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背伸び【エッセイ】六〇〇字

 朝日カルチャーセンター「エッセイ講座」の、7月の課題。あなたは、どんな「背伸び」を書きますか?
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 60年前。旭川から石狩川の上流30キロの位置に、“愛の別れ”と書く、愛別という町がある。父親の職業の関係で、小学時代、4度転校し、3校目の町。3年から、1年半暮らす。
 遊び相手は、高学年や中学生。2つ違いの弟がいたが、いつもついて来るのでわずらわしかった。母に、お兄ちゃんが欲しかったと、言うほどに。
 しかし、野球が得意だったせいか「三角ベース」が多く、“川渡り”の仲間には入れてもらえなかった。当時は、プールはないので、石狩川で泳ぐ。ただ場所によっては流れが速く、背丈のない低学年は、危険だと。
 夏休みの初め。自転車で旭川まで行くことになる。完走できたら仲間にすると、言うのだ。初めてだったが、石狩川に沿った砂利道(当時は舗装ではない)を必死に漕いで、ついていった。私の自転車だけ子供用。遅れ始め、泣きそうになりながらも戻るわけにもいかず。後ろを振り返り待ってくれ、助けられながら、たどり着いた。
 約束通りに、仲間に。泳ぎを教えてもらいながら、休み中泳いだ。といっても浮くことができる程度。いわゆる、“木槌”。浮いていれば、流れに乗って“川渡り”ができるのだ。
 ある日、先輩方について浮かんでいたとき、岸辺から弟の声が。「ボクも行く」と。私は、「絶対に来るなよ」と、叫んだ。その瞬間、立とうとしたのだが爪先がつかない。頭まで沈んで、水を飲んだところで、先輩たちに助けられたのだった。弟は、もしそのままついて来ていたら、彼の世まで追いかけることになっただろう。

(おまけ1) <鮭の遡上>
愛別町の中央部を流れる石狩川には、愛別橋という橋がかかっている。下流側には堰き止め(現在は橋の上流側に移っているようだ)があった。夏から秋にかけて鮭が堰を飛び上がっていく光景が見られた。何度も失敗しながらも超えていく姿を、川岸から見ていた。

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(Google map)

橋の上流側には、流れが溜る一角があり、まさにプール。川岸から飛び込みもでき、近くの子らが泳ぎを楽しんでいた(いまも右側に残っているようだ)。

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(Google map)

(おまけ2) <三角ベース>
三角ベースとは、狭い場所や人数が少ない時にでもできる、野球。基本的なルールは野球と同じ。本来ならピッチャーの後ろにある「セカンドベース」は、ない。2塁の次はホームベースになる。1塁、2塁、ホームベースを結んだ形が三角形になるので三角ベースと呼んでいる。図:(https://45mix.net/sankaku_besu/)から

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