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大相撲「新宿」場所【エッセイ】一八〇〇字

 負くまじき角力を寝ものがたり哉(蕪村)

 北海道の冬は、内地(北海道以外の本土)のひとが想像する以上に、厳しい。しかし、子どもにとっては楽しい季節でもある。雪が降るまでは野球一色だが、冬はスキー、スケート。屋内運動場では卓球で遊んでいた。他に、雪国ならではの競技がある。相撲である。雪で土俵を作る。盛り土ならぬ盛り雪で50センチくらい高くする。単に平坦な土俵より臨場感が出る。「うっちゃり」なんか決まれば(砂被りならぬ)「雪被り」に体が飛ぶ。でも、痛くない。

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画像:「kuwamasaのblog」サイトから

 その環境があったからかどうかは知らないが、北海道出身の横綱が多い。千代の山、吉葉山、大鵬、北の富士、北の湖、千代の富士、北勝海、大乃国と、全66人中8人を輩出している。だからという訳ではないが、いまも大相撲を観るのが好きだ。
 小学2年まではラジオだったが、父と一緒によく聴いていた。テレビ観戦が始まったのは小学校3年。旭川の北30kmに位置する愛別に住んでいたとき。「名人横綱」栃錦と「土俵の鬼」初代若乃花が人気だった。史上初の横綱同士の千秋楽全勝対決の日。その一戦をご近所さんも集まって一緒に観た(テレビを買ったのは比較的早い方で、相撲だけでなく他の番組のときも来ていた)。その決戦は、若乃花が勝ち全勝優勝を達成した。その後は、大鵬、柏戸の柏鵬時代。大鵬人気を表現するキャッチフレーズ「巨人・大鵬・卵焼き」。「子どもが好きなもの」の象徴として表現されるほどだった。
 北の富士や千代の富士など北海道出身の力士に熱中。北の湖も同郷だが、愛嬌に欠けるので、好きではなかった。むしろ、大関ではあったが、貴ノ花。やはり北海道・室蘭の出身ということもあったが、細身でありながら技が切れたので熱中する。
 その息子2人、長男の3代目若乃花、次男の2代目貴ノ花(後に貴乃花)が大活躍の時代。40歳過ぎに杉並区永福町に住んでおり、藤島(貴ノ花)部屋が近くの中野富士見町にあったこともあり、熱中。会社勤めの時代。ビデオに収録し帰宅してから、酒とつまみを用意し観戦。国技館にも出かけることもあったほどだ。独立したあとは、取引先との急な会議がない限りは、仕事の手を休めて観戦した。
 その後モンゴル出身の力士の時代になり、あらゆる記録を次々と超える白鵬になってからは、両国には出かけたことはない。別に国粋主義者というわけではないが、日本出身の力士が弱すぎて、モチベーションが下がっていた。特に、北海道出身の横綱が大乃国以来35年間出ていないこともある。
 とはいえ、テレビ観戦は続けている。場所が始まると、ウォーキングで出かけたついでに肴を購入、4時前には観戦準備を終えている。国技館の1階奥にテーブルのある囲み席がある。その席で観戦したことはないが、自宅でその気分が味わえる。ソファ席は、まるで国技館のボックス席。まさに自宅の新宿で観戦する、「新宿」場所である。

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 国技館の名物は、焼き鳥。冷めても美味しく食べられるというのが触れ込み。実際に美味しい。両国まで買いに出かけるわけにいかないが、場所に入ると近場の焼鳥屋でテイクアウトしてくる。国技館では日本酒だが、自宅では白ワインを抜く。

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 この3、4年。相撲以外に目を引くことがある。ネット上で話題の「妖精さん」だ。土俵下の「砂被り」(土俵の砂を被ってしまうほどの前の席。コネがある後援会などの関係者が座る)でも前のほうに座る。いつもワンピースを着こなし、背筋を伸ばし正座して観戦している30歳前後の美人さん。観客数の制限があっても来ている。昨年末の九州場所(博多)でも、来ていた。しかも、毎日。同じ席で。ネット上の情報では、タニマチ(大相撲の後援者)の娘さんらしい。「妖精さん」以外にも、かなり前から九州場所で「砂被り」で毎日観戦する美人さんがいる。ネット情報では、有名なバーのママさんらしい。取り組み以外に、このような楽しみ方もある。

 因みに、相撲(角力)という言葉は、秋の季語らしい。奈良・平安時代に朝廷で催された相撲節(すまひのせち)が、毎年7月に開催されていたためらしい。松尾芭蕉からアマチュアの愛好者まで、俳句の題材として相撲はさまざまな人々に詠まれてきた。7代横綱・稲妻雷五郎は、相撲が強かっただけでなく、俳句をたしなんだことでもよく知られているようだ。(日本相撲協会公式サイトから)

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