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敬語は上下でなく内外5

敬語は上下でなく内外、の続きを述べます。

第一回から、敬語の基礎基本にして最重要事項を必ず述べています。
敬語の基礎基本は内外。上下は二の次です。

前回までは誤用から基礎基本に立ち戻ってきたのですが、今回から目的にも踏み込みます。

偉い人を舐めてる?

何のための敬語か

敬語の目的は、敬意を示すためにあります。
他者への敬意、他組織への敬意のためです。

それ故に、自組織の代表者、内側の上側に敬語を使う単純ミスが多く散見されてしまうのは、本来あるべき目的から大きく外れてしまっている、とさえ言わざるを得ないのです。

上下を示すためだけに敬語を用いる、さらには、敬語を用いらせる愚物が蔓延るから、こんなにも敬語が破壊されてしまっています。
「でも失礼が」と、正当化を始めてしまう老害は多いので、中々、敬語の破壊は止まりません。
どうすれば良いのでしょうか。

目的を磨く

私が心がけていることの一つに、目的を磨く、というのがあります。
敬語の目的は、他組織に敬意を示すこと。
ならば、謙譲語の誤用を防ぐため最適な方法は、「自組織」のアピールや、「自組織の一体感」のアピールです。

敬語を使いこなせない人々には、謙譲語を聞いた途端、「偉い人を舐めてる」と言い始める愚物が一定程度混ざっています。
なんで偉い人を舐めてるのか、と。
嘘みたいな本当の話。

そういう状態の人に私が用いた手法は、過剰かなと思える程に「我々」をつけることでした。
「我々側は何長が言うように」といった具合。

試してみますと、一定程度には効果があった気がしました。論理的に明らかであることに気づけばわかることですからね。

効果の無い人もいる

ただ、全く効果の無い人も見受けられました。
概ねは、体育会系であることに過度の思い入れがある愚物。選手であったことより部員であったということに重きを置くような愚物です。
競技でなく組織体質に所属感を持つ愚物です。
年齢、性別、スポーツの種類を問いません。

自分は何々部だった。
何々をさせていただいていたことがあった。
その時に先輩がどうのこうのだった。
自分はちゃんと敬意を払っていたんだ。

知らんがな。
先輩が教えてくれん組織にいたんか。
自慢話も武勇伝も要らん。

縦社会で育ってきただのや、縦社会で学んできただのと、そんなものを自慢げによく言えるものだと思います。
その縦社会のピラミッドのすぐ側に、別の縦社会のピラミッドがあるのだ、ということをわかっていないからです。
別組織の斜め下も下である、と見做すような人間って、何をしてくるかわからないから恐怖でしか無いですよ。
そいつの人生は恐怖でゴリ押ししてきたものだと見做します。

だからこそ私は何度でも言うのです。
敬語は上下でなく内外であると。

外側のピラミッドに目を向ける思考法がありさえすれば、屁理屈なんて生じ得ません。

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