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大津市の事故について、保育とメディア双方に関わる身として今思うこと

先週の木曜日、住んでいる大津市で、散歩中の保育園児が交通事故に巻き込まれ、2人の子どもが亡くなる…という、あまりに悲惨な事件が発生しました。

メディアやSNSでも、この数日間は取り上げ続けられた話なので、すでに多くの方が知っていることと思います。

事故の発生場所は、いま僕が住んでいる地域からもそう遠くないところ。2年前に大阪から滋賀へ移住する際、検討したエリアでもあります。

今思うと、うちの息子と娘がその園に通い、今回の事故に巻き込まれていた可能性もゼロではありません。「大津…!」ということで、心配した旧友からも連絡をもらったりしました。(まさか…と思って、なかなか連絡できなかった人もいたみたいです)

僕自身、あまりにショッキングな事柄でどう言葉にしていいか分からず、事件については、記事やアンケートをいくつかリツイートするぐらいに留めていました。


何かnoteに書こう…そう思いながら、何を書いていいか分からず。


現在は少しずつ、事故の状況が分かってきていて、園側の責任はほぼなかったことも明らかにされつつあります。


取り急ぎ必要な、園児たちや保育士さんへのケアは、事故の翌日には県と大津市の専門チームが現地入りし、現状把握と応急対応を進めてくれているとのことです(檸檬会・平井亙さんの投稿より)。

また、一部で園庭と散歩についての根拠のない批判も出るなか、保育園における散歩活動の意義についてすぐ発信されている方もいます。


#保育士さんありがとう」の動きもそうですが、Twitterには保護者視点での投稿も見られました。


僕自身は保育業界の出版社の勤務歴があり、保育士の資格も持っています。今はいくつかのWebメディアで仕事をしていますが、現場に直接タッチしておらず、行政にも保育関係にも、たちまち何かできるほどの実績もコネクションもありません。個人として、安全管理の専門知識があるわけでもありません。

編集者としては失格ではありますが、遺族の方を思うと本当に言葉すら出ず、noteも冒頭を書きかけたまま、時間だけが経っていきました。


保育とメディア、双方に関わる身として思うこと


ただ、自分も少し落ち着いてきたので、あまり触れられていない(気がする)視点だけこの記事に書くことにしました。

今回、話題を集めたことの一つは、事故当日の記者会見だったと思います。事故の全貌が明らかでないなか、被害者である園へのコメント取りには、確かに“配慮に欠ける”点が多く見られました。結果、「必要ない会見だった」というバッシングがマスコミに向けて集中し、(少なくともSNS上では)かなりの騒ぎになっていました。

僕も正直、保育園が「記者会見」という手段を即日実施したことに、かなり驚きました。

なぜ園が記者会見を、しかもこんなに早くすることになったのか──。

園にとって一番大事なことは、事故にあった子どもたちや保護者、保育士に対応することです。

しかし、事故の当日、園には行政や警察はもちろん、他の年次の保護者、近隣住民、マスコミなどからも問い合わせが殺到していたと思います。何が起きたのか。今どうなっているのか。いろいろな立場の人が「知りたい」「知る必要がある」と考えて園に情報を取りにいきます。

そうした膨れ上がる問い合わせの末、「可能な限り早く会見をせざるをえなかった」のではないでしょうか。同時に、檸檬会さんは保育園を運営する主体としてもかなり規模の大きい法人であり、現場(園の先生方)の負担を軽減させる判断として、そうした「素早い報道対応をとることができた」点も影響したと思われます。

当日は、僕も「何も今日しなくていいのに…」と思いましたが、保護者説明会も含め、即日対応したことで、翌日以降の園の混乱を少なくさせることができたという見解もあり、それもまた納得のいく見方だなと感じました。(このあたりは結果論ですし、実際のところも詳しくわからないので、推測を含みます。)


