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「伝えたい」という気持ちと、「伝わらない」という痛み。


起業準備…と称したフリーランスとして、仕事をはじめてもうすぐ1年になります。

滋賀にUターンして、家族をまんなかに生活をつくりながらの毎日。
今はWebを中心にいくつか仕事をさせてもらいつつ、新設の保育園でも非常勤で働いています。(Uターンしてから資格は取得しました。)

まだ自分自身のコア事業が定まらなくて、ほんと言うと迷ってばかりですが、いろんなプロジェクトに関わりながら、ちょっとずつ信頼して話せる人も増えてきました。
双子の発熱が多くてしょっちゅう予定をキャンセルしていますが、それはそれで貴重な時間でもあり(あとすぐ回復してくれるので助かってる)、会社員時代とは不思議なくらい違う景色を見てます。


そんな中あらためて最近、強く感じてることがあります。それは、

人は本能的に、誰かに何かを「伝えたい」生きものだ

ということです。


マズローの欲求段階の4番目に「承認欲求」という言葉があります。
人間が生まれながらに持つ、自分への自尊心を満たそうとしたり、他者からの尊厳を求める欲望のこと。
SNSの「いいね」機能などは、まさにこれを埋めてくれるものです。

けれど僕は、もう少し純粋に人には、ただ「伝えたい」という気持ちがあるのでは…と最近、思っています。


子どもが教えてくれた、本能としての「伝えたい」とその痛み

僕の子は、もうすぐ1歳半になる息子と娘の双子です。
拙くも言葉が出るようになった彼らは、親である僕にいろんなことを話してくれます。(かわいくてしかたない一面。)

その姿はもう「伝えたくてたまらない」の一言なんですね。
自尊心や承認といったもの以上に、彼らは本能的に何かを伝えようとしてくれているように見えます。


その表現の多くは、残念ながらわかりません。
ただ前後の様子、それぞれの性格や日々の行動から察することはできるし、あれこれ応答していくうちに、“分かった!” と手応えを感じる瞬間もあります。これはめちゃめちゃ嬉しいこと。

けど一方で、彼らの想いのうち、いったいどれだけのことが自分に伝わってるのか…と思うときがあります。
僕らが読みきれない範囲で、いったいどれだけのことを語り、そして「伝わらない」という痛みを感じているのかなぁ…と。

保育でも、同じことを思います。というか、もっと難しい。
たくさんの子どもを見ながら同時にその心情を読み取り、適切な関わり合いをする。後から「ああすれば」「こうすれば」と振り返るも正解があるわけじゃなく、その場その場の判断力も必要で、めちゃめちゃ難易度の高い仕事だと感じます。
(前職で教材をつくってたとき、やっぱりここまで高度なスキルだとは考えていなかったと思う。正直。)

でもそんなかたちで幼い子どもたちをみていると、迸る「伝えたい」という気持ちに生で触れることが多くて、たまに圧倒される。
人はこんなにも「伝えたい」生きものなんだな、と素直に感じます。

そして自分がいつの間にか、そこを避けてきてしまってきたことも。

「伝えたい」に、蓋をしないこと


こんなnoteを書きながらも、僕自身は、自分を「伝えたい」「広く知ってもらいたい」という欲望はあんまりない(と思い込んでしまってる。)
でもきっとそれは「伝えたい」気持ちを隠しているだけで、「伝えたい」気持ちが全く無いわけじゃなかったかも…と、最近思います。

伝えたいけど、伝えようとしても「伝わらない」ときの痛みが怖い

痛みに怯えて言葉にするのを躊躇しているうちに、誰に、どこまで「伝えたい」のかすら分からなくなっているのが今の自分です。

だから日々「伝えたい」を前面に出し、「伝わらない」ことに向き合う子どもたちの姿は、めっちゃ眩しく。
逆にこっちが「そんなんじゃダメ」と教えられてるような気がします。

保育というフィールドを再度選んだのは、20代に会社という組織、閉じた業界の中で、伝えやすい “大人” とばかり過ごしてきた自分への、リハビリを兼ねたチャレンジだったかもしれません。

「伝えたい」という気持ちが実はこれほど尊いということに、最近ようやく気づいてきました。

「伝えたい」が、新しい価値をひらく


少し別の角度から話をします。
この本能的な「伝えたい」という気持ちについて、考えるようになったきっかけがもう1つ。それはこの1〜2年で、僕があらためてインターネットが変えていく社会の可能性を、強く意識するようになったことです。

今更すぎるし、ここで書ききれないくらい想いもあるのですが、今回は僕がファンになっているWebメディアを5つ紹介します。(上の2つはNPOが運営していて、少しですが支援させてもらっています。)


僕は前職では紙メディアの出版社にいて、それが幼児教育の領域ということもあり、実はインターネットに真剣に触れるようになったのはごく最近です。
だからこそ、「伝えたい」を実現するための選択肢がこんなに広がっている…ということに衝撃を受けました。

僕が自分のフィールドにしようとしている、保育を始め福祉分野での発信、広報やWebマーケティング(という言葉が適切ではないかもしれないけど)はあまり進んでいません。というか、相当に遅れている世界です。

こんなにも、人と人とが伝え合う仕事なのに。

だからこそ、今からそこにすごく可能性を感じています。すぐ注目が集まる状態ではないけど(例えば保育所は、あと数年は待機児童に対応するだけで精一杯ですが)、これまで「伝えたい」を外に、地域に出せる機会がなかった世界はたくさんあります。
新しい時代を見据えて今からコンテンツをつくっておきたいし、そうなったとき、貢献できる人でありたい。


「伝えたい」気持ちには常に、「伝わらない」痛みが伴います。でもじゃあ伝えなくていいかというと、そんなことはないと今は信じています(だから今日、この少し恥ずかしいnoteも書き上げる。)
1人の「伝えたい」という気持ちが、別の誰かを動かしていく。言葉を受け取った人の人生に、何かポジティブな影響を起こせることは、じゅうぶんにありえる。僕も上のサイトから、たくさんの勇気をもらいました。


自分の「伝えたい」を探りながら、誰かの「伝えたい」を支える。そんな仕事ができるように、これから保育や福祉の分野で、一つひとつの声を届けていくメディアを運営していきたいと思っています。



今回、長くなりましたが、実は誕生日だった記念のエントリーも兼ねて。

35歳も、チャレンジします。


(twitter @masashis06


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