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同棲【私小説的掌篇・エッセイ ニ四〇〇字】

 「吾輩は、トラ猫である」? ん? 誰かがすでに使っているので、ボツ。一応、トラ猫(♀)と、2度目の東京五輪の年に古稀をむかえた男との、40年前の物語である。


 20代の二度の転職を経て翻訳教育会社に入った。英語は苦手だったが異文化間コミュニケーションには興味があり、経理担当として潜り込んだ。2年目途中から、後に天職となる広報企画に移つるのだから、経理は、適所の部署ではなかったのだろう。そんな日々。

 街路樹が植えられたばかりの三鷹通りと人見街道との交差点近く。上連雀のアパートの一階に、5つ下の女性との同居を解消し独り住まいをしていた。
 ある春の日の夜。玄関から、「ミヤーミヤー」の鳴き声が聞こえる。小窓から覗くと、ドアの前に、三つ指ならぬ五つ指の前足を揃えて、ちょこんとお座りした、トラ柄の子猫がいた。「わたし、猫です。よろしくお願いします」と言っているような感じだった。すぐに牛乳を満たしたボールを差し出すと、ペチャペチャと、それは、それは大層な音をたてて飲むのだった。たぶん、飼い猫が迷い込んだのだろうと、余計なことをしないように、そ~っと、ドアを閉めた。
 翌日の夜また、声が。あの猫だった。そのときも前足を揃えて。牛乳を与え、「バイバイ」と、頭をナデナデして、部屋に戻った。そんなことが3日続いた後の休日。小さな縁側で、隣接する庭の桜を愛でながら本を読んでいると、その猫が、やって来た。与えた牛乳を飲み干すと、くるぶしに身体を擦りつけるように、足の周りを回り始めた。私の様子を伺いうかがい、縁側の踏み台に跳び乗り横にきた。本から目を離すと、子猫は、部屋の中を覗きながら、ソロリソロリと、侵入を試みようとするの、だった。
 「飼うわけにはいかないんだよ。ダメダメ。家にお帰り」というのだが、またソロリと足をのばすの、だった。ペット禁止だからということもあった。が、それだけでなかった。小学2年のとき。うちに猫がいたことがある。犬も猫も好きだが、別れの辛さがよぎると、つい躊躇ってきたのだ。

 父親の仕事の関係で、小学6年間で5回、北海道の各地に転居する。そのときは、富良野・下金山という地に住んでいたのだが、旭川近くの愛別に引っ越すことになった。その地の1年間、黒猫を飼っていたのだった。引っ越しの日、“(犬は人に付くが)猫は家に付く”からと、物置にたっぷりの餌と一緒に、置いてきたのだった。私は、富良野に向かうバスの最後部の席から物置が見えなくなるまで、見つめていた。が、猫は追いかけてこなかった。やはり家につくんだ、と思った(だが、それは口実だったと後で知るが)。

 ソロ~リ、ソロ~リ。一歩、一歩、足をのばし、匍匐ほふく前進するかのように入り込もうとする。それを手のひらで止め、踏み台まで戻す。何度か繰り返すうちに、ついに、根負けしてしまったのだった。彼女には、意思があった。私の表情を確認しながら侵入を試みた。「これは、受け入れてくれる」と、感じたのだろう。

 トラ猫、いや彼女は、飼い猫じゃなく野良かもしれない、と思った。部屋に住むことになった初日。急に縁側のガラス戸を爪で掻いている。「外に出して」という意味と理解し開けると、速攻で出ていき、庭の端で用を足していた。終わると、きちんと土をかけるではないか。自分で決めていたトイレだったのだろう。
 出勤や外出時は、部屋で用を足されると困るので、外に出すことにする。玄関の横に段ボールを置き、中に大量の煮干しと水を入れたボールを入れ、出かけた。下部に出入口の穴をあけ、針金でドアの切れ端をぶら下げた、急ごしらえの猫小屋だ。
 戻ったら、いなくなっているだろうと思っていた。が、珍しく残業があり遅くなったのだが、箱の中でイビキをかいて眠っていた。もちろん、煮干しは全てなかった。彼女は、それ以来、完全にわが家の住人になっていったのだった。

 経理にいたこともあり、税理士試験を受けようとしていた。定時で帰ると、彼女と一緒に食事を終え、机に向かう。彼女はその間、部屋中をかけまわり、気を引こうとするのだが、集中している私を見て、そのうちに諦めて、足の麓で丸くなる。秋も深まり徐々に寒くなってきた日々には、シャツの中に入れて腹のところで眠らせる。私も、暖かかった。
 寝る時は、ベッド脇に毛糸の座布団を敷いた椅子に載せる。「その手編みの座布団、暖かいだろ。それはな、ちょっと前までいたひとが編んでくれたんだ」とつぶやく。彼女も眠たそうな目をしている。電気を消すと、眠るのだった。目を覚ますと、彼女は起きているが、いつも座布団に伏したままで、手を差し伸べられてから、布団に上ってくるのだった(躾ができているから、やはり飼い猫だったのかな)。
 会社から戻ったとき、儀式になっていくことがある。三鷹通りから路地に入り、アパートから50mの地点で鍵を回して音をさせると、塀から顔だけをチョコっと出し確認すると、全速力で走ってくるの、だった。腕を伸ばすと、肩まで登って「ミヤア~」と鳴くのだ。たぶん、「お腹が空いたよう。餌エサ」と鳴いていたにすぎなかった、のだろうが。

 しかし、彼女との生活も半年が過ぎた初冬のある日、鍵を回しても顔を出さなかった。そのまま、戻ってこなかったのだ。
 さらに半年過ぎ、春になったある休日。アパートを出たところの路地を、ほぼ成人の大きさのトラ猫が、何匹かを引き連れて、尻をフリフリ、凛として歩いていた。目があった。似ている。あのトラ猫と、直感したのだった。
近くの三鷹通り沿いに、閉鎖した山崎パンの工場があった。そのあたりで野良猫を見かけたことがある。留守の間、工場の中にいたのかもしれない。まさに、運動場であり、交流の場だったのだ。孤独を凌ぐうちにオトコができ、自立していったのだろう・・・。

 毛糸の座布団を編んでくれたあの人も、還暦を超えた。仕合わせだったら、いいのだが・・・。桜の季節になると、いつも想い出す。あのトラ猫とともに。

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