報道側が考えるべきこと


ただ、まだ警察が事故の見解を出す前に会見をした(できた)ことで、事実確認への質問が、園に集中してしまった。結果、見るのも辛い会見になってしまい、「会見する必要のない園 vs 追い立てる悪のマスコミ」のような図式ができあがってしまいました。

今回の件で報道側が、情報が少ない中で最初に開かれた会見に飛びつき、「聞くべき相手を間違えた質問」や、「遺族などにとって配慮の欠ける質問」(これは今回の事件に限らずよく批判の対象になるものですが…)をした点は大いに反省すべきものだと思います。

自分も報道に近い仕事をすることがあるので、最近は以前より“マスメディアの心理”も分かるようになってきました。弁護する気は全くありませんが、特に即時性の高いニュースでは、「まだ出ていない一次情報を取る」ことが、発信の基本になります。そこと「取材対象に寄り添うこと」を両立させられるかは、メディアの長年の課題といえます。

これは「長く解決していない」ことからも、今回の件があっても、劇的に改善されるかと言えば、難しいかもしれません。ただし、炎上騒ぎが示すように、個人が発信力を持てる時代にあっては、そうした取材者もまた“見られる(報じられる)側”に立っていることは、強く意識する必要があります。

何より、「誰のために」「何のために」伝えるのか、報道を通じて社会にどういった投げかけをしたいのかという視点があるかどうかは、厳しい指摘を今後も迫られると思います。


園ができること


事故以来、僕の見聞きする範囲でも多くの園で、すぐさま散歩コースの見直しや安全確認の作業に入られています。例え園に過失はなくても、自らを守るため、こうした痛ましい事件を繰り返さないためにできることを考えられて、さすがだなと頭が下がります。

そこにあえてもう一つ、今回の事件からできることを考えるなら、「情報発信の場所と対応を考えておくこと」かなと思います。

以前、とある講演で地域医療の施設を運営される方が、災害の際に正しい情報をどう伝えるかについて、「最新の情報をアップする場所を公式サイトに限定するそして「“そこを見てほしい”とひたすら伝える、発信する」と答えられていました。これは多くの人がスマートフォンを持つ時代、非常に有効な方法かなと思います。

今回のようなあまりに悲惨な、イレギュラーなケースを想定して、例えば素早い会見対応などを考えることは、正直現実的ではありません。それが必要とされる場合も、可能性としては限りなく低い(ゼロであることを願いたい)。

ですが、災害などを含めると、園が緊急で“公式の情報を出す”必要があるシーンは、現実的に考えられます。今の保育施設には、情報の発信をする担当者がいない場合も多い(その余力すらない)という根深い問題がありますが、だからこそ、園を守るために、何かあったときの発信の経路だけでも意識しておくことは重要かなと思います。

報道側は、確かな「一次情報」を取りに園に問い合わせをかけます。保護者や地域の方も同様です。情報をサイトに掲載しても、問い合わせはあるでしょう。しかし、「そこを見てほしい」と情報を集約させることは、「情報を求められる」というストレスを一定は軽減できるはずです。

保育園に限らず、福祉施設の広報機能については、個人的にもかなりの課題意識を持っていますが、施設の規模だけをみても、そこに注力できるかどうかは差が生じます。フォローをするセフティーネットのようなものも、構築できたらいいな…とも思いますが。


事件の本題と少し離れた話になりましたが、いま自分が思う、伝えられることは何かと考えて、あえて書きました。

事件に巻き込まれたとしても、災害が起きたとしても、園にはたくさんの子どもたちがいたままで、安全が確保できるならば、園は日々の保育を可能な限り続ける必要があります。

子どもたちや保育士さんを守るために園ができそうなこととして、「情報」という視点からも、今回の檸檬会さんの対応から考えてみてもいいかもしれません。また、メディアに携わる一人として、いっそうのマナーとリテラシーが求められる時代だということを、改めて肝に銘じたいと思います。


あまりに辛い今回の事件。こうしたことが、今後起こりませんように。




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