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助言が腐っているか腐ってねえかは俺が決める3

助言が腐っているか腐ってねえかは俺が決める、の続きを述べていきます。

前回は、老害の腐り果てた助言の前置きである「教えておいてやろうか」を中心に述べました。
腐り果てた前置きの後には、典型的なパワハラが待ち受けています。
人災警報だと捉え、拒否と避難をしてください。

腐った助言は微細な攻撃である

腐った助言は、微細な攻撃であるのです。
マイクロ・アグレッションと呼ばれています。

老害が「良い機会だから教えておいてやろうか」というのは、「貴方を攻撃する」ため。
そのための「良い機会」だと、前回述べました。

教えるという体裁(テイ)を取ってはいます。
しかしながら、攻撃しておいてやろうか、という意味でしかありません。

何のために被害者を攻撃しているのか。
微細な攻撃を積み重ねておいて、殺すためです。

些細なストレスの積み重ねにより自殺させれば、誰が犯人か分かりにくくなりますからね。
犯人が罪悪感を抱かずにも済みます。

「こんなことになるとは思わなかった」、とでも言っておけば良いのですから。

犯人が予想していないわけがないですけどね。
自殺させるために攻撃しているのですから。

腐った助言は、余裕のない人間や疲弊した人間に対して暴言を挟んでくる、介入行動であるため、微細な攻撃、マイクロ・アグレッションである、ということがわかりやすいと思います。

腐った相槌は受動的攻撃である

わかりにくいのは、腐った相槌です。
腐った相槌は、受動的攻撃です。
パッシブ・アグレッションと呼ばれています。

腐った相槌とはどういうものか。

「あんた、たまには良いこと言うね。」
「あんたでも良いこと言うことあるんだね。」

こういうものが、腐った相槌です。
性格の悪い、嫌なやつが言うものですね。

心当たりが全くない、運の良い人がもし居たら、心の底から羨ましいと思います。
それぐらいありふれた相槌ではあるのです。
けれども、腐った相槌です。

相槌の中に、「たまにしか良いことを言わない」という、攻撃を混ぜているからです。

相槌を用いた攻撃は、受動的攻撃の典型です。
人災が攻撃に出なくても、受け身であろうとも、攻撃は出来ることが、端的にわかると思います。

何故、良いことを言っている時にさえ攻撃をしてくるのか。

加害者側が人災だからです。

良いことを褒める、という目的達成のためには、単純に褒める、それだけで十分です。
けれども、褒めるという目的でない目的、即ち、被害者を攻撃する目的を優先しているのです。

人災は、手段を選ばないものです。
相槌でさえも、他人を攻撃する手段である。
それが人災です。

人災は完全悪である

だからこそ強く述べます。
腐った助言や腐った相槌によって、微細な攻撃、些細な攻撃を積み重ねる人災は、完全悪であるということを、極めて強く述べます。

褒め過ぎは良くないから必要悪だ、なんていう、ふざけた理屈は、絶対に存在しません。

不要、有害、完全なる悪。
被害者のみならず、組織ごと破壊されます。
暴言は、目にしただけでも、耳にしただけでも、組織のメンバーの能力を低下させるからです。

逮捕さえされなければ悪ではない、と主張したい人がいたら、今すぐに考えを改めてください。
それが出来ないなら、私のnoteなんてもう二度と読まないでください。

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