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ポケモン銀への偏愛

僕にはかれこれ20年遊んでいるゲームがある。 ポケモン銀だ。 結論、これ以上好きになったゲームが見つからなかった。 思い出補正込みで、おそらくこの先も無いだろう。 出会いはたしか幼稚園年長くらいだったと思う。 僕には歳の離れた兄がいて、兄がプレステに移行したことで遊ばなくなったゲームボーイを勝手にやり始めていた。 当時は何も分からず、 コガネシティからウバメの森を通ってヒワダタウンに着いた時、違う街に来た!とテンションが上がって兄弟に自慢したり、 技のPPの仕様が分から

    • 山手線右上エリアのお一人様おすすめスポット

      僕は就職に合わせて上京し、 山手線の上の方、駒込駅と田端駅の中間地点あたりに1年半住んでいた。 地方に住んでいた僕は、駒込と田端という名前すら聞いたことすらなかった。 東京に住んでいたとしても、駒込と田端で降りるなんて人はかなりレアじゃないだろうか。 会社でうまくいかず病んでいた僕は、 休みの日はよく山手線に乗ってフラフラと出かけていた。 1人で東京の右半分あたりを放浪したいという人は参考になるかもしれない。 そんな人あんまりいないようで、結構居るんじゃないか?と思って

      • あの苦しみは、自分にしか分からない

        僕は未経験から入った体育会系SIerを1年半で辞めた。 辞めてみると、1年半って短いとか、 続けてる同期との感覚のズレとか、 大学の友達との会話に入っていけなかったり、 勝手に後ろめたさを感じたりもした。 喉元過ぎれば熱さを忘れる。 今は、思い出そうとしなければ当時の感覚は思い出せない。 でも、何がそんなに辛かったのか、 それは自分にしか分からないから、思い出してみようと思う。 まず、毎日7:30に起きて、8:40までに会社に行くこと。 朝が弱い僕は毎日朝起きるのが辛

        • 1人は嫌だけど、好きじゃない人とは一緒に居たくなかった

          このタイトルは、めんどくさい人が言いがちな「何でもいいって言ったけどそれは嫌」という言葉の感覚とほぼ同じだと思う。 高校生の時、友達が作れず3年間のほとんどを1人で過ごした。 ただ、3年間ずっと1人きりで過ごしていた訳ではない。 時々、クラスの隅っこで常に寝たフリをしていた僕に近付いてくる人もいた。 前提として、僕は傲慢さと未熟さが入り混じっていた痛々しい奴だった。 そもそも性格が良い訳でもない。 でも、こんな自分と話してくれるだけでありがたい、くらいの謙虚さは持って

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          弱いままで強くなりたい

          傷つきやすく、考えすぎてしまう。 いわゆる繊細なタイプが僕だ。 HSP診断を受けると中度のHSPだった。 僕の繊細さは母譲りで、 母も繊細で傷つきやすく、様々な要因はあったのだろうが、継続して働くことができず、 今は社会との接点をほとんど持たずに生活している。 僕は母に似ている。 繊細で考えすぎるから、いつも思考がいっぱいになり、 マルチタスクをすると能率が一気に下がる。 受け取れる情報の上限がすぐにいっぱいになり、すぐに疲れてしまう。 それによる不機嫌や他人への攻撃的な

          弱いままで強くなりたい

          もし大学行ってなかったらどうなってただろう

          人生の分岐点というのがある。 僕にとっては、大学入学が一番大きな人生の分岐点だったと思う。 僕は中学校まで勉強ができるタイプだった。 今思えば暗記が得意で苦にならないだけで、頭が良いというわけでは無かったのだろうが、 僕は自分が勉強ができることをアイデンティティにしていた。 高校に入り、僕は成績が落ちた。 勉強しても分からないことや、暗記ではどうにもならないことが沢山あって、 僕は勉強ができるわけでは無かったんだ、と気づいた。 学校に馴染めず、抑うつの症状があった僕は、

          もし大学行ってなかったらどうなってただろう

          ボルダリングを1ヶ月で辞めた

          大学生の頃ボルダリングを始め、1か月で辞めた。 まず、何か趣味を始めたいと思う時、運動をしたいけど何か手軽にしたいものはないかな、と思っていた。 そしてボルダリングなら、運動もできて1人でも黙々と気軽にやれるんじゃないかと思った。 あと筋トレにもなるというから、幼い頃からあったガリガリコンプレックスの解消にもなると思った。 僕は小さい頃から近所の山に登って遊んでいてたから、ボルダリングには謎の自信があった。 近くのボルダリングジムを探し、 試しに一回行ってみた。 初

          ボルダリングを1ヶ月で辞めた

          高校生3年間、3畳の部屋で一人暮らしをしていた。

          僕は県外の高校に進学したため、 下宿で一人暮らしをしていた。 そこは学生限定の築50年以上のとても趣のあるアパートだった。 趣がありすぎて火災報知器すら付いてなくて消防法か何かの法律に引っかかったりしていた。 その趣あるアパートの中でも最も安く最も狭い部屋に僕は3年間住んでいた。 3畳の部屋で家賃は1万だった。 トイレ、洗濯機、洗面所、キッチン全て共用。 風呂は風呂桶が壊れていてシャワーのみだった。 僕は学校に友達がいなくて、 一人暮らしだから当然家でも話す相手がいな

