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手袋【掌篇私小説】一〇〇〇字

 その日、空知はドカ雪だった。’73年12月4日。北海道でも珍しいほどの積雪量だった。
 早朝。母は、急性劇症肝炎で亡くなった。大学2年のとき。母は50歳だった。母の実家がある滝川の市立病院に入院してから、2週間ぐらいだった。難病の持病があったので、何回かその病院に入退院を繰り返していたので、今回も退院するものと、思っていた。
 入院したという連絡は、バイト先の店にあった。1年の後期から交際していた、同期で同じ店でバイトしている野瀬喜美子にも、すぐに伝えた。すると彼女は、「いま、お母さんに贈ろうとショールを編んでいるの。直接、病院に送ろうかな」と言った。
 1週間後、危篤の知らせがきた。バイト先の店長に伝え、短時間で支度を済まし、羽田に向かった。野瀬も一緒に来てくれた。ゲートに入るとき、彼女は言った。「気を確かにね、行ってらっしゃい」と。

 病室に着くと、母の姉妹たち3人がベッドの周りにいた。黄疸がひどく、すでに意識がなかった。肩には、白いショールが巻かれていた。野瀬が編んだものだ。急いで送ってくれたのが間に合ったのだ。プレゼントされたミトンの手袋と、同じ毛糸だった。
 「テルちゃん、とても喜んでいたよ。将来、正坊のお嫁さんかもしれないひとが、編んでくれたって」。一番上のハルヱ伯母さんが、教えてくれた。
 棺の前。前日からの疲れでぼぉーっとしていて、虚ろな目で、手袋を見つめていた。
 昨夜、母は幻覚にうなされているのだろうか、「あの声、やめさせてえ。あの声」と繰り返し叫んだ。他の部屋から微かに聞こえる唸り声に、敏感になっているのだ。手は濡れていたので、手袋をはめて耳を塞いだ。ショールの上に顔をうずめて、長い時間、必死に。愛するひとの首を絞めるかのように、強く。
 ショールに、母と野瀬の匂いが混ざっていた。
 母にもよく、編んでもらった。いつも、二股のミトンの手袋。その都度、五本指の手袋がいい、と困らせた。雪合戦のとき、固く握られ、速く遠くに投げられるからと・・・。耳を塞いでいるとき、五本指より、このほうがいいなと思った。

 全て終わった。雪もおさまり、東京に戻った。野瀬が羽田まで迎えに来てくれていた。
 彼女に言った。
「ショール、持たせたよ。喜んでくれていたみたいだから」
「うん」と、軽くうなずいた。
 黙って歩いた。ミトンの、片方の手袋の中で手をつなぎ、つぶやいた。
 「五本指のより、いいな・・・」と。
 「ん、な~に? 」
 「いや、なんも・・・」

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