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小話(5) 引退試合のタックル、悔しさではなく安堵と償いを感じていた

 noteで「脳内に残る鮮明な瞬間」という記事を読み、思い出した瞬間があったので、書きます。

脳内に鮮明に残る瞬間|そがさちえ (note.com)

 高校時代、サッカーの最後の試合。雨上がりの試合。

 一部のメンバー主導で、大会に向け、直前に守備重視のシステム変更をした。その結果、いつも最後尾で一緒に守っていたメンバーの何人かが、先発から外れていた。私は反対したが、結局システム変更を止めさせられなかった。

 前半の途中、スコアは0-1。右サイドを守る私。相手フォワードのタックルを受けた。ソックスが破れ、血が滲み、右足に鈍痛が走る。相手は、くしくも中学の後輩。ぬかるんだピッチの上で、自然と勢いがついたのだろう。

 後輩は、申し訳なさそうな視線を送る。その後怪我のため、私は別メンバーと交代し、残りの試合をベンチから見届けた。試合は、1-3で負けた。僕たちの青春は幕を閉じた。その夜、悔しさで盛大に枕を濡らした。

 今日、その時の瞬間をよくよく思い出した。

 確かにタックルを受け、右足は傷んだが、しばらく我慢すれが、まだプレーができなくもなかった。
 しかし、ベンチに先発を外れた仲間の姿を見たときに、私はホッとしていたことを思い出した。この怪我でもう守らなくてよいという安堵、この怪我を積極的に仲間の出場チャンスにするという償いを感じたのだ。
 痛みや悔しさよりも、怪我に意味や理由ができたことにホッとしたのだと思う。

 あの試合、あのタックルは忘れられない瞬間です。時間を経て、思い出してみると、痛みや悔しさという表層的な神経の刺激や後付けした常識的反応の奥に隠れていた、自分の本来的な感情に気づけた気がする。こういう時に安堵や償いを感じたのが僕らしいなぁと思った。

 時間をおいて、忘れられない瞬間を思い出してみる。本来的な自分らしい心の動きに、改めて気づくかもしれません。

みなさんにも、そんなことありますか?


 



 

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