弱いままで強くなりたい
傷つきやすく、考えすぎてしまう。
いわゆる繊細なタイプが僕だ。
HSP診断を受けると中度のHSPだった。
僕の繊細さは母譲りで、
母も繊細で傷つきやすく、様々な要因はあったのだろうが、継続して働くことができず、
今は社会との接点をほとんど持たずに生活している。
僕は母に似ている。
繊細で考えすぎるから、いつも思考がいっぱいになり、
マルチタスクをすると能率が一気に下がる。
受け取れる情報の上限がすぐにいっぱいになり、すぐに疲れてしまう。
それによる不機嫌や他人への攻撃的な態度は、家族である僕にとって大きなストレスになっていた。
そして僕は思った。
僕もこのままでは、社会との接点を無くすように行動していってしまうのではないか。
それが年齢を重ねた後ならいいが、20代で引きこもってしまったら、後悔してしまうのでは無いか、、という恐怖を感じた。
もし今後、社会から閉じた生活をするとしても、
やるだけやったけどダメだった、という方が後悔が少ない気がした。
そう考えてから10年、僕の人生はずっと、「後から後悔しないため」の人生だったと思う。
高校の時クラスに馴染めず、人と関わると傷つくから、
大学に行っても繰り返しかもしれない。
だけど、やってみて後悔した方がいい、と思って大学に行った。
週5でストレスに耐えながら働くなんて無理、疲れて引きこもってしまう、やりたくない、
だけど、新卒カードを使わずダラダラして、後から就職しようとしても大変になる、と思って就職した。
刺激を受けると疲れるから田舎暮らしが合ってるけど、
後々、都会に出ていろんな経験をすれば良かったと思うのが嫌で、就職を機に上京した。
わからないことがいっぱいで、向いてないかもしれないと思ったIT業界に、
試してみないと後悔するかも、と思って入社した。
僕は新卒で入った会社で、体育会系の洗礼、長時間労働、ほぼパワハラ、長期間にわたる叱責を受けた。
それでも人によっては対処できるものだったかもしれない。
でも僕は、「どうせどこに入っても辞めたくなるから」という理由で、
それならばと体育会系の「強者」が集うような会社に入ってみた。
(もちろん、エンジニアで手に職をつけたい、みたいな理由は大きかったけど)
試しに、そういう環境だと自分がどうなるのか試してみたかった。
案外、試してみたらうまく適応できるかもしれない。
結局、精神的苦痛に耐えかね、1年半で退職した。
被害者ぶるつもりは無い。
そういう環境だと分かってて入ったから。
迷惑をかけてしまったということも分かっている。
それから僕は半年近くフリーターをして、
意識的に、あまり物事を考えすぎないようにしていった。
大学、就職、フリーター、色々な環境に自分を置きながら、自分はこういう刺激を受けるとこれくらいダメージがあるな、ダメージにも即効性、遅効性があって、すぐ解決できるものとできないものがあるな、みたいなパターンを蓄積していった。
結果、今の僕の考えすぎ、繊細さへの対処法は、
今の傷つきやすい自分のことをそのまま言語化すること、
モヤモヤを言語化してくれる媒体に出会うこと、
そして、考えすぎないことだった。
長年に続く、考えても結局何も解決せずぐるぐると悩むだけの時間を過ごした、という経験から、
もうこのへんでいいや、これ以上考えても結論変わんねえしいいや、まあ真面目に考えなくていいや、
という開き直りにより思考をそれなりの位置で止めて、小説や映画を見るようになった。
最初は、もっと考えないといけないのでは??と不安になっていたが、
考えても考えなくても対して日常は変わらず、重要なことは心配しなくてもちゃんと考えるから、これくらい適当に過ごしてもいいのか、という気づきを得た。
ただ、そうすることで日常は楽になったけど、それによって日々の細やかな何かを見落としたり、傷つきやすい他者に共感しづらくなっているのでは?という心配も出てきた。
最近僕は彼女と同棲を始めた。
彼女もおそらくHSPで、日常のあれこれに傷つき、悩み、不安定な状態となっている。
悩みによって不安定になる彼女を見るたびに、「考えすぎだよ」と思ってしまう自分がいる。
「そういうもんだよ」
「そもそも初めからうまくいくもんでもないよ」
「時間をかければなんとかなるよ」
「完璧主義やめれば楽になるよ」
だけどその言葉を彼女にかければ、
「そんなことは分かってるのに考えてしまって辛い」と返ってくるだろう。
実際そのような雰囲気にもなった。
結局自分ごと以外は客観視してしまうし、
僕はそれほど重度のHSPじゃなかったのかもしれないし、年齢で鈍感になっていったのかもしれない。
ただ、そうであっても、相手が「考えないようにしたくても考えすぎてしまう」ということを理解して、心無い言葉をかけてしまわないように気をつけたい。
僕は10年ほど時間をかければ、前より考えすぎず、割と楽に過ごせるようにはなってきた。
もちろん低空飛行の日はあるけれど、それも微調整できるようになってきた。
けど、そうなったことで相手に寄り添えなくなり、「乗り越えた側」みたいなスタンスで声をかけていたら、
僕がしんどいと思ってた人たちと同じじゃないか、と思う。
(実際は乗り越えるというより、飽きたに近い状態なんだろうけど)
ずっと繊細でいたかったなんて思わない。
しんどくて辛くて、早く気にしないようになりたいと常々思ってきた。
だけど鈍感になってくると、相手を不意に傷つけてしまうのではないかと心配になる。
会社で、「僕は向上心ないから」と自分の繊細さを取り繕わず、しかし不満は強目に主張する同世代の話を聞くと、
曖昧に笑いながら、内心「いつまでそんなこと言ってんだよ」と思ってしまう自分がいる。
そう思ってしまう自分のことがあまり好きではない。
少し前の自分が感じていたであろう純粋な悩み、弱みを、
受け入れられなくなっている自分がいる。
こうやって、ジェネレーションギャップとか、上司と部下の相互理解の困難さとか、パートナー間の軋轢は生まれていくのかもしれない。
いや、ただ単に、自分が受けた理不尽や苛立ちを、他の人にぶつけたくなっているだけなのかもしれない。
弱いままで強くなるのは難しい。
どうしようもない弱さは無くならないし、
強くなったようで結局は鈍感になっただけのような気がする。
それでも、誰かが弱みを見せた時、それを攻撃せず、助けられるような強さを持ちたい。
それは僕が今後ずっと考えていくことなんだろう。
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