          高校生3年間、3畳の部屋で一人暮らしをしていた。

          不良に暴力を受けていた

          僕は中学3年の頃、 時折不良に絡まれて、暴力を受けることがあった。 きっかけは、中学3年になってすぐの頃だった。 僕が通っていた中学校は僕が2年生の時に休校になった。過疎化が原因で、市内5つの学校が統合した。 統合した学校は、荒れに荒れていた。 思春期真っ只中の子どもには統合による環境の変化は刺激が強かったのか、 混乱に乗じた興奮か、 原因はよく分からないけど、とにかく荒れた。 学年で数人の不良グループが頭角を表し、 毎日のようにガラスが割られ、 非常ベルが押され、 ロ

          不良に暴力を受けていた

          松山のお一人様専用スポット

          僕は高校生の頃、松山の高校に通うために松山で一人暮らしをしていた。 もう10年近く前になるのかと思うと、もうそんなに経ったのかと思うが、 懐かしさもあるので思い出の場所を少し紹介する。 金も友達もいない未成年が行ける場所というのは限られているが、 もしフラッと1人で松山に訪れて、あまりお金を使わずにフラフラしたい時は参考にしてほしい(多分そんな奇特な人はいない) ◆ 道後温泉 椿の湯 僕は松山に3年間住んでいたけど、一度も道後温泉本館に行ったことが無い。 料金が高くて観

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          僕の家は地デジ化できなかった

          僕の母はテレビ反対派で、僕が小さい時からテレビの報道やバラエティの雰囲気に懐疑的だった。 僕はお笑い番組やドラマは好きだったから普通によく見ていた。 めちゃイケやレッドカーペット、ライアーゲームなど、食い入るように番組を見て、次の日には学校で友達とテレビの話題で盛り上がっていた。 転機は2011年の7月に訪れる。 「地デジ化」の到来である。 アナログ放送が終了し、地上デジタル放送に移行するため、 特定のアンテナかテレビを買い替えないとテレビ見れなくなりますよ、というやつだ

          僕の家は地デジ化できなかった

          珈琲屋のバイトを3ヶ月でクビになった

          僕は大学生のころ、バイトの面接に落ちまくっていた。 塾講師、喫茶店、本屋、雑貨屋など、 累計で6回くらい落ちた。 面接では真面目に話していたが、 緊張していてぎこちなく、 コミュ力が低そう(実際に低い)に見られていた僕は、 接客業に向いていないと判断されていた。 だからいつもお金がなくて、 面接のないバイトをせざるを得なかった。 夏休みに1ヶ月住み込みのバイトをしたり、 日雇いをしたりしていた。 その中で、やっと面接に通ったのが珈琲屋のバイトだった。 何度も落ちていたか

          珈琲屋のバイトを3ヶ月でクビになった

          ぼっちだった高3秋の自己分析日記

          スマホに残っていたメモを検索していたら、 たまたま、高校3年生の10月の日記が出てきた。 クラスに馴染めず受験勉強もうまく行っていない僕は、絶賛悩みの渦中にいるはずだが、 自分なりに3年間を振り返って色々と悟ったようで、達観したことを書いていた。 もうこの当時から何年も経って、もうほとんど他人事みたいな感覚になってて、当時のような熱量で文章が書けない。 まあだからこそこうして文章書いてnoteに投稿できるようになったんだろうけど。 クラスで一言も話さないやつが、一体どんな

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          珈琲屋が好きだ

          子どもの頃から両親が家でよくコーヒーを淹れて飲んでいた。 その影響か、僕もコーヒーを飲むようになり、 大学生になってからは、いきつけの珈琲屋を見つけて通い詰めるようになった。 最近気づいたが、僕は別にコーヒーがそれほど好きでは無い。 ブラックは普通に苦いし、 頻尿だから利尿作用が効きすぎてめちゃくちゃトイレ行っちゃうし、 カフェインが効きすぎて夜眠れなったり、精神的に不安定になったりする。 でもついつい言ってしまうのは、 珈琲屋でお金を払って、席で好きなことをするという時

          珈琲屋が好きだ

          そういえば小2の時点で社会に馴染めてなかった

          僕は小2の夏に転校をするまで、 クラスメイトは5人、全校生徒35人くらいの小さな学校に通っていた。 僕は、子どもながらに、 子どもの社会へと上手く馴染めなかった感覚があった。 覚えていることがいくつかある。 小2のころ。 クラスメイトは5人のうち女子は一人だけだった。 その女子が、忘れたけど何かの賞をもらったかなんかで、 授業中に、先生から褒められたことがあった。 それに対し、クラスが盛り上がり、 女の子に対して口々に声をかけていった。 「さすが◯◯ちゃん!」 「よ

          そういえば小2の時点で社会に馴染めてなかった

          浪人中に勘違いして失恋した話

          僕は大学に落ちて1年間自宅浪人をした。 単純に金がなかったし、働けるほど社会性も無かったからだった。 僕は祖父母の家にて部屋をもらい、 勉強に専念していた、、、わけではなかった。 大学だけが人生じゃない、みたいなことを思っていた僕は、 春は祖父母のお金で自動車学校に通い、 夏にはホテルで布団敷きと掃除のバイトをし、 全然勉強に腰を据えられていなかった。 1年間の浪人生活で一つ覚えていることがある。 僕は夏になると、1ヶ月間地元に戻り、 ホテルで毎日のように働いていた。

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