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老い【エッセイ】六〇〇字

 若ぶるつもりはない。が、「年寄りぶる」気も、ない。まだまだ、若造でしかない。
 六十年前の子どもの頃。ちゃんちゃんこを着た還暦祝いの人の多くを、まさに年寄と感じた。しかし、いまの六十歳は、まだ若い。
医療や公衆衛生の進歩、生活の質の向上等により平均寿命は年々延びている。一九五五年の平均寿命が、男女ならして約六十六歳。来たる七年後には、約八十六歳。約一.三倍。となると、成人は二十六歳(これ、頷く)。
 日本老年学会は、六十五歳以上とされる高齢者の現定義が実態に合わないとして、見直しに向けて議論をしている。その中で、高齢者が医療の進歩などで老いによる衰えが出るのが遅くなっていて、若返りの傾向がみられる、とある。このため、高齢者を七十五歳以上に引き上げるべきと、提言。現前期高齢者には、仕事などの社会参加を促して、活力ある超高齢社会の実現が必要、とする。
 この提言に、年金開始年齢を七十五歳に、一斉に引き上げる根拠にされると、懸念する声も。
 老化は人それぞれ。早くに、年金を必要とする人もいるだろう。その場合、選択する余地は必須。しかし、六十五歳以上は高齢者と、一律に規定するのは、いかがなものか。
 前記の平均寿命から逆算すれば、ワタクシは、五十五歳になるかどうかの、若造。いや、七掛けぐらいの、五〇ちょいかも。しかし、一方では、大谷翔平さんや藤井聡太さんなどは、逆に実年齢を一.三倍以上にしないと、説明がつかないだろう、けど。

(後記)
これは、朝カル「エッセイ講座」の11月のお題、「老い」。最近、早稲田EC「エッセイ教室」のお題も「長生き」だったり、書きおろしの投稿では、「墓終い」や「散骨」「樹木葬」を扱ったり、と「そろそろ」と思わせる内容が続いております。しかし、若い方々も、いつかは考えなければならないことなので、お許しを。

※写真:毎日新聞社/アフロ

(ふろく)

朝日新聞朝刊(11月22日)


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