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募金は表明するべきか2

募金は表明するべきか、についての続きを述べていきます。

表明するメリット

誰かの募金は呼び水となって、誰かの募金を惹起する効果があるため、募金の表明には一定以上の効果があります。

私が強調しておきたいのは、惹起する「効果」があるということ。
惹起する「目的」で表明するといけません。
「私は募金した(けどあなたはしないのか)。」
というのは容易に括弧内がバレます。
括弧内をそのまま言う人間もいます。

募金するもしないも自由なんです。
「募金した。」を表明して効果がありそうな人の前では言う。
これで十分だと思います。

出したり引っ込めたりするのは、気分の良いものではありません。
しかしながら、表明して同調圧力になってしまうぐらいなら、もういっそのこと、言わないほうがいいぐらいです。
募金以外にも復興支援はありますからね。

募金するデメリット

募金の表明はメリットが些少ながらある一方で、明確にデメリットも生じます。
それがテイカーの出現です。
ギバーを見つけたテイカーが群がってきます。

募金に限った話ではないのですが、募金や寄付、もしくは、何か公的なもの、これにはテイカーが付き纏います。

「あなたが公益のためにもう少し出せばいい。」
とか言うやつ。

どれぐらい出すかは自分の自由なので、聞く耳を持ってはいけません。
自他の区別がつかないテイカーの思い通りになるのはとても危ないのです。

募金は出せる人しか出さないので、一旦出すと、「この人は募金を出せるタイプの人だ。」と定義されてしまいます。

闇雲に探すのではなく、リピーターを増やす。
このマーケティング戦略が、些少な募金にまでも応用できてしまうのが現実なのです。
もう一回募金を、もう一回募金を、と言い続けるテイカーにまとわりつかれるぐらいなら、表明を避けたほうが無難なのです。残念ながら。

その力は誰のためのものか

復興支援はありとあらゆる形で出来ます。
募金以外の形でも全く構わないわけです。

伝統産業の買い支えをするのも良いでしょう。
支援企業の買い支えをするのも良いでしょう。
県内工場に着目するのも良いでしょう。
応援消費はありとあらゆる形で繋がっていくものなのです。

復興支援にならないのは、評論家です。
「あなたはカネがあるんだったら募金すれば。」
というタラレバを言い出す評論家が、害悪です。

あなたのカネはあなたのカネなんです。
評論家の思い通りにしないといけない理屈なんてありはしない。
募金だろうと、消費だろうと、自由なんです。

自分の力は自分のために用いて良いはずです。
その力は、体力もそうだし筋力もそう。
知力も財力も、自分のために用いるものです。

私は他人のために用いてきましたけれど、そんなもの、指図されて用いるものじゃないです。

御自身が、復興支援に気分が乗らない時にまで、周囲に合わせてすることじゃないです。
気分が乗ってくれれば嬉しいですが、それだけ。
それだけのことでしかないのです。

「なんで周囲に合わせないの。」と言い出すやつがいたら、疑問という名の圧力です。

募金の表明をする前にまずは、人災になる人間が聞いていないか見渡してみましょう。
そして、人災がいたら人災から避難しましょう。
人災はいくらでも口出ししますからね。
キリがないですよ。


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