きしめて胸に押し当てて。

お願いいなくなら

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私、だーれだ?あそんでみない?タダだから!
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男子高の生徒会室

「君のルーツは生徒会室でしょう」

なるほど…と思ってしまったのだ。先日、キャリアの悩みを中高同期に打ち明けた際、返された言葉だった。自分は中高6年間を神奈川の男子校で過ごし、そのうち3年間は生徒会に属して、高校棟にある「生徒会室」が昼休みと放課後の居場所になっていた

生徒会室には、顧問は最低限しか顔を出さなかった。思春期の中高生には、大人の監視が行き届かない「居場所」が要る、という配慮があった

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中1で生徒会役員に落選した僕が翌年に生徒会長になれた「たった1つの戦略」

こんにちは、橋本ゆうた(@pelipos)です。

✓はじめに
 私は中学生になってすぐに先輩に憧れて生徒会役員になることを志しました。準備万端で臨むも落選。翌年には、生徒会長への立候補者が7人もいて、そのほとんどが生徒会役員を1年経験しています。圧倒的不利な状況でした。しかし、その状況から私は生徒会長の座を勝ち取りました。
 なぜ勝ち取れたのか、結論から言うと「テキトーな票を自分に入れさせる」と

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自分はどのように中二病と闘病したのか

僕が中高時代を過ごした2000年代は、インターネット上で「中二病」という言葉が流行り始めていた頃だった。中二病は、思春期に特徴的な、過剰な自意識やそれに基づく痛々しい振る舞いを揶揄するインターネット上の俗語だ。医療機関を受診しなければならないような疾患とは異なるものの、在学当時、僕の症状は、深刻なステージにあった。

 自分は特別な存在のはずだ。どうにかしてそれを確かめたい。そんなことを考えていた

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生徒会、そしてオトコノカッテ

新大久保の韓国料理店で生徒会を実施

マサコさん(右上)はGoGoオンライン英会話を開始した頃からの生徒さん。

ナオちゃん先生(左上)の影響で、今では英語を教えているんです!

自分の行動が誰かの背中を押してたんだ♪

と気付くことは「明日はどんな楽しいことが待ってるのかな♪」とワクワクする毎日なんです。

「迷ったら楽しい方を選ぶ」とよく言いますが、それ、間違ってないです。

本厚木:オトコノ

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生徒会長

もし私が生徒会長に任命された暁には、実現したいことが1つだけあります。

…って堅苦しく始めようとしましたが、信任だからどうせ受かるし、今日は好き勝手言いますね。

今、この体育館のステージ上から全校生徒を見下ろして思うことは、

やっぱクズばっかだな~(笑)

です。

生徒会長立候補者だからって、愛校心があるとでも思っていましたか?

こんな高校に愛なんかあるわけ無いでしょ。

私は高校より

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ありがとうございます!
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心に決めたとき

なんとなく、自分を振り返ったときに私っていつ自分の人生こうしたい!って思ったかを考えました。

明確に記憶にあるのが、中学2年の時です。中2の終わり頃、私がお風呂に入っていながらに必ずわたしは自立しキャリアウーマンの道を進むと。だから、就職は必ず良いところに就職する!

中学2年のわたしが心に決めたときです。これは鮮明に明確に覚えています。お風呂から上がって黒のバスタブ越しに自分の手のひらをグー✊

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私も大好き❤
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原点としての「丸刈り」闘争(4)最後の抵抗

(2011年1月12日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)

 小学校ではもっぱら先生の言うことをよく聞く、優等生タイプの「いい子」だった。それが、中学を卒業するころには学校にも教師にも大きく失望し、それが行く行くは大学で教育学部に入り、自ら教員を目指す原動力にもなった。いま思えば、「丸刈り」校則に象徴された学校システムや、オトナ社会との「闘い」は、一教員を経てジャーナリズムに携わることとなる私の歩

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原点としての「丸刈り」闘争(2)徹底抗戦~挫折

(2011年1月10日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)

 小学校ではもっぱら先生の言うことをよく聞く、優等生タイプの「いい子」だった。それが、中学を卒業するころには学校にも教師にも大きく失望し、それが行く行くは大学で教育学部に入り、自ら教員を目指す原動力にもなった。いま思えば、「丸刈り」校則に象徴された学校システムや、オトナ社会との「闘い」は、一教員を経てジャーナリズムに携わることとなる私の歩

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