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言語<文章<イメージ

言語を生業としている。今日は高校生に大学受験用の文法を教えていた。非常に具象性が高い情報だ。英単語の意味とか、大学受験用に高校生が覚えないといけないのは具象性の高い情報ばかりだ。これはつらい。僕の時代もつらかった。英単語3000覚えよう、って生徒に言うけど、大変だよな、って心底思っている。

英単語をイメージで覚えようというメソッドがある。例えば、awkwardは単語帳で”ぎこちない”とあるが、Googleの画像検索をすると、その感情の人間の顔が出てくる。

落とし込む言葉なんてのは人それぞれ違うわけで、僕はawkwardの画像を見て「居心地が悪い」という感じなんだなあと言葉にする。日本語訳が先に与えられるのは順番が本当はおかしい。意味と日本語訳は実は一緒じゃないのだ。意味を理解することが重要で、言語というのは具象的過ぎて時に矛盾が生まれてしまう。

生徒さんは結構な割合でその具象的な情報を求めてくる。特に社会人になるとその傾向が強い。具象性の高い情報のほうが実用性が高いと思っているようである。言語というのは具象性の極みである。社会人にとっては英語は仕事のツールであるから、そのようなニーズになるのは理解できる。ただ、英語というのは英語文化の一つの析出した結晶であり、枝葉の情報量は膨大となる。人によっても使い方が変わるので、全ての精通しようがない。awkwardを「ぎこちない」とも「不器用な」とも「居心地が悪い」とも言語化できるのだ。でも、その核心に流れる英語文化は一つであるはず。つまり、よりイメージ的に英語の単語を理解したほうが、コスパがいいと思っている。

具象的な暗記学習の弊害は、英語が嫌いになってしまうということだ。英語を教える上で、この苦手意識という壁はとても高い。大学受験の英語学習の具象性が高いからこそ、受験英語と実用英語との使い方に違いがあって、そこで心が折れてしまう。残念でならない。

ちょっと長くなった。言いたいのは、言語学習って、具象性に捕らわれないのがポイントになると考えている。特に誰かに伝えようとするときは、なるべく具象性を抑えたほうが矛盾がなくなっていく。イラストをかける人って、素晴らしいと思う。すごく抽象的で。イメージで単語を覚えるっていうのも、同じようなことだ。

そして文章を書くのって、言語とイメージの中間のような気がする。

言語それ自体はとても具象性が高いのに、文章全体から伝わる情報が文字面情報を超える文章がある。究極的には、イメージだけでコミュニケーションできればいいなって個人的には思っているのだが、イメージになるべく寄せた文章を書けたらいいなって思う。そういう書き手の文章に惹かれる。

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