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あなただけが、なにも知らない#22

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 海から吹き付ける風は息を潜め、辺りは静けさの中にあった。あれほど狭かった道が幾分広く感じ、行く手を阻む草は大人しく佇んでいる。長く感じた道が、ゆっくりと収縮したような、何か嬉しい事でもあったような、そんな様子で僕を招き入れている。あの場所に行って、僕は変わったのかもしれない。そんな非現実的なことを思い、過去の彼女を思い、ログハウスまでの道を歩いた。

 庭の中にある大きな樹は、闇に消えかけた空の中で、まるで自分を主張するかのように葉を震わせながら、その輪郭をはっきりと見せていた。

 玄関の扉を開けるとコーヒーの匂いがした。朝食以外コーヒーは出ないはずなのに……。いまだにどこにコーヒー豆があるかも知らない。家の中は、外の黒さと対峙するように光を帯び、僕の目を晦まし彼女を隠している。


「いい匂いがする」


「今日は、特別ね」
 とりとめのない会話に胸が熱くなった。


「たまには俺も作ろうか?」


「出来るの? 料理」


「一人暮らし長いからね」


「得意料理は?」
 また子犬が威嚇するように訊いてくる。


「……特にない。冷蔵庫にある物で作るから」
 母さんの得意料理は何だったか、そんなことを何故か考えた。


「また今度お願いするね」
 彼女は笑ってそう言い、テーブルの上を綺麗に拭き始めた。


「拓海のドリップコーヒー好きは父親似ね」


「……多分、多分だけど、僕の父さんはコーヒーが嫌いだったような気がする」


「そんな事ないよ」
 そう言って、彼女は悲しそうに笑った。

 雲間から一時だけ射し込む光の様な違和感。この心の感じが何なのか、僕には分からなかった。彼女に特別な気持ちを抱いているのかもしれない。そんなことを考えると、なぜか強い不快感を僕は抱いた。

 夕食を二人で食べるのは、あと何回出来るだろうとスープを飲みながら思った。
 今日は、彼女が食器を洗うと言ったが断った。今までそんな事を言われたことがなかったので少し驚いてしまった。


「珍しいね。そんな事言うの」
 僕は蛇口を捻った。

 理由を訊いたが、「そういう気分」と南海は笑った。彼女がルールを破ろうとしたのは初めての事だった。

 上着の袖口が水に触れる。

 南海は顔に皺を寄せながら僕の袖を嬉しそうに巻くった。暫くの沈黙が僕達を包んだ後に、「じゃあ」とだけ言い、彼女は嬉しそうに何処かへ行ってしまった。

 食器を洗い終わり、窓に目を向けた。

 倉庫には明かりが点いている。今日も彼女は絵を描いていた。


 それから一週間が経った。
 僕は相変わらずこの家を守っている。掃除と散歩、それと食事。この生活にも慣れてきた。一緒に海を見たあの日から、彼女との距離は幾分近くなったように感じる。南海との会話は増え、笑顔をよく見るようになり、そのせいで僕もよく笑うようになっていた。ただ、互いの過去、もとより事件の話には触れなかった。

 ここは誰の家なのだろう。いつから南海はここに住んでいるのだろうか。そんな事が何故か気になった。

 南海は珍しく外の椅子に座っていた。遠くを眺める彼女の顔は、大勢の輪の中へ初めて入る子供のように不安気で、寂しそうに見えた。


「天気いいな! 雲が一つもなくて」
 ポケットに入れていた手を出し、空を見上げながら話し掛けた。


「……私は、雲がある方が好きなの。ポツポツってある方が……」眩しいのか、彼女は目を細めている。「空を一人占めしてないのがいいの」
 彼女の手にはノートの様な物が握られ、そう言って僕からそれを隠した。


「……うん」
 胸の音が小さく一つ鳴ったのと同時に、無防備になった彼女の心裏を推し量るように、僕は一度強く目を閉じた。


 鳥が一羽、東へ向かって飛んでいる。


 その日の夕方、食事を食べながら彼女に、「僕は、いつまでこの家を守ればいいのかな?」と聞いてみた。
 彼女は、口の中に入っていた食べ物を飲み込み、「好きなだけ居ていいよ」と言い、ナプキンを取り、口を拭いた。


「絵は?」僕は彼女を見た。「絵は、もう描けたの?」


「……もうちょっと」パンをお皿から取り、二つに割ると片方を僕に差し出した。


 僕は、そのパンを受け取り、「ありがとう」とだけ言った。
 いつまでもこの生活を続けたい。そう思っている自分が何だか鬱陶しく、体が重たく感じる程不快だった。食事を済ませると彼女は絵を描きに倉庫へ行った。

 僕は食器を洗い終え、ソファーに座った。喉が渇き、冷蔵庫へ水を取りに行く途中、いつもそこにある二階へ上がる階段が視界に入る。


 僕は足を止めた。二階が気になった。

 今までも、何度か気になることはあったが、二階へ上がろうとは思わなかった。

 でも、なぜだろう、今日は違った。


 階段を一段上がった。鼓動が速くなる。何故か転げ落ちそうな気がして手摺を掴んだ。彼女だけが使う階段はとても綺麗だった。自分の足が重く感じる。僕は、静かに一歩を踏み出した。一番上までゆっくりと上がった。目の前は行き止まりで、上がって直ぐ右に曲がる。右に二つ、左に一つ部屋がある。一階の広さから見ると、二階はかなり狭かった。

 ……つづく。by masato